2015年5月25日に結婚を発表した内田篤人選手が、12月20日ブンデスリーガ前半戦が終了しウィンターブレイクに入ったので日本に帰国しました。
幸せいっぱいの内田選手だと思いますが、サッカー選手としては2015年振り返ると苦悩の一年だったのではないでしょうか?そのあたり調べてみました。
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内田選手のプロフィール!
1988年3月27日生 27歳 身長176cm 体重70kg
静岡県田方郡函南町出身 シャルケ04在籍 ポジション DF/MF 背番号22
プレースタイル!
スピードと高い技術力を併せ持た右サイドバック。運動量が豊富で敏捷性に優れボールの置き方、視野の確保がうまくゲームメーク能力の高い選手です。
出典元:ウィキペディア
経歴!
2006年清水東高等学校から鹿島アントラーズに入団。
2006年Jリーグ開幕戦(対広島戦)でクラブ史上初となる高卒ルーキーでスタメン出場を果たし開幕戦から大活躍します。
同年JリーグオールスターサッカーではDF最多得票で史上最年少出場はたしました。
翌年2007年Jリーグディビジョン1優勝に貢献し、2009年まで史上初Jリーグ3連覇を達成し、自身も2年連続Jリーグベストイレブンに選出されました。
出典元:ウィキペディア
ここまででもすごい経歴です!
2010年7月1日移籍金推定1億5000万円でドイツブンデスリーガシャルケ04に3年契約で完全移籍します。
シャルケ04!
出典元:http://gxsatellite.com
出典元:http://matome.naver.jp/odai
ドイツ=ヴェストファーレン州ゲルゼンキルヘンに本拠を置く総合スポーツクラブでサッカーの他にもバスケットボール・陸上競技・ハンドボール・卓球などの部門があります。
サッカー部門は過去7回リーグ制覇。収入規模や平均観客動員数では国内屈指です。
6万人を超える平均観客動員数を誇り、クラブ収入では世界のサッカークラブの中では第13位でドイツ国内ではバイエルン・ミュンヘン、ボルシアドルトムントに次ぐ第3位です。
出典元:ウィキペディア
まさにビッククラブじゃないですか?
移籍当初は代表での負傷もあり低調な滑り出しでしたが、秋には右サイドバックのレギュラーに定着しました。
UEFAチャンピオンズリーググループステージ第5節(リヨン戦)では初アシストを記録するなど、決勝トーナメント進出に大きく貢献しました。
準々決勝で長友佑都選手が所属するインテルとの対戦が日本でも話題になりました。
そのインテルにも勝ち、自身はもちろんクラブ史上初のベスト4に進出しマンチェスター・ユナイテッドと対戦しました。
敗れはしたものの日本人プレーヤーとしてすごい偉業達成だと思います!
翌年2011―12シーズンは開幕前のコンディション不良や右太ももの肉離れなどの影響でシーズン前半は低調なパフォーマンスで定位置を失い欠けましたが、後半戦コンディションが整うにつれレギュラーの座を取り戻しました。
2012-13シーズンはシーズン当初は扁桃炎の影響で出遅れましたが、コンディションが整うと定位置を確保し、11月3日の第10節TSG1899ホッフェンハイム戦でブンデスリーガ初得点を決めるなど、本来のプレーに磨きがかかってきました。
その後、ジェフェルソン・ファルファンとの右サイドからの展開がシャルケのストロングポイントとなりました。
その活躍が認められ自身初の2012-13シーズンのベストイレブンに選出されました。
2013-14シーズンも前半戦は安定したプレーを続けましたが、2014年2月右太ももを痛め、そのまま戦線離脱でシーズンを終えました。
2014-15シーズンはシーズン前半戦の活躍が認めらブンデスリーガ公式サイトのベストサイドバックに選出されました。終盤戦は右膝を痛め、戦列を離れることがありましたが、レギュラーの座は譲りませんでした。
ブンデスリーガの特徴!
出典元:http://blog.livedoor.jp/justin0103
激しくぶつかり合う肉弾戦が多く、最後まで勝負を諦めず激しくコンタクトするサッカーが特徴的でフィジカルの強さはもちろん1対1も重要視され、まさに「ゲルマン魂」のサッカーと言えます。
ブンデスリーガがどれほどのフィジカルかというと、
ブンデスリーガ1部
ゴールキーパーの平均身長が約190cm以上
センターバックの平均身長が約190cm以上
フォワードの平均身長が約185cm以上
その他のポジションが180cm以上です。
このような選手達の間で闘っている内田選手の実績は驚異的としかいいようがありません!
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日本代表!
出典元:http://www.soccer-king.jp
2010年8月アルベルト・ザッケローニ監督が就任すると右サイドバックのレギュラーを獲得します。
2011年AFCアジアカップ2011では主力メンバーとして優勝に大きく貢献しました。
その後ワールドカップアジア予選も主力メンバーとして戦い予選突破に貢献しました。
2014年ワールドカップブラジル大会でもグループリーグ全試合フルスタメンで出場しましたが、2敗1引き分けでグループステージ敗退となりました。
2015年ハビエル・アギーレ監督が就任しAFCアジアカップ2015の代表メンバーに選出されるも右膝のけがを理由に出場を辞退しました。
2015年!
ブンデスリーガと日本代表での戦いで内田選手の体に相当(特に足)負担がかかっていたのではないでしょうか?
2014年7月右膝の故障により2、3週間プレー出来ないと所属クラブシャルケ04から発表されました。
ひょっとしたらワールドカップもけがをおしての出場だったのかもしれません?
2015年6月所属クラブシャルケ04から内田篤人選手が右ひざの手術をうけていたと発表しました。
病名は膝蓋骨腱炎(しつがいこつけんえん)です。
出典元:http://www.zamst.jp
膝蓋骨(ひざの皿)の下側にある腱(人体の中で最も強い部分)の炎症
「症状」として初期はひざの皿の下に違和感を感じる程度ですが、徐々に走ったりジャンプした時に痛みを感じるようになります。
しかし運動中や運動後しか痛みは感じません。
症状が慢性化・重症化してくると膝が腫れてきてちょっと走ったり、触っただけでも痛みを感じ、何もしない安静時でもズキズキした痛みが生じるようになります。
そして膝への負担が膝蓋骨にも伝わり膝蓋骨の下側が剥がれる「剥離骨折」が同時に起こることもあります。
出典元:「膝の痛み」全解説
内田選手もこのような可能性があったのではないでしょうか?
「発症しやすい人」は膝の使いすぎによって起こるスポーツ障害の一つで、ジャンパーズニ、ジャンパー膝などとも呼ばれています。
「発症しやすいスポーツ」サッカー、バレーボール、バスケットボール、陸上競技、バドミントン、スキー、スケートなどです。
出典元:「膝の痛み」全解説
「治療法」シャルケの医師からは手術をしない「保存療法」を勧められましたが、内田選手は「手術療法」を選びました。
私もひざが悪いので「保存療法」「手術療法」どちらも経験しましたが、「保存療法」だと時間がかかるのと、本当に根本的な解決になるのか?という疑問が出てきます。
内田選手もそうした疑問の解決から「手術療法」に踏み切ったのではないでしょうか?もちろんリスクもあることは承知の事だと思います。
また手術を決断するまで、多くの苦悩と葛藤があったのではないでしょうか?
現在はリハビリも順調と言われています。よかったです!
まとめ!
内田選手にとって2015年は手術という大きな決断の年で非常に苦悩したのではないでしょうか?
でも手術も成功し、リハビリも順調だということで、焦らずゆっくり治してもらいたいです。
今度は120%の内田選手のプレーが見られることを期待して待っています!
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