こんにちは、抜群のサッカーセンスと強烈なリーダーシップで、インテルミラノやラツィオの黄金期を築きましたデヤン スタンコビッチ選手。
魂のこもった1つ1つのプレーには、今でも多くのファンの記憶に焼き付いています。
今回は、そんなスタンコビッチ選手についてまとめてみました。
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Contents
プロフィール
愛称:デキ
生年月日:1978年9月11日
出身地: ユーゴスラビア ベオグラード
身長:181cm
体重:75kg(現役時)
ポジション:MF
利き足:右足
【プレースタイル】
- 精度の高いパスやスピードにのったドリブルを武器に、トップ下・左サイド・右サイド・守備的MFと、中盤ならどこでもこなせる万能型。
- 視野が広くGKの意表を突く威力十分のミドル。
- 粘り強く、プレッシングに走り回れる献身性に優れている。
- 戦術理解力が高く、状況に応じた判断が早い。
歴代の背番号を調査!
10番(レッドスター:1995-1998)
両親が共にサッカー選手という家庭に生まれ、地元のFKテレオプティクでサッカーを始めました。
レッドスターのブランコ・ラドビッチ(当時)コーチの目に留まり、レッドスターのユースに入団(14歳)。当時はリベロとしてプレーしていました。
リュプコペトロビッチ監督に見いだされ、1995年2月11日に行われましたOFKベオグラード戦で当時のリーグ最年少記録(16歳)でデビューを飾りました。
1995-96シーズンからはセントラルハーフにコンバートされると、素晴らしい活躍を見せリーグ3連覇に貢献。
また、1997–98シーズンには19歳にしてクラブ史上最年少キャプテンに就任し、レッドスターを象徴する選手となりました。
🔴⚪️
Dejan Stanković / Red Star Belgrade / @Kappa_UK https://t.co/8aEu97PTMg pic.twitter.com/m0lAOZr9QA
— Cult Kits Heritage (@CK_heritage) October 22, 2018
- 1994-95 7試合・1得点
- 1995-96 24試合・4得点
- 1996-97 26試合・10得点
- 1997-98 28試合・15得点
20番(ラツィオ:1998-2004)
1998年夏にはASローマとの激しい争奪戦を繰り広げたSSラツィオへ移籍します。
9月13日のピアチェンツアァ戦でセリエA初ゴールを記録するなど、加入後はすぐにイタリアサッカーに順応し素晴らしいパフォーマンスを披露しますが、おしくもACミランにスクデットを奪われてしまいました。
中盤の一角としてマンチーニ選手、ネドベド選手、ベロン選手らとプレーし、2年目の1999-2000シーズンにはセリエA優勝を果たしました。
Dejan Stankovic has spoken to Gianluca Di Marzio and Mundo Deportivo about Lazio’s 2000 Scudetto triumph.
Stankovic says he lost 3kg in weight in the hour waiting to see if Perugia would win and gift Lazio the title, and suggested the weather that day was divine intervention. pic.twitter.com/0W0SNIktsl
— LazioLand (@Lazio_Land) May 14, 2020
デヤン・スタンコビッチは、ジャンルカ・ディ・マルツィオとムンド・デポルティーボに、ラツィオの2000年のスクデットの勝利について話しました。
スタンコビッチは、ペルージャが勝ってラツィオにタイトルを贈るのを待っている時間に3kgの体重が減ったと言い、その日の天気は神の介入であると示唆した。
2001-02&2002-03シーズンでも素晴らしい活躍を披露し続け、当時の指揮官エリクソン 監督曰く「ラツィオで最も完成されている選手」と絶讃していました。
- 1998-99 29試合・4得点
- 1999-00 16試合・3得点
- 2000-01 21試合・0得点
- 2001-02 27試合・7得点
- 2002-03 29試合・6得点
- 2003-04 15試合・2得点
今でも多くのラツィオファンから支持をされています。
スタンコビッチがラツィオで優勝した当時の中盤のメンバーがネドベド、ベロン、シメオネて。どこのドリームチーム
— 午後のオコチャ (@enomokocha26) October 11, 2013
25番→5番(インテルミラノ:2004→2005-2013)
2001年以降、財政問題を抱えていたラツィオはスタンコビッチ選手の売却を決断し、2004年1月にインテルミラノへ移籍となりました。(移籍金400万ユーロ+ゴランパンデフ選手がトレード要員)
シーズン途中にも関わらず、2003-04シーズンから低迷するインテルミラノにとって救世主と期待され、それ以上の活躍を披露しました。
Dejan Stankovic of Inter has a heated confrontation with Pavel Nedved of Juventus, 2004. pic.twitter.com/UhDGqZAyhZ
— 2000s Football (@FootballFrom00s) July 15, 2021
インテルのデヤン・スタンコビッチは、2004年にユベントスのパベル・ネドベドと激しい対立を繰り広げています。
翌2004-05シーズンにはラツィオ時代の同僚のマンチーニが監督に就任。
信頼できる指揮官のもとで、これまで以上の活躍をみせ、ユベントスの降格もありチームは2005-06シーズンの王者となりました。
Inter de Milán campeón de la Liga italiana 2005-06:
Arriba: Adriano, Julio Cesar, Javier Zanetti, Santiago Solari, Juan Sebastián Verón. Abajo: Dejan Stankovic, Marco Materazzi, Iván Ramiro Córdoba, Giuseppe Favalli y Obafemi Martins.#DatosHF #Hablafutbol_ #Inter #SerieA pic.twitter.com/NDY2Py1Nnr
— Hablafutbol_ (@Hablafutbol_) May 2, 2020
イタリアリーグ2005-06のインテルミラノチャンピオン:
上:アドリアーノ、ジュリオセザール、ハビエルサネッティ、サンティアゴソラーリ、フアンセバスティアンベロン。下:デヤン・スタンコビッチ、マルコ・マテラッツィ、イバン・ラミロ・コルドバ、ジュゼッペ・ファヴァッリ、オバフェミ・マルティンス。
翌2006-07シーズンには正真正銘のスクデット獲得に多大な貢献を果たし、2007-08シーズン以降もユベントス、ACミラン、ASローマ等の追随を許さず素晴らしい強さを披露し続け、スクデット6連覇を達成。
さらに2009-10シーズンはジョゼモウリーニョ監督の下で、主要タイトル3冠(チャンピオンズ・リーグ、セリエA、コッパ・イタリアでの優勝)獲得に大きく貢献し、2013年7月の退団までインテルとって欠かせない選手となりました。
- 2004 14試合・4得点
- 2004-05 31試合・3得点
- 2005-06 23試合・2得点
- 2006-07 34試合・6得点
- 2007-08 21試合・1得点
- 2008-09 31試合・5得点
- 2009-10 29試合・3得点
- 2010-11 26試合・5得点
- 2011-12 19試合・0得点
- 2012-13 3試合・0得点
https://youtu.be/8WlBl03jsjg
2013年10月11日、日本代表との試合を最後に現役を引退したましたが、インテルファンにとって、今でも思い入れのある選手となっています。
インテルでここ最近(?)でレジェンドと呼べるのは
サネッティ、カンビアッソ、スタンコビッチ、マテラッツィ、コルドバ、ミリートとかじゃないかな。黄金期にスタメン=レジェンド とは限らない。個人的な意見— べすれい (@besurei_7) June 9, 2017
#唐突な自己紹介〜好きなチーム編〜
『インテル』
好き度★★★★
いつから:2010あたりの黄金期。
なぜ:エル・プリンチペ、王子ミリート様が好きだから。スタンコビッチ、サムエル、ルシオ、カンビアッソあたりのメンバーも好きだった。今ではイカルディ。ユニフォームもカッコいい。— washoA45/🌞柏🐯阪神🇺🇾 (@washoA45) March 10, 2018
代表の歴代背番号を調査
6番(ユーゴスラビア)
1998年4月に行われました韓国戦にて代表デビューを果たすといきなり2得点を挙げる活躍を見せました。
10番(セルビア・モンテネグロ)
「2006 FIFAワールドカップ」のヨーロッパ予選からセルビア・モンテネグロ代表の一員となり、本大会出場に貢献するも、本大会ではグループステージ敗退となりました。
10番(セルビア)
「2010 FIFAワールドカップ」のヨーロッパ予選からはセルビア代表となり、キャプテンに就任しチームを牽引します。
本大会に導く活躍を見せますが、またしても本大会ではグループステージ最下位に終わり、2011年10月12日にセルビア代表からの引退を表明しました。
https://youtu.be/Wdyy0jPAr2Y
現在について
2022年10月6日にサンプドリアの新監督(1年契約+1年間延長OP)に就任。
最下位で低迷していたチームを立て直す手腕が期待されていましたが、一向に上向くことなく最下位のままセリエAB降格となってしまいます。
一時はフィオレンティーナ戦(4月30日)での大敗(0-5)で辞任の意向を伝えましたが、話し合いの結果、シーズン終了まで指揮することになりました。
🔵 Dejan Stankovic dejará la Sampdoria a final de temporada. Se anunciará tras el partido ante el Napoles.
[@NicoSchira] pic.twitter.com/ASe1VHXQIb
— Fútbol Italiano 🇮🇹 (@FT_Italiano) June 4, 2023
デヤン・スタンコビッチは今シーズン限りでサンプドリアを退団する。ナポリ戦後に発表される予定だ。
現役引退後は指導者の道に進んでおり、2014年7月にはウディネーゼ・2015年にはインテルのアシスタントコーチに就任。
2019年11月28日にインテルのユース部門のコーチに就任していましたが、2019年12月から古巣・レッドスターベオグラードの指揮官となりセルビアリーグ4連覇へ導きます。
2022年5月には2025年6月までの新契約にサインしていましたが、チャンピオンズリーグ予選プレーオフで敗退したことを受け、辞任となりました。
レッドスターってスタンコビッチが監督なんか
— mitio (オワコン) (@zmhage) December 14, 2020
ちなみに若手指導には定評があります。
スタンコビッチが期待を寄せるスヴェズダの真珠
🇷🇸名前:ジェリコ ガヴリッチ(Zeljko Gavric)
🇷🇸国籍:セルビア
🎂生年月日:2000/12/5
👥ポジション:LWG/AMF
🇷🇸所属:レッドスター・ベオグラード
✍️評価:Ahttps://t.co/vqQ8yZ0j7w pic.twitter.com/uESJMQHG3v— サッカー若手紹介所 (@Footy_Agency) July 5, 2020
私なりのまとめ
残念な結果となってしまいましたが、実際チーム状態(オーナー含め)の悪かったサンプドリアを途中から指揮することに疑問の声も上がっていました。
母国セルビアでは監督として着実に実績を積んでいたので心機一転からの今後の動向に注目ですね。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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