【ツカサグループ】川又三智彦 自己破産後の現在とバブル期の年収に驚愕!

こんにちは、9月2日(金)19時から放送の「爆報!THEフライデー」に川又三智彦さんが出演されます。

以前はよく仕事の関係で、ウィークリーマンションを使用していました。

非常に便利で重宝していましたね(笑)

そのウィークリーマンションの生みの親が、川又三智彦さんだったとは知りませんでした!

波乱の人生を歩まれていたことは、何かの番組で知っていましたが、詳しくはわからなかったので、今回の放送を通して、人生の勉強にさせてもらおうと思います。

記事は、川又三智彦さんの現在と年収についての内容となっています。

参考にしていただけたら、これ幸いです。

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川又三智彦(かわまた さちひこ)さんのプロフィール

生年月日:1947年9月1日

年齢:69歳

出身地:栃木県

学歴:サレジオ学院高等学校→米国ノースウエスタン・ミシガンカレッジ

職業:会津昭和30年代村企画株式会社代表

サレジオ学院高等学校卒業後、アメリカノースウエスタン・ミシガンカレッジに留学。

その後帰国し、1973年、家業の不動産業「司建物管理有限会社」社長に就任。

社長就任当初の一番人気は4畳半一間のアパートだったそうですが、2年もしないうちに6畳一間が一番の人気商品となり、それから2、3年すると今度はトイレ付き、お風呂付きの部屋が人気商品になってきました。

さらにその後は、木造のアパートがなくなり、狭くてもいいからマンションタイプのワンルームが人気になってきました。

アパート・マンションにも流行りがあり、しかも2、3年のスパンって、アイドルとかの人気に近いものがあることにビックリしました(笑)

しかし、今までの木造のアパートをどうしようと考え思い付いたのが、ウィークリーマンションの発想につながる、古いアパートを短期間で貸し出すという新しいやり方だったそうです。

川又さんが、アメリカに3年留学していた時の経験が大きく役立っているということで、アメリカのアパートは短期スパンでの貸し出しをしていたということを思いだして、その発想につながったいうことでした。

1983年、ウィークリーマンション事業を日本で初めて開始。

1990年、株式会社ウィークリーマンションツカサを設立。

ウィークリーマンション出典元:http://kimamana-topic.com

1983年に6室から始まったウィークリーマンション事業も、1990年までには全国47ヶ所、3600室の規模にまで拡大したそうです。

ちょうどバブル時代絶頂の頃でしたので、この頃の資産が3000億とも言われ、バブルの帝王とも言われていました。

ちなみに、バブル時代と言われていましたが私自身、バブル時代というのがよくわからないので調べてみました。

1980年代、当時アメリカが貿易赤字削減の為に為替市場(1ドル=○○円を決めるところ)に介入し、これにより急激に円高が進行しました。

円の価値が上がると、それまでドルを持っていた人たちが円を持つようになり、これによって日本国内に余剰な資金があふれることになります。

そうなると、人々は土地や株を買うようになります。

当時、土地の値段が下がることはないという「土地神話」があり、銀行は、その土地や株を担保にお金を貸します。

すると、そのお金でまた土地や株を買い、銀行は、さらにその土地や株を担保にお金を貸します。という具合に、無限ループが起こって、土地や株の値段が急上昇するというお金が余ってしまって仕方がないというのが、バブル経済ということです

しかし、これはもともと実体のない成長です。

ちょっとしたきっかけがあれば、人々は投機を引き上げ、逆の無限ループによってバブルは崩壊します。

当時の大蔵省の政策に不安を抱いた人々が、投機を引き上げたとたんに、バブルが崩壊しました。

1990年中頃です。

その影響をもろに受け、バブル崩壊後1000億円の負債を抱えることになりました。

1999年、ウィークリーマンションの営業権を米投資会社リーマン・ブラザーズへ売却(現:ウィークリーマンション東京)

リーマン・ブラザーズにウイークリーマンションの経営権を譲渡して支援してもらい、救われたそうです。

しかし、そのリーマンブラザーズが2008年に倒産し(いわゆるリーマンショック)川又さん自身も830億円の負債を抱えついに、自己破産ということでした。


お金の額が私からしたら、天文学的な額なので想像すらつかないです。汗

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現在とバブル期の年収に驚愕

川又さんは現在、福島県 会津若松市天寧寺町で、昭和30年代の風景を持つ本物の村を作り、暮らせて、働けて、生きていけるテーマパークであり、観光地としての機能と、教育・雇用・介護から諸処の社会問題までを解消する機能を併せ持つコミュニティーを計画している。

昭和30年代村企画株式出典元:http://www.ai-lp.org

会津昭和30年代村企画株式会社代表として活動されています。

収入はといいますと、月約13万円の年金だけだそうです。

年金受給額(厚生年金の場合)の平均が、16万5450円となっています。

月収が約30万ではないかと思います。

ですから年収は約360万円ぐらいだと思います。

バブル期の年収となりますと、総資産が3000億と言われていましたので、ビックリする額かと思いますが、しかし、インタビューで、「年収は1000万円を超えたことはなかったし、住まいだって目黒区祐天寺の100平方メートルの借地に立ってた木造家屋。乗ってたクルマも三菱のミニカでした。生活自体、今も昔もあんまり変わった気がしませんね」ということでした。

バブル期と現在の年収が、そんなに変わっていなかったことに、ある意味驚愕してしまいました。(苦笑)

私なりのまとめ!

川又三智彦(かわまた さちひこ)さんのプロフィール

バブルの帝王と言われていた時代から、すごい額の負債を抱えての自己破産と、波乱の人生ですが、常に前向きなハートの強さに尊敬します。

現在とバブル期の年収に驚愕

バブル期が意外に質素な生活されていた事に、正直ビックリしましたね(笑)

今後ますますの活躍を期待しています!

最後まで読んでいただきありがとうございました。
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