倉本聰、家族愛について激白!孫?姪?に襲った悲劇とは!

こんにちは、2月6日(月)22時25分から放送の「プロフェッショナル 仕事の流儀」に倉本聰さんが出演されます。

私は幼少の頃から「北の国から」を見てきたのである意味、人生の成長剤になっていると思いますね(笑)

「北の国から」もそうなのですが、私にとっては映画「駅 STATION」も大きな影響を受けました。

人生の壁といったら大げさかもしれないですけど、いろいろ悩んでいた時期でしたので、この映画をTVやビデオで見るたびに、あの頃の感情が湧き上がってきます。

倉本聰さんの作品はそんなに見ていないのですが、少ない数を見ただけでも強烈なインパクトが脳裏焼き付く経験は私だけではないように思います。

こんな私でも思うぐらいですので、脚本を書かれる際は、毎回命を削る思いで書かれているのではないでしょうか・・・

今回の放送では、その制作現場が見られると思うので非常に楽しみです。

記事は、倉本聰さんの家族についての内容となっています。

参考にしていただけたら、これ幸いです。

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倉本聰(くらもと そう)さんのプロフィール

本名:山谷馨(やまや かおる)

生年月日:1934年12月31日

年齢:82歳

出身地:東京都渋谷区代々木

血液型:O型

学歴:麻布中学校・高等学校→東京大学文学部美学科

職業:脚本家・劇作家・演出家

事務所:倉本聰 界隈

趣味:絵画、クルマ

特技:怪談、スキー

出典元:http://massneko.hatenablog.com

麻布中学・高校時代に作文を書くのも好きで、言論部に所属して学童疎開の体験を小説に書いたりしたといいます。

また、演劇部の手伝いもしていたそうです。

そして脚本の書き方を学びたかった倉本さんは、小遣いをやりくりして映画シナリオに日本語訳をつけた冊子を買って勉強していたということです。

2浪された後、東京大学文学部に合格。

ちなみに東京大学文学部出身者では、

読売新聞グループ本社主筆の渡邉恒雄氏(東京大学文学部哲学科卒業)

出典元:http://blue.ap.teacup.com

フリーアナウンサーの草野仁氏(東京大学文学部社会学科卒業)

出典元:http://kusanohitoshi.com

等、多くの有名人がいますね

苦労されて入学された大学生活はといいますと、勉強はそっちのけでアルバイトをしながら劇団「仲間」の文芸部に籍を置き、脚本の習作を次々と書いていたそうです。

大学2年のときにラジオドラマで脚本家デビューされ、4年の冬に15話のラジオドラマを書き、倉本聰というペンネームを初めて使ったということです。

1959年、東京大学文学部美学科を卒業され、ニッポン放送に入社。

本名でディレクター・プロデューサーとして勤務しながら、会社には内緒で脚本家としても活動されておりその間、「パパ起きてちょうだい」(日本テレビ)で脚本家デビュー。

二足のわらじ状態での生活をされていて、睡眠時間はなんと2時間だったということですから、ビックリですね(苦笑)

1963年にニッポン放送を退社。

退社の理由は脚本家として注目されてきて、会社にバレてしまうのでここが潮時と判断したや、ラジオのライターで一生終わりたくない等の諸説がありますが、私的には2時間睡眠生活で体力の限界を感じたからというところだと思いますねm(_ _)m

その後多くのドラマや映画の名作を残しています。

やはり冒頭でも書いています。

ドラマ「北の国から」

映画「駅 STATION」

だと思っていましたが、やはり倉本聰さんのファンの方々は違いますね。

ドラマ「前略おふくろ様」

映画「ああ!新世界」

ドラマ「風のガーデン」

ドラマ「優しい時間」

等、あまり私が見ていない作品が人気のようです。

倉本聰さんの脚本は、語尾を濁すような独自の口調で語られるモノローグが多いのが特徴と言われていますが、大きな盛り上がりはないが、ゆっくり心にじわ~っと染み入るような作品が多く、景色や音楽が情緒的で、ほっとするような穏やかな雰囲気が特徴とも言われています。

1977年、富良野市に移住。

現在、若手育成に定評がありますが、ここ富良野で若手の俳優と脚本家を養成するために「富良野塾」を私財を投じて開設され、26年にわたって主宰したということですね。

380名ほどの卒業者がおり、脚本家では、

「Dr.コトー診療所シリーズ」など手掛けています吉田紀子さん

出典元:http://www.karuizawa.co.jp

俳優では、二階堂智さん

出典元:http://www.libresen.com

等、多くの俳優や脚本家の方達が現在も色んな分野で活躍されています。

そして、倉本聰さんは2017年の富良野GROUP特別公演「走る」を最後に演劇活動から引退を表明し、脚本制作に専念するということです!


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家族愛について激白

「北の国から」の小さな家族の大きな愛の物語に代表されます家族の愛についての作品も多く手掛けられています。

家族についてもインタビューで答えられています。

倉本聰さんの父親は、自然科学系の出版社を営んでおり、水原秋桜子(みずはら しゅうおうし、ホトトギス四S時代といわれる俳句の黄金時代を築いた1人)の門下で俳人または日本野鳥の会の創設メンバーのひとりということです。

母親は愛情深い人で、両親ともに敬虔なクリスチャンだったそうです。

出典元:http://www.jprime.jp

兄、姉、妹、弟の5人きょうだいの真ん中が倉本さんで、家族みんな仲の良い家庭だったので、兄と姉は母が違うということを10歳まで知らなかったといいます。

素晴らしい家庭環境だったので、なによりつらかったのが、第2次世界大戦での学童疎開の時で、家が恋しくて布団に入ると泣いていたそうです。

1944年暮れに単身帰京したときはうれしかったということでした。

今も含めて、ずっと幸せだという気がしますね。幸せというのは、満ち足りているというのが僕の定義なんだけど、戦時中、空襲に追いかけられていても、なんか幸せでした。家族にくるまれていたから、守られているという安心感があったんですね

出典元:週刊女性2016年2月9日号

倉本聰さんにとって、家族愛はかけがえのないものだということですね!

出典元:http://spysee.jp

倉本聰さんは、劇団「仲間」で一緒だった女優の平木久子さん(1934年82歳)と27歳の頃、ご結婚されています。

子供さんは1人、娘さん(養女)がいらっしゃるということです。

孫?姪?に襲った悲劇とは

2013年10月8日に東京都三鷹市で発生した事件です。

世間に衝撃を与えた悍ましい事件です。

この被害者が倉本聰さんの孫?姪?なのではないかと話題になりました。

被害者の鈴木沙彩さんは、倉本聰さんのお姉さんのお孫さんで姪の娘さんということです。

事件から3年ですか・・・心が痛いです・・・

私なりのまとめ!

倉本聰(くらもと そう)さんのプロフィール

私は今まで見ていなかった人気作品を見つつ、これからの倉本聰さんの作品にも注目ですね。

家族愛について激白

家族愛の象徴だと思います「北の国から」も改めて見直そうと思いました。

孫?姪?に襲った悲劇とは

これは、なんとも言いようがないです。

只々ご冥福をお祈りします。

今後ますますの活躍を期待しています!

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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