松田聖子と郷ひろみの交際期間を調査!破局した理由も気になる

こんにちは、奇跡の50代として常に注目されています松田聖子さん。

恋多き女性としても有名で、数々の熱愛については、今でも語り継がれおり、特に郷ひろみさんとの熱愛は伝説的になっているのではないのでしょうか。

この記事は、そんな松田聖子さんと、郷ひろみさんとの熱愛話しについての内容となっています。

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松田聖子と郷ひろみの交際期間を調査!結婚準備で田園調布に土地まで購入していた

交際期間は4年。

キッカケは、元々松田聖子さんがデビュー前から郷ひろみさんのファンで、ファンクラブにも入っていたということです。

1980年にデビューしてから、「ザ・ベストテン」や「歌のトップテン」など歌番組で、郷ひろみさんと会うことが多くなり、2人は1981年に結婚を前提に交際に発展していったということでした。

松田聖子さん18歳、郷ひろみさん25歳。

芸能リポーターの鬼沢慶一さん曰く

「81年の3月26日、ひろみから招かれて行ったんだけど、真面目な顔をして『鬼さん・・・、僕は将来を誓い合った人がいる』とひろみがいうわけ、それは結婚相手がいるってことか?相手は誰だ?まさか松田聖子じゃないよなーと言ったら『ピンポ~ン』っていうんだよ。」

と親交が深かった鬼塚さんに最初に打ち明けたと言います。

すでに2人の愛の巣も都内にあり、そして4年後の結婚に向けてなんと、田園調布に土地まで購入していたという事でした。

さらに、家の設計図やモデルまで全部できていたそうです。

しかし当時、恋愛はご法度のアイドル界、しかもトップ中のトップアイドル同士の熱愛、あまりにも大きな問題になるからと危惧していた鬼塚さんでしたが、2ヶ月後の5月に新聞に大きく熱愛報道され、日本中がパニックになりました。

当然、芸能レポーターの梨元勝さん始め、多くのパパラッチから狙われる事になりますが、「2人でこの難局を乗り越えます」と鬼塚さんに言ったといいます。

忙しい合間にも、2人は愛の巣を行き来しながら、時には鬼塚さん経由で連絡を取り合い、番組内のインタビューで松田聖子さんは、「とても大事な人だし、将来のことも考えて大切にしていきたい」と真剣な交際アピール。

一方郷さんも、自身のレコードを逆回転させるとウェディングマーチが流れて「僕たち結婚しま~す!」という企画物もあり、常に世間にアピールして、大注目されていました。

…がしかし4年後の1985年、突然破局を迎えました。

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松田聖子と郷ひろみの破局理由は神田正輝が原因?破局会見で知った驚愕の真実とは

1985年1月23日、松田聖子さんが東宝スタジオの食堂で涙の破局会見を行い、「生まれ変わったら一緒になろうねと話し合った」と語りあったという伝説の言葉を発し、世間を騒然とさせました。

この会見から約3ヶ月後の4月9日、映画で共演した神田正輝さんと婚約を発表。

この時、映画の撮影中に郷ひろみさんから神田正輝に乗り換えたのでは?といわれ、破局の理由が神田正輝さんの存在が大きく影響したと巷では囁やかれていました。

しかしすでに伏線はあったと鬼塚さんは言っていました。

郷さんは結婚したら女房は家に居るという考えで、結婚したら松田聖子さんは引退してほしいということでした。

これに対して聖子さんの母親は大反対していました。

聖子さんの成功を期に、父親も職を捨てて、一家そろって上京。

収入はぼこぼこ入ってきているのに、すぐに引退はさせたくないというのが、聖子さんの両親の考えでした。

ですから郷さんと、聖子さんの両親には、そいうぶつかり合いが最初からあったということです。

また郷さんが1年に一回、ニューヨークに1ヶ月間ボイストレーニングに行くことも、聖子さんの母親は「あれほど泣いてるのに何でひとりでニューヨークに行っちゃうの」と激怒して、二人の愛の電話回線を切って話せないようにしていたという逸話もありました。

それほど郷さんと聖子さんの親との間には険悪なムードが流れていたといいます。

やがて聖子さんは、引退興行と銘打った映画「カリブの愛のシンフォニー」(1985年4月公開)のため、メキシコのロケに出発。

この映画での共演者が神田正輝さんということですね。

そして2人にとっての破局のカウントダウンが始まります。

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聖子さんがメキシコロケに行っている間、郷さんは4年後であっても結婚の段取りを打ち合わせしようと父親を連れて聖子さんの家を訪れたその時、たまたま聖子さんの父親が水をまいていた時で、偶然にもその水が郷さんの父親にかかってしまいました。

で、郷さんがその状況を見たときに「今日はお忙しそうだからまた出直して参ります」と帰ってしまったそうです。

その夜、聖子さんから「どうだった」と確認の電話がありましたが、郷さんは、水がかかったことは言わないで「いやぁ、今日は話がうまくいかなかったけどまた近いうち行くから・・・」と返答。

そのことに聖子さんは、うまくいかなかったというショックを受け、何にも喉を通らず脱水症状で倒れてしまい、2,3日仕事(撮影)が進まない状態になりました。

仕事が進まない状況のためか、神田正輝さんが聖子さんの病室に見舞いに行き、その時、2人の世界が始まったということです。

その後、郷さんは聖子さんと連絡がとれなくなったそうです。

これを聞きつけたマスコミは、

  • 向こうへ行けば神田正輝をはじめ石原軍団が待ってる。
  • 引退しなくていいといったから、聖子がちょっと神田正輝に傾いている。
  • 聖子さんの両親がその話に乗りまくってる。

など報道が加熱になります。

その間、郷さんは家に閉じこもったまま部屋から出てこない状態になったそうです。

そして迎えた破局会見。

-郷ひろみと別れる決心をしたそうだが。

聖子さん「(涙をいっぱいためて)何と言っていいのか分からないけど、郷さんとは別々の道を歩んでいくことになりました。お互いに行き違いみたいなものがありました」

‐もう少し具体的に。

聖子さん「お互いに周囲の状況とか、置かれている環境をあまりに考えすぎて少しずつタイミングがずれていきました」

‐郷があなたに家庭に入ってほしいというのもその一つか。

聖子さん「彼が望んでいたものは、結婚したら私が(引退して)家庭に入ることでした。私もそうしたいと望んでいました。ところが昨年秋ごろから私の方に仕事ができてしまい、すぐには辞められない状況になった」

‐いまの率直な気持ちは。

聖子さん「人生において大切な時期を彼と過ごしてきたのだから悔いはありません。女としてすごく幸せだったし、いい思い出ができました。2人で話したんですけど、決して憎みあって別れたのではない。愛し合って別れるのだから、もし今度生まれ変わったら絶対に彼と一緒になります(涙があふれっぱなしになる)」

という会見内容でした。

しか~しこの会見は郷さんにとっては寝耳に水で、後に「会見することも知らなかった。あんなセリフも言っていない。僕が生まれ変わって虫だったらどうする気だろう?」とジョークを交じえて否定していました。

また鬼塚さん曰く後日談として・・・

「記者会見が終わった、ひろみのマネージャーと僕とひろみの3人で、東京にいないで横浜、中華街にでも行こうかって、そしたら途中で携帯に電話が入ったんだよ。聖子がね、『やはりひろみさんと一緒になりたい、仕事家もも全部捨てるから・・・』って、だけど記者会見までやっちゃったんだから、もう無理だろうって話して、『でも来てくれなくてもいい』って言って、二人の愛の巣に彼女はひとりで行ったんですよ。」

というドラマのような出来事があったということです。

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・・・とココまでが本来の別れた理由ということですが・・・

  • 「1985年 祇園一の人気芸妓 佳つ乃(かつの)さん 京都育ちの二十歳。 中学卒業後、舞妓修業一筋。 都をどりにも出演する美人看板舞妓。 当時郷ひろみさんと松田聖子さんの 恋の破局の一因とささやかれていた。」
  • 「郷ひろみは一度目の離婚原因が不特定多数との浮気だったように、まして独身時は女遊びがお盛んで、当時はディスコ狂い。芸者カツノはその氷山の一角。ナルシストな性格にも難があり、マザコンでも有名で、そんな郷に見切りをつけ大人な神田正輝に乗り換えたのが原因。」

という郷さんの浮気説もありました。

また「こないだ、寿司屋の常連客から聞いた郷ひろみと松田聖子と石原裕次郎とどろどろの関係の”まことしやかな噂”を聞いたばかりだから考えてしまうね。」というコメントがあるように聖子さんは、1984年に映画で共演した羽賀研二さん等との関係が取りだたされていました。

1984年秋の映画ロケと前後して、すでに郷さんに別れを切り出していたとも言われています。

そして郷さんと事務所バーニングと良好な関係にあったフジテレビとの間で、結婚までの莫大なお金が絡む大プロジェクトが組まれていたので、焦った郷さんは聖子さんを必死の説得。

その年の紅白では、郷さんのやり直す気満々のコメントに対し、横で迷惑そうな顔の聖子さんがいました。

正月には、神田さんと公然ハワイデートを決行。

年明けついに説得を振り切り、破局会見を開き終止符を打ったとも言われていました。
1985年6月、結婚式を石原軍団と関係の深いテレビ朝日が中継。

フジテレビとバーニングを怒らせた聖子さんは、破局会見以降「夜のヒットスタジオ」出入り禁止。2年干されたとも言われています。

「専業主婦を求めていたのは事実でも、いくらでも妥協点がもてる問題で、それが根っこじゃないわ。」

コメントにもありますが、真相は本人達しかわからないですね。

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【破局後】松田聖子と郷ひろみのデュエット曲や紅白共演の反響について

破局して15年、2人のデュエット曲「True Love Story/さよならのKissを忘れない」が2000年9月27日にリリース。

オリコンチャート7位。15.7万枚の売上を記録。

「今さらですが 私 聖子ちゃんは本当~は 本音は 郷さんと結婚してほしかった 私 別に 郷さん嫌いじゃないですが ただ郷さんは 自分が大事な人だから・・・でも 郷さんと結婚してほしかった・・本当は(T_T)なんて お二人には もう過去の話で そんな気持ちは さらさら無いのでしょうけど・・でも お二人の奥深~い心の中では 絶対に ずっと想い合っていると思っている。そうじゃなきゃ こんなに心にしみいる歌は歌えないと 思う 」

というようにファンの間でも大反響となりました。

また聖子さんはこの「True Love Story/さよならのKissを忘れない」でシングル総売上枚数1500万枚を達成。

史上8人目で女性アーティスト・ソロでは2人目の快挙という記念すべき作品となっています。

ちなみに破局後の10年目に、郷さんは「逢いたくてしかたない」(1995年4月リリース・オリコン17位を記録)この曲は松田聖子さんに対しての歌だと言われており、その年の紅白歌合戦で熱唱していました。

翌年の1996年4月、アンサーソングとして聖子さんが「あなたに逢いたくて〜Missing You〜/明日へと駆け出してゆこう」をリリース(オリコン月間シングルチャート第1位)し、この年の紅白で熱唱して話題になりました。

そして破局して33年後の2018年、紅白歌合戦で共演したことが注目されています。

雑誌「女性自身」によりますと、2人が舞台裏で顔を合わせる度に、共演者の間で常に“緊張が走っていた”と報じていました。

記事では「聖子が周囲を見回すように後ろを振り向いた瞬間、2人が見つめあったのを記者は見逃さなかった」とあり、「たっぷり数秒、絡み合う2人の視線。最後に目をそらせたのは、聖子の方だった」と、現場の張りつめた空気が伝わってくる内容となっています。

「紅白の舞台裏は、初出場の歌手もおり常に緊張感が漂っている。そんな中“因縁の2人”が接触するとなれば余計な気遣いも生まれ、歌う前にもうヘトヘト。」なんてことも書かれていました。

今でもこうやって報道されるということは、それぐらい2人の熱愛は世間にインパクトを与えたということですね。

私なりのまとめ

今でも離婚報道が絶えない松田聖子さん。

郷ひろみさんとは今後どうなるのか、これからも動向から目が離せないですね。

最後まで読んでいただきありがとうございました。
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