西城秀樹の兄弟姉妹は?姉が山口組”宅見勝”の愛人という噂も

こんにちは、昨年5月に亡くなられて尚、今現在も注目され続けられています西城秀樹さん。

日本の音楽界に与えた影響力は、計り知れない大きいものだったと、改めて再認識されています。

そしてファンの中には、そんな西城秀樹さんの兄弟についても、気になる人がいるかと思います。

この記事は、西城秀樹さんの兄や姉についての内容となっています。

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西城秀樹の兄弟姉妹は?名前や画像を調査

西城さんには、3歳上の兄・木本龍一郎さん。9歳上(1946年生まれ)の姉・宅見(木本)絵里子さんがいます。

出典元:https://www.imgrumweb.com

木本龍一郎(龍寿)さんのプロフィール

生年月日:1952年11月3日

年齢:66歳

職業:「NOB’S BAR」(大阪市中央区東心斎橋2-1-8 MAXタワービル3F)経営者。

その他:崇徳中学校・高等学校卒業生の会「大阪崇徳会」会長

西城さんは、ジャズギターが趣味だった父親の影響で幼少期から洋楽に馴染み、ジャズスクールに通って、最初はエレキギター、その後ベース、次いでドラムを勉強したという有名な話しがあります。

ですから、木本龍一郎さんも父親の影響で楽器を始め、西城さんにも多大な影響を与えたと思います。

1996年放送「メレンゲの気持ち」(日本テレビ系列)に西城さんが出演した際、楽器は龍一郎さんと一緒に新聞配達や、牛乳配達等のアルバイトでお金を貯めて買ったそうです。

西城さんは小学4年生の時に、龍一郎さんとエレキバンド「ベガーズ(beggars)」を結成。

西城さんによれば、ギターを弾きたくても、龍一郎さんが絶対的な存在だったのでギターボーカルが龍一郎さん、西城さんはドラム担当となりました。

学校を休んで山の中の宮司がいないときの神社でドラム練習したり、叔父さんが支配人をしている店にバンドで出演したりと、広島市立尾長小学校在学中から小学生ドラマーとして活動しており、『月刊平凡』1974年2月号の自叙伝で「小学校に入ったばかりの頃、もうぼくはミュージシャンになりたいと思っていた。歌手ではない、ミュージシャンだ」と話しています。

1968年、ブルーコメッツが絶頂期の頃、龍一郎さんが中学3年、西城さんが中学1年のとき、広島市立二葉中学校の文化祭でステージ演奏をし、学内の女生徒から大人気となりました。

「メレンゲの気持ち」に出演した時も、バンドの練習が放課後の教室だったので、練習しているときから凄い人数の人達(女生徒)に見られていたそうです。

後に龍一郎さんは・・・

「弟のドラム・ソロを聴いてると背筋がゾクゾクしてくるぐらい迫力がありましたね。歌手もいいけど、ぼくとしては世界的なドラマーになってほしかった・・」

西城さんのドラムテクニックを絶賛していました。

その後、龍一郎さんについては、ヒロコシグループの高級ステーキ屋で女性といたという目撃情報や、かなりモテていたという声もチラホラ・・。

現在は息子さんの庸之(のぶゆき)さんと共に、大阪東心斎橋にある「NOB’S BAR」を経営されています。

ゆったりくつろげるカラオケバーということで、龍一郎さんは気さくで歌はプロ級、ピアノも凄腕だそうです。

また、定期的に西城さんのイベントも行っており、ファンにとっては聖地なのかもしれないですね。

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姉が山口組”宅見勝”の愛人?その真相とは

姉の宅見(木本)絵里子さんは西城さんとは異母兄弟と言われています。

宅見(木本)絵里子さんのプロフィール

生年月日:1946年

年齢:72歳

職業:グルメハウス瀬里奈(大阪府大阪市中央区島之内2-11-10島之内ビル3F)経営者

西城さんについて絵里子さんは・・・

「あの子は宝物なの」

といい西城さんとの信頼関係を物語っています。

絵里子さんは名前のとおり、広域暴力団五代目山口組の宅見勝若頭(当時、1997年8月に、中野会との内部抗争で暗殺、享年61)とは内縁関係だった事は有名な話です。

1978年、宅見勝若頭が山口組直参となった41歳のとき、直参となる前は福井組の最高幹部を務めていました。

この時代に宅見若頭と、大阪市南区玉置町にあるクラブ「朱雀」でホステスとして働いて絵里子さんは愛人関係となっています。

二人の間に1979年、男の子が生まれます。

また絵里子さんには4歳になる女の子がいました。

1982年宅見勝若頭は自分の父方の伯母と養子縁組させ、絵里子さんに宅見姓を名乗らせています。

その後は、組事務所の隣で花屋をやっていたり、大阪で高級「クラブ西城」を経営し、当時は「宅見ママ」ということでかなり有名だったそうです。

1983年、西城さんがスタッフと共に芸映を円満退社し独立(有限会社アースコーポレーション設立)させるに当たってかなり尽力したとも言われていました。

現在は大阪府大阪市中央区でステーキがメインのグルメハウス瀬里奈を経営。

西城さんコンサートのチケットも売っていたそうです。

ちなみに息子の宅見将典さんは1999年、3ピース・ロックバンドSirenを結成しドラマー、作曲家としてメジャーデビュー。

2003年、Sirenを脱退し、作曲・編曲家、プロデューサーとしての活動をスタート。

西城秀樹さんはじめ、「アイドリング!!!」「EXILE」「影山ヒロノブ」「KARA」など、様々なアーティストに楽曲を提供しており、2011年にはAAA「CALL」作曲で第53回日本レコード大賞優秀作品賞を受賞しています。

私なりのまとめ

西城さんが眠る大阪市の名刹四天王寺の墓地が、宅見若頭の墓と隣同士にあるというが話題となっていました。

こういうことでも話題になるぐらいですから、これからも西城さんの兄弟姉妹は、要所要所で注目されると思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。
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