ACミラン 歴代監督まとめ!顔写真付きで紹介

こんにちは、イタリアサッカー界きっての名門・ACミラン。

90年代はセリエAで10年間で5回の優勝を飾った圧倒的な強豪チームも、2000年代に入ると優勝したのは2004年と2010年のわずか2回と失速。

大きな要因としてはオーナーのベルルスコーニ氏の撤退がありますが、やはり監督人事も影響していたと思います。

そこで今回は、90年から現在までミランを率いた監督達についてまとめてみました。

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歴代監督まとめ!

アリゴ サッキ

在任期間:1987―1991・1996―1997

出典元:en.wikipedia.org

生年月日:1946年4月1日

出身地:イタリア・エミリア=ロマーニャ州ラヴェンナ県フジニャーノ

プロサッカー選手としての経験はありませんが、1985年にセリエC1(当時)のパルマの監督に就任すると、就任1年目でセリエBに昇格させます。

2年目から参加したコッパ・イタリアでミランを2度も破る大金星に、ベルルスコーニ会長が手腕を評価。

★1987年にACミランの監督に就任します。

キャプテンのフランコバレージ選手を中心に、ルートフリット選手、マルコファンバステン選手ら新戦力として加入したチームは、わずか2敗という圧倒的な強さを見せつけスクデットを獲得。

さらに翌シーズンからはフランクライカールト選手も加わり、戦術的にも4人のDFの選手をフラットに並べ、DFからFWまでの距離を広げず中盤をコンパクトにし、そこでプレッシングをかけてボールを奪い、高いポジションから攻めに出るというゾーンプレスを浸透させ、UEFAチャンピオンズカップ2連覇を達成させました。

特に1988-89シーズンには準決勝でレアルマドリードに2試合合計6-1と大勝、決勝でもステアウアブカレストに4-0で完勝するなど、サッキ監督は名将として不動の地位を確立させました。

しかし1991年には成績不振により辞任。その後イタリア代表監督に就任し「1994 ワールドカップ」でイタリア代表を準優勝に導いています。

  • 1987-88 リーグ 優勝・コッパイタリア ベスト16
  • 1988-89 リーグ 3位・コッパイタリア ベスト16・チャンピオンズカップ 優勝
  • 1989-90 リーグ 2位・コッパイタリア 準優勝・チャンピオンズカップ 優勝
  • 1990-91 リーグ 2位・コッパイタリア ベスト8・チャンピオンズカップ ベスト8

★1996-97シーズンは、序盤戦からリーグでは低迷します。

  1. カペッロ監督がレアルマドリードへ去ったことで守備基本からスペクタクル重視へ戦術が切り替えられこと。
  2. ボスマン判決によるEU圏内の外国人選手が大量加入したことでチームバランスが崩れたこと。
  3. 主力選手の高齢化。

といった要因が重なって結果、タバレス監督が解任されサッキ氏が監督に復帰しますが改善することが出来ず、シーズン終了後に辞任となりました。

1996/97年のパルマとのセリエAチャンピオンシップレースで、ユベントスはサンシーロでの歴史上、ミラノで最大の敗北を喫しました。ミラノにとってひどい季節に、アリゴ・サッキが救世主としてやって来て、6か月後に解雇されました。

ACミラン1-6ユベントス

・1996-97 リーグ 11位・コッパイタリア 準優勝・チャンピオンズリーグ GL敗退

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ファビオ カペッロ

在任期間:1991―1996・1997―1998

出典元:ja.wikipedia.org

愛称:Don Fabio

生年月日:1946年6月18日

出身地:イタリア・フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州サン・カンツィアン・ディゾンツォ

選手時代はASローマやユベントス、ACミランで活躍し、コッパイタリア優勝1回、スクデット4回と多くの勝利を掴みました。

また、イタリア代表でも「1974 FIFAワールドカップ西ドイツ大会」を始め32試合出場8得点を記録しています。

★引退後はサッカー解説者を経て、1986-1987シーズンの途中(わずか5試合)にACミランの監督に就任。

その後、1991年にサッキ監督の後任として再びACミランの監督に就任しました。

オランダトリオをはじめフランコバレージ選手、パオロマルディーニ選手、コスタクルタ選手、アルベルティーニといった、数多くのスーパースターを抱え「グランデ・ミラン」(偉大なミラン)や「リ・インヴィンチービリ」(無敵)と呼ばれ、1991-92シーズンの無敗優勝を含め5年間で4度のスクデットを獲得しました。

ACミランで監督としての評価を確立すると1996年にはレアル・マドリードの監督に就任しました。

  • 1991-92 リーグ 優勝・コッパイタリア ベスト4
  • 1992-93 リーグ 優勝・コッパイタリア ベスト4・チャンピオンズカップ 準優勝
  • 1993-94 リーグ 優勝・コッパイタリア ベスト16・チャンピオンズカップ 優勝
  • 1994-95 リーグ 4位・コッパイタリア ベスト16・チャンピオンズカップ 準優勝
  • 1995-96 リーグ 優勝・コッパイタリア ベスト8・UEFAカップ ベスト8

ファビオ・カペッロの「無敵」を捕らえた#ACMilanナポリで1対1で引き分けたの12番目のスクデット。

ミランはそのシーズンの34試合中22試合で勝利し、1試合も負けませんでした。

★1997-98シーズン、わずか1年でレアルマドリードの監督を解任されたミランに復帰しますが、1998年3月にユベントスに4対1で敗れ、5月にローマに5対0で敗北と、低迷脱却とはいかずスクデットを獲得したユベントスに30ポイント差をつけられ10位という成績に終わり退任となりました。

#Milan、最後の「マニタ」は20年以上前にさかのぼります。1998年5月、ローマ-ミラノ5-0で、カンデラ、ディビアジオ(2)、パウロセルジオ、デルヴェッキオがゴールを決めました。

ファビオ・カペッロ監督のミランは、そのチャンピオンシップを10位で締めくくった。

・1997-98 リーグ 10位・コッパイタリア 準優勝

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オスカル タバレス

在任期間:1996

出典元:ja.wikipedia.org

本名:オスカル・ワシントン・タバレス・シルバ

愛称:El Maestro (先生)

生年月日:1947年3月3日

出身地:ウルグアイ・モンテビデオ

選手時代はモンテビデオ ワンダラーズやフェニックス、ベジャビスタなど主にウルグアイ国内のチームで活躍。

引退後はベジャビスタやウルグアイ代表を指揮し、1994年にはイタリアに渡り、セリエAのカリアリ監督に就任。

1994-95シーズンにカリアリをリーグ戦9位に導くと、1996年にACミランの監督に抜擢されましたが、スーペルコッパ・イタリアーナではフィオレンティーナに敗れ、サンシーロで行われましたリーグ戦でピアチェンツァに敗れて順位を11位に落としたことで解任されました。

オスカル・タバレスは、1996年にACミランのコーチを務めていました。彼は、前年にバロンドールを獲得したジョージ・ウェアとデヤン・サビチェビッチに聞かれます

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アルベルト ザッケローニ

在任期間:1998―2001

出典元:ja.wikipedia.org

愛称:ザック

生年月日:1953年4月1日

出身地:イタリア・エミリア=ロマーニャ州(メルドラ生まれ、チェゼナーティコ育ち)

16歳の春にバイクに乗っていて重度の肺の病気を患い選手生命を頓挫させてしまいます。

そして、実家のペンションを手伝い、 保険代理店業などを営みながら、サッカーの情熱を失わずに8~10歳の下部組織の監督に辿り着きました。

その後、プロ監督の受験資格を得られないなどの苦難を経ながら、ウディネーゼで好成績を残し、ACミランの監督に就任します。

ウディネーゼ時代の教え子で1997-98シーズンのセリエA得点王であるオリバービアホフ選手とトーマスヘルヴェグ選手をウディネーゼから獲得。

序盤こそ苦戦していましたが、アルベルティーニ選手、コスタクルタ選手、マルディーニ選手、ボバン選手ら栄光を知る主力選手がチームを牽引、加えてマッシモアンブロジーニ選手やクリスティアンアッビアーティ選手ら若手の台頭もあり、終盤に勝ち点でラツィオを逆転して悲願のスクデットを獲得しました。

しかし、翌1999-00シーズンのチャンピオンズリーグ・最終節でガラタサライに逆転負けを喫し1次リーグで敗退すると、選手層の薄さもあってリーグ戦を3位で終わりました。

そして2000-01シーズンは自らのシステム3-4-3を貫こうとしたことで、4バックを標榜するベルルスコーニ会長と対立すると、チームも低迷(CL2次リーグ敗退)したことにより、シーズン途中で更迭されました。

アンドリー・シェフチェンコと契約した新しいACミランは、1999年にアルベルト・ザッケローニとパオロ・マルディーニによって発表されました。シェフチェンコはクラブに約1,900万ポンドの費用をかけました。

  • 1998-99 リーグ 優勝・コッパイタリア ベスト16
  • 1999-00 リーグ 3位・コッパイタリア ベスト8・チャンピオンズリーグ 1次L敗退

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チェーザレ マルディーニ

在任期間:2001

出典元:en.wikipedia.org

生年月日:1932年2月5日

没年月日:2016年4月3日

出身地:イタリア・フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州トリエステ

選手時代には1954年からACミランで活躍し、1961年にチームキャプテンを務めています。

1954-55シーズンのリーグタイトル獲得をはじめ、ヨーロピアン・カップ優勝など数々のタイトル獲得に貢献しました。

引退後はACミランのアシスタントコーチを務め、1972年から1974年まで監督に就任。

その後はイタリア代表やいくつかのクラブで指揮し、1999年にはミランのヘッドスカウトとしては復帰していましたが、2000-01のシーズン途中で解任されたザッケローニ氏の後任で、ミランの暫定監督に就任します。

リーグ優勝争いから離脱した低迷状態でしたが、ミラノダービーでインテル相手に6-0で歴史的大勝したのが唯一の救いとなり、シーズン終了後に退任となりました。

2001年5月11日
インテルミラノ0から6
ベンチにマウロ・タソッティとパオロがいるチェーザレ・マルディーニキャプテン
素敵な思い出

・2000-01 リーグ 6位・コッパイタリア ベスト4・チャンピオンズリーグ 2次L敗退

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ファティ テリム

在任期間:2001

出典元:ja.wikipedia.org

生年月日:1953年9月4日

出身地:トルコ・アダナ県ジェイハン

選手時代はアダナ・デミルスポルやガラタサライでプレーし、トルコ代表としても51試合に出場。そのうち35試合で主将を務めています。

引退後は指導者としてトルコ代表を「EURO1996」初出場へ導くと、ガラタサライでは4年連続でトルコリーグチャンピオンシップ優勝、そして「2000UEFAカップ」制覇といった実績を残します。

その手腕が評価され2000-01シーズンにはフィオレンティーナと1年間の契約を結び、攻撃的なサッカースタイルで コッパイタリア準優勝に導きますが、会長のヴィットリオ・チェッキ・ゴーリと対立し辞任。

そして2001-02シーズン、ACミランの監督に就任。

教え子でフィオレンティーナのアイドルだったルイコスタ選手を加入させ、ルイコスタ選手を中心とした4–3–1–2フォーメーションの攻撃的サッカーを展開するも、自慢だった守備が崩壊するという悪循環に陥りチームは低迷。

その結果、UEFAカップ3回戦敗退の責任を取りわずか5ヶ月で辞任となりました。

2001年後半にアンチェロッティがミラノに来る前のことを覚えています。ミラノはファティテリムによって5か月間指導されました。 Terimは4-3-1-2を展開し、チームを一般的に分解するときに苦労しました。彼はアンチェロッティに取って代わられ、私たちはより大きなことに移りました。

ジャンパオロとの類似点があります。

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カルロ アンチェロッティ

在任期間:2001―2009

出典元:ja.wikipedia.org

愛称:カルレット

生年月日:1959年6月10日

出身地:イタリア・レッジョ・エミリア県レッジョーロ

現役時代はミランで主力として欧州CL(当時はチャンピオンズ・カップ)の連覇を経験。

ディエゴ・マラドーナへの試合前のトリビュート中に、カルロ・アンチェロッティの目に涙が溢れています。 2人は、ナポリとACミランの間の壮大な対決で何度も対決しました。アンチェロッティは今週のディエゴで「彼は私の対戦相手だったので、彼は私の友達になった」と語った。

引退後は監督としてレッジャーナ(当時セリエB)でキャリアをスタートさせ、パルマ、ユベントスを経て、2001-02シーズン途中にテリム前監督の後任で古巣ミランの監督に就任しました。

シーズン途中からの指揮でしたが、最終的には低迷していたチームを4位でフィニッシュさせ、再びチャンピオンズリーグ出場権を獲得。

ベルルスコーニ会長からの信頼を得ると、8年間の長期政権を築き、リーグ優勝1度、欧州CL優勝2度のタイトルに恵まれ名将の地位を不動のものとしました。

2008-09シーズンには、ロナウジーニョ選手ら大型補強を敢行し、冬にはデビッドベッカム選手をレンタルで獲得するも無冠に終わり、シーズン終了後に辞任となりました。

歴史的なチーム
カルロ・アンチェロッティによるミラノ(2001-2009)
8タイトル獲得
今日のスレッドでは、サッカーのエポックを作ったチーム、カルロ・アンチェロッティのミラノについて話をします。しかし、収益を上げる前に、2001年に戻る必要があります。

  • 2001-02 リーグ 4位・コッパイタリア ベスト4・UEFAカップ ベスト4
  • 2002-03 リーグ 3位・コッパイタリア 優勝・チャンピオンズリーグ 優勝
  • 2003-04 リーグ 1位・コッパイタリア ベスト4・チャンピオンズリーグ ベスト8
  • 2004-05 リーグ 2位・コッパイタリア ベスト8・チャンピオンズリーグ 準優勝
  • 2005-06 リーグ 3位・コッパイタリア ベスト8・チャンピオンズリーグ ベスト4
  • 2006-07 リーグ 4位・コッパイタリア ベスト4・チャンピオンズリーグ 優勝
  • 2007-08 リーグ 5位・コッパイタリア ベスト16・チャンピオンズリーグ ベスト16
  • 2008-09 リーグ 3位・コッパイタリア ベスト16

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レオナルド

在任期間:2009―2010

出典元:ja.wikipedia.org

本名:レオナルド・ナシメント・ジ・アラウージョ

愛称:貴公子、レオ、レオ様

生年月日:1969年9月5日

出身地:ブラジル・リオデジャネイロ州ニテロイ

弱冠17歳でフラメンゴでプロデビューを飾るとサンパウロ、バレンシアを渡り歩き、1994年から1996年にかけて鹿島アントラーズでプレーしました。

退団後はパリサンジェルマン、ミラン、サンパウロ、フラメンゴと各国のビッグクラブに所属し、2003年にミランで現役を引退。

引退後もクラブに残り、副会長補佐やテクニカルディレクター、そして8シーズンに及んだアンチェロッティ政権の後を受け、2009-10シーズンからミランの新監督に就任。

序盤はライバルのインテルに0-4で大敗し、経験不足を露呈し解任も噂されますが、明瞭な頭脳と真摯な人柄で選手の信頼を得ると、独特の4-2-1-3システム採用と下部組織出身のイニャツィオアバーテ選手の台頭などがあり、リーグを3位で終えUEFAチャンピオンズリーグ予備予選の出場権を獲得しました。

しかし2010年5月には1シーズン限りでの退任が発表されました。

彼のコーチとしてのキャリアにおいて、レオナルドは2009/10にミラノを、2010/11にインテルをコーチし、PSGでサッカーディレクターを務めました。

・2009-10 リーグ 3位・コッパイタリア ベスト8・UEFAカップ ベスト32

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マッシミリアーノ アッレグリ

在任期間:2010―2014

出典元:ja.wikipedia.org

生年月日:1967年8月11日

出身地:イタリア・トスカーナ州リヴォルノ

選手時代はカリアリ、ナポリなど数々のクラブでプレー。

現役引退後2004年から指導者としてのキャリアをスタートさせ、2007-08シーズンにはセリエC1のサッスオーロの監督に就任すると1年でセリエB昇格に導きました。

続く2008-09シーズンにはセリエBでの監督経験もないままセリエAのカリアリの監督に就任。

就任1年目で9位の成績をおさめ、シーズンのセリエA最優秀監督に選ばれました。

その手腕が評価され2010-11シーズンからミランの監督に就任します。

「コンパクトなサッカー」を身上に就任1年目でインテルの6連覇を阻み、7シーズンぶりのセリエA優勝に導きました。

下部組織をつねに注視し、若手の登用にも積極的な姿勢を見せるも、イブラヒモヴィッチ選手やチアゴシウバ選手ら主力選手の移籍が響きチームが低迷。

2012-13シーズンには、チャンピオンズリーグ出場圏内の3位に留まりますが、2013-14シーズンも不調が続き、2014年1月に成績不振により監督を解任されました。

ACミランは、アレグリの下で18回目のスクデット勝利を獲得しました。

  • 2010-11 リーグ 1位・コッパイタリア ベスト4・チャンピオンズリーグ ベスト16
  • 2011-12 リーグ 2位・コッパイタリア ベスト4・チャンピオンズリーグ ベスト8
  • 2012-13 リーグ 3位・コッパイタリア ベスト8・チャンピオンズリーグ ベスト16

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クラレンス セードルフ

在任期間:2014

出典元:en.wikipedia.org

本名:クラレンス・クライド・セードルフ

愛称:プレジテンテ(大統領)、黒豹

生年月日:1967年8月11日

出身地:イタリア・トスカーナ州リヴォルノ

ミスらしいミスやボールを簡単に奪われるなどといったシーンをほどんど見せない希有な選手。

ミランの「10番」としてチャンピオンズリーグ制覇に貢献すると、アヤックス(オランダ)、レアルマドリード(スペイン)、そしてミランと3つの異なるクラブでチャンピオンズリーグ優勝した唯一人の選手となりました。

2014年1月に現役引退と同時に、アッレグリ監督が退任したミランの監督に電撃就任。

就任後の後半戦19試合で勝ち点35を稼ぐも、低迷したチームを立て直すことが出来ず8位に終わり、チャンピオンズリーグ・ヨーロッパリーグの出場権を逃してしまいました。

2013-14シーズン終了後に解任となりました。

2014年のこの日、クラレンス・セードルフがミランのコーチに任命されました。
記録:
22試合
11勝(セリエAで35ポイント)
9負ける
2シリーズ
勝率:50%

・2013-14 リーグ 8位・コッパイタリア ベスト8・チャンピオンズリーグ ベスト16

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フィリッポ インザーギ

在任期間:2014―2015

出典元:ja.wikipedia.org

愛称:ピッポ、スーペル・ピッポ

生年月日:1973年8月9日

出身地:イタリア・エミリア=ロマーニャ州ピアチェンツァ

ミランやユベントスなどで活躍したセリエAを代表するストライカーでUEFAクラブ主催大会の得点記録保持者。

2011年シーズンをもって現役を引退。引退後はACミラン育成組織のコーチングスタッフに就任。

下部組織で国際ユース大会ヴィアレッジョ・カップで13年ぶりの優勝に導くなど着実に成績を残すと、2014年6月、ミランの監督に就任。

フィリッポインザーギがACミラノプリマベーラを率いてヴィアレッジョカップ2014で優勝

指導者キャリア3年目でのトップチーム監督抜擢は、選手時代の名声がもたらすファンとメディア受けの良さが多分に影響しましたが、実際はシーズン序盤は好調だったもの、徐々に引き分けや負けが込み、10位という成績に終わり2015年6月に解任となりました。

・2014-15 リーグ 10位・コッパイタリア ベスト8

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シニシャ ミハイロヴィチ

在任期間:2015―2016

出典元:ja.wikipedia.org

愛称:ミハ、バルビカ、グランシニストラ、ボンバー

生年月日:1969年2月20日

出身地:ユーゴスラビア・ヴコヴァル

選手時代はローマ、サンプドリア、ラツィオ、インテルで活躍。

フリーキックだけでハットトリックを達成した試合はいまや伝説で、その左足から放たれるフリーキックはチームに数々の勝利をもたらし、相手チームのサポーターからは「悪魔の左足」と恐れられていました。

現役引退後はインテルでロベルトマンチーニ監督のアシスタントコーチとしてキャリアをスタート。

その後カターニアやフィオレンティーナやサンプドリアで指揮。

モットーを書いた紙をロッカーに貼らせ、体脂肪率を厳しく管理するなど改革を徹底する指導方で2014-15シーズンはサンプドリアをUEFAヨーロッパリーグ出場権獲得に導きました。

その手腕が評価され2015年6月、ミラン監督に就任。

シーズン開幕当初はベルルスコーニ会長が好む「4-3-1-2」を用いていましたが、10月の時点で3勝4敗の11位になったことを受けシステムを「4-3-3」・「4-4-2」に変更すると、これが功を奏して7戦無敗とし6位まで浮上しました。

しかし多数の主力選手の怪我による影響でチームが不調に陥ると、もともとミハイロヴィッチ監督のスタイルに批判的であり、ロカテッリ選手ら若手イタリア人の起用を望むベルルスコーニ会長の決断で、ミハイロヴィッチ監督は電撃解任となりました。

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クリスティアン ブロッキ

在任期間:2016

出典元:ja.wikipedia.org

生年月日:1976年1月30日

出身地:イタリア・ミラノ

選手としてはACミランのユースでキャリアをスタートさせ、トップチーム昇格後はヴェローナやインテル、フィオレンティーナ、ラツィオで活躍しました。

2013年の引退後、2014年にはインザーギ監督のトップチーム昇格に伴い、プリマヴェーラ監督に就任。

2016年4月にプリマヴェーラ(下部組織)からの内部昇格が決定。

指揮初戦のサンプドリア戦こそ1-0で勝利を収めたものの、第34節ではカルピとスコアレスドロー、そして第35節では最下位ヴェローナに逆転負けを喫し、フロジノーネ戦では3-3の引き分け。

就任後4試合で1勝2分け1敗と思うような結果を残せないまま事態は好転せず、再び欧州カップ戦の出場権を逃してしまい、シーズン終了後に退任となりました。

本日、イタリアのクリスティアンブロッチが、2016年6月までACミランの新監督として発表されました。

・2015-16 リーグ 7位・コッパイタリア 準優勝

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ヴィンチェンツォ モンテッラ

在任期間:2016―2017

出典元:ja.wikipedia.org

愛称:小型飛行機、トップガン

生年月日:1974年6月18日

出身地:イタリア・カンパニア州ポミリアーノ・ダルコ

選手時代はエンポリやジェノア、サンプドリア、ローマなどで活躍。

引退後はローマの下部組織の監督に就任し、2011年2月にはラニエリ監督が成績不振で解任され、トップチームの暫定監督になります。

その後、カターニアやフィオレンティーナで指揮すると、セリエAでは特異なポゼッションサッカーを志向し、複数のシステムを操る若き知将として注目されます。

フィオレンティーナを3年連続で4位に導き、UEFAヨーロッパリーグ出場権獲得に導く指導力が評価され、2016年6月にミランの指揮官に就任。

セリエAで18勝9分11敗の6位に終わり、4季ぶりの欧州カップ戦となるヨーロッパリーグ出場権を獲得すると、クラブはその手腕を高く評価し契約延長に至りますが、2017-18シーズンは、チームが大型補強を行ったものの、第14節終了時点で7位と低迷し、2017年11月に監督を解任されました。

ヴィンチェンツォモンテッラ

「子供の頃、ミラノを応援していました。いつも一緒にトロフィーを掲げることを夢見ていました。2016年にスーパーコッパで優勝したとき、その夢を実現しました。」

・2016-17 リーグ 6位・コッパイタリア ベスト4

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ジェンナーロ ガットゥーゾ

在任期間:2017―2019

出典元:ja.wikipedia.org

本名:ジェンナーロ・イヴァン・ガットゥーゾ

愛称:リーノ、重戦車、ブレイヴハート、がっちゃん

生年月日:1978年1月9日

出身地:イタリア・カラブリア州コリリアーノ・カーラブロ

選手時代にはイタリア代表やミランで頂点に君臨したレジェンド。

2012年6月、スイスのFCシオンで選手兼監督で指導者としてキャリアをスタートさせます。

その後パレルモやOFIクレタ(ギリシャ)、イタリア3部のピサで指揮を執り、2017年5月にミランのプリマベーラ監督に就任。

2017年11月にモンテッラ監督の解任を受けてトップチームを指揮することに。

途中から率いた17-18シーズンはリーグ戦6位で終えヨーロッパリーグ出場権を獲得しました。

2018-19シーズン、2018年7月にはオーナーがアメリカのヘッジファンド「エリオット」に代わり、フロントも一新。

新テクニカルディレクターに招聘されたレオナルド氏が、さっそくイグアインとカルダーラを獲得するユベントスとの大型トレード案件をまとめ、チャンピオンズリーグ出場権には手が届く陣容を整えますが、インテルに勝ち点1の差で及ばず5位でチャンピオンズリーグ出場権を逃し、2019年5月に退任が発表されました。

イタリアのマスコミによると、ジェンナーロ・ガットゥーゾは2019/20シーズンのACミランのコーチとして継続しません。

  • 2017-18 リーグ 6位・コッパイタリア 準優勝
  • 2018-19 リーグ 5位・コッパイタリア ベスト4

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マルコ ジャンパオロ

在任期間:2019

出典元:www.milanlive.it

生年月日:1967年8月2日

出身地:スイス・ベッリンツォーナ

選手時代はセリエCやセリエBのチームで活躍。

引退後は指導者となり、カリアリやシエナ、サンプドリアで監督を務めると2019年6月、ミランの監督に就任することが発表されました。

ポゼッション重視の攻撃サッカーを展開させ、若手育成に定評がありましたが、開幕から7試合で3勝4敗の13位と低迷。

ライバルである好調インテルとの明暗もあり、6月から就任して約4か月の10月にはチームを去ることとなりました。

2019年、マルコジャンパオロのACミランとの最後の試合、ジェノアに2-1で勝利!

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ステファノ ピオリ

在任期間:2019―

出典元:ja.wikipedia.org

生年月日:1965年10月19日

出身地:イタリア・エミリア=ロマーニャ州パルマ

選手時代はDFとしてユヴェントスやフィオレンティーナなどで活躍。

引退後は監督として、パルマ、キエーヴォ、パレルモ、ボローニャ、ラツィオ、インテル、フィオレンティーナなど、数々のセリエAチームを指揮してきました。

2019年10月にミランの監督に就任。2019-20シーズンが開幕していたため前半のシーズンは、あまり結果としてよくなく、一時期は、解任と言われていたが、後半シーズンになると、負け無しで6位という結果でヨーロッパリーグ出場権を獲得。

そして2020-21シーズンは、クラブ創立後史上初となるリーグ戦27試合無敗(昨シーズンを含めた)を記録するなど、好調を維持させ9年ぶりとなるリーグ2位でフィニッシュ。

2013-14シーズン以来、8季ぶりにチャンピオンズリーグ出場権を獲得しました。

2021-22シーズンは、16歳より6年間ゴールマウスを護ってきました守護神・ジャンルイジドンナルンマ選手がパリサンジェルマンへ移籍した他、10番のハカンチャルハノール選手のインテルミラノ移籍など、チームの中核を担ってきました選手の損失が影響するかと思われましたが、強豪ミラン復活に向け激闘中です。

ステファノ・ピオリ監督が2021年のリードホルム賞を受賞しました。おめでとうございます、ボス!

ステファノピオリ2021年リードホルム賞。おめでとうミスター!

  • 2019-20 リーグ 6位・コッパイタリア ベスト4
  • 2020-21 リーグ 2位・コッパイタリア ベスト8

私なりのまとめ

90年代や2000年代は強さの時代、2010年代は混迷・低迷期といった背景を見ますと、監督の就任期間に比例しているように感じます。

特に2015年からの就任期間の短さを見ますと、選手も混乱して試合に集中することすらままならかったと思います。

チャンピオンズリーグの復活でまた、強さの時代が戻ってくるのか?それは現監督の手腕にかかっていることでしょう。

ピオリ監督の采配に期待しましょう。最後まで読んでいただきありがとうございました。

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