大谷翔平 高校時代の身長体重は?球速や高校通算本塁打も調査

こんにちは、来月にはドラフト会議も開かれ、新たなスター候補が紹介されます。

近年で印象に残るのはやはり、今やメジャーリーガーの顔となった大谷翔平選手です。

メージャーリーグに挑戦表明していたにも関わらず、北海道日本ハムファイターズに入団。

その結果、二刀流としてその才能を遺憾なく発揮しています。

そこで、大谷選手の高校時代はどうだったか、知りたい人が多々いると思います。

この記事は、大谷選手の高校時代についての内容となっています。

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高校時代の身長体重は?

花巻東高校入学時は、身長186cmに体重65kgでした。

食事トレーニングによって、3年時には身長193cm、体重が86kgの堂々たる体格を作り上げました。

大谷選手はインタビューで「高校時代は1日10杯を食べていた」と話していました。

丼飯を朝3杯、夜7杯食べる丼飯トレーニングを実施しています。

佐々木洋監督いわく「大谷は入学時、身長が190センチもあるのに65キロしかなくて、本当に細かったんです。体の使い方は上手。技術的にもしっかりしていた。あとは体を大きくして強くする、という課題が明確でした。」と語っています。

かつて、全員同じ食事の量で体作りに取り組んでいましたが、菊池雄星選手(西武)の代から選手の自主性に任せることになり、それぞれ体型も違う、中には食事制限が必要な選手もいました。

そこでみんなで話し合い、10杯、7杯、5杯、3杯…と食べる量でグループに分かれて食事することにしたということでした。

当時は、全員食べ終わらないと部屋に戻れないというルールがあり、夜9時くらいに練習が終わり、片付けをして寮に戻って夕食を食べ始めるのは10時くらい。11時には点呼があるので、10杯組の選手は食べ終わっていないと、点呼が終わってからもう一度食堂に戻って食べるという10杯メシが伝統となったということです。

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ただ1日どんぶり10杯は、そう簡単に食べられるものではないので、朝、昼、晩のほか、保存容器にご飯を入れて、学校の休み時間に食べるなど、各自で工夫していたそうです。

寮では、卵と納豆は食べ放題のため、選手たちはこれらをアレンジし、飯の供に加え、さらに、納豆は醤油だけでなく、キムチやザーサイ、マヨネーズなどをトッピング。

コンビニなどで、ふりかけ、お茶漬けの素、ラー油、塩辛、子持ちめかぶ、焼き肉のたれ、鮭フレーク、酒盗などを購入し、味のバリエーションを増やしていったといいます。

監督、コーチが何杯食べたかを厳しく管理する学校もありますが、花巻東は選手同士、厳しく和気あいあいとチェックしてるそうです。

2016年に楽天から育成ドラフト1位で指名されました千葉耕太選手は

「朝は6時に点呼で朝食。朝練習が7時からなので、急いで食べないといけないんですが、寝起きだと食事が進まない。だから僕はいつも30分早く起きて、中庭で軽く素振りをして体を少し動かしてから食べていました。3年になってからは、30分かからずにご飯3杯は食べられました」

と当時を振り返っています。

きっと大谷選手も同じような経験をされたと思いますね。

ちなみに、丼飯一杯は約240グラムで1日に2.4キログラム。

摂取カロリーは丼飯一杯が384キロカロリーですので1日3840キロカロリーということになりますね。

15~17歳の、身体活動が高い人の標準摂取カロリーが、3100キロカロリーということなので、それらを大きく凌ぐ、花巻東高校の食事トレーニングの過酷さが伺えますね。

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球速

入学時、大谷選手は日本最速となる163kmという目標を、記した紙をトレーニングルームに貼っていた事は、有名な話ですね。

  • 入学した時点でのマックスが143キロその後、1年時の最速が147キロをマーク。
  • 2年春に最速151キロ。
  • 2年時甲子園で当時の最速150キロを記録。(ただし骨端線損傷によりほぼ野手での出場)
  • 3年春甲子園では、固まっていないフォームが試合後半に崩れ、制球が安定しなかったことが原因で11四死球で9失点と大敗。
  • 3年夏、岩手大会準決勝の一関学院戦で高校生史上最速となる160キロをマーク。(しかし決勝の盛岡大学附属高校戦では5失点を喫し、高校最後の全国選手権大会に出場出来ませんでした)

この球速があがっていったのも、1つは体重増加によるところが大きいと言われていました。

慶応大学から中日ドラゴンズに1位で指名された福谷浩司投手によりますと

「大学に入った時が体重80キロで、その後94~95キロになり、球速は12~13キロアップした。なので体重が1キロ増えれば球速もおよそ1キロ速くなるという仮説はある程度は成り立つと思います。ただ、それだけじゃない。例えば30メートルダッシュのタイムだとか色々な影響がある」

ということなので、大谷選手もこれに当てはまると思いますね。

ちなみに大谷選手の投手としての甲子園通算成績は14回を投げ防御率3.77、16奪三振ということでした。

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高校通算本塁打

高校通算でホームランを56本放っています。

これは歴代でも25位の成績です。

打者としての甲子園通算成績は2試合に出場し、打率は.333でホームランは1本の成績でした。

天才イチロー選手が「大谷は打者専念にするべき。間違いない。あんなバッターはなかなか出てこない。」と認めた、大谷選手の打者としての才能も高校時代から発揮していたということですね。

花巻東高入学時から4番ライトとして練習試合に出場していましたが、佐々木監督は投手として大谷選手を育てる方針でした。

しかし大谷選手はは高校2年の夏から、骨の成長に筋肉が追いつかず、股関節の軟骨が傷つく骨端線損傷に悩まされ、およそ半年間試合で投げることができませんでした。

その間、故障を完治させるには休養を取るしかありませんでしたが、できる練習には取り組もうと、打撃練習に力を入れ、この期間にバッティング技術が磨かれます。

大谷選手の中でも打つことへの関心が深まり、二刀流のきっかけとなったそうです。

そうして、翌春の甲子園に4番ピッチャーで臨んだ大谷選手は、一回戦の第1打席で大阪桐蔭高の藤浪晋太郎選手(現・阪神)からライトへ本塁打を放ち、プロのスカウトに「投手と打者、どちらでも1位候補」と評される存在となり、現在に至るということですね。

まとめ!

二刀流として、140年を超えるメジャー・リーグの歴史にも残る存在となりつつある大谷翔平選手。

右肘の手術を受ける為、一旦は二刀流で活躍できませんが、日本はじめ世界の野球ファンは、これからも大谷選手の活躍から目が離せないです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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