バルセロナ 歴代監督まとめ!顔写真付きで紹介

こんにちは、ここ数年のバルセロナを見ますと、いかに監督の存在が重要だったかということがわかりますね。

あれだけ強かったバルサが今や凋落・崩壊といった展開になりつつありましたから。

監督になる以上、バルセロナのアイデンティティーをどれだけ熟知しているのかで自ずと結果が出るわけで、そういう意味でも、シャビ エルナンデス氏を監督を迎えたことは非常に大事だと思いますが。。。

今回は、そんなバルセロナを率いた(クライフ以降)監督達についてまとめてみました。

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歴代監督まとめ!

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ヨハン クライフ

在任期間:1988―1996

出典元:ja.wikipedia.org

本名:ヘンドリック・ヨハネス・クライフ

愛称:フライング・ダッチマン、エル・サルバドール、エル・フラコ、スーパースター

生年月日:1947年4月25日

没年月日:2016年3月24日

出身地:オランダ・アムステルダム

「トータルフットボール」の生みの親。アヤックスでUEFAチャンピオンズカップ3連覇や、オランダ代表でワールドカップ準優勝に導いた実績などから3度のヨーロッパ最優秀選手賞など、あらゆる栄冠を手にしました。

優雅で攻撃的かつインテリジェンス溢れるプレーで、観衆を魅了するカリスマ的なプレーヤーでした。

引退後は指導者として古巣アヤックスで指揮すると、1988年5月にバルセロナ監督に就任。

1989年から1994年に懸けてミカエルラウドルップ選手やロナルドクーマン選手、フリストストイチコフ選手、ロマーリオ選手らで形勢する「ドリームチーム」を完成させ、リーガ・エスパニョーラ4連覇やUEFAチャンピオンズカップ優勝などの実績を残しました。

また、カンテラ(下部組織)の重要性を説き、バルセロナ哲学の基礎を築き上げました。

そんなクライフ監督も2シーズン続けてタイトルを逃してしまい、1996年5月には成績不振で監督解任となりました。

「バルセロナの試合を楽しむことは、勝つことよりもはるかに重要です。」

-ヨハン・クライフ

  • 1988-89 リーグ 2位・国王杯 ベスト8
  • 1989-90 リーグ 3位・国王杯 優勝
  • 1990-91 リーグ 優勝・国王杯 ベスト4
  • 1991-92 リーグ 優勝・国王杯 ベスト16・チャンピオンズリーグ 優勝
  • 1992-93 リーグ 優勝・国王杯 ベスト4・チャンピオンズリーグ 2回戦敗退
  • 1993-94 リーグ 優勝・国王杯 ベスト8・チャンピオンズリーグ 準優勝
  • 1994-95 リーグ 4位・国王杯 ベスト16・チャンピオンズリーグ ベスト8
  • 1995-96 リーグ 3位・国王杯 準優勝・チャンピオンズリーグ ベスト4

ボビー ロブソン

在任期間:1996―1997

出典元:ja.wikipedia.org

本名:ロバート・ウィリアム・ロブソン

生年月日:1933年2月18日

没年月日:2009年7月31日

出身地:イングランド・ダラム州サクリストン

選手時代、17歳でフラムに入団。20年近くのキャリアをフラム、ウェスト ブロムウィッチ アルビオン、バンクーバー ロイヤルズと、3つのクラブとイングランド代表で活躍。

現役引退後は指導者として、ワールドカップ(86年、90年)2大会連続でイングランド代表を指揮し「イングランド代表史上、最高の監督」と称賛されています。

クラブでは2年間のPSV監督時代にリーグ2連覇を果たした後、スポルティング・リスボンを経て、ポルトをいきなり国内カップ優勝、翌シーズンからリーグ2連覇に導きました。

その手腕が評価され1996年7月にバルセロナの監督に就任。

バルセロナのマネージャー、ボビー・ロブソンが1996年にトレーニングセッションを開催している間、ペップ・グアルディオラは見守っています。

リーグ優勝は果たせませんでしたが、就任1年で国王杯(コパ・デル・レイ)、スーペルコパ・デ・エスパーニャ、UEFAカップウィナーズカップのタイトル獲得に導きました。

ちなみに通訳として影のようにロブソンを支えたのが、あのジョゼモウリーニョ氏だったのは有名な話です。

モウリーニョ、ボビー・ロブソン卿、ロナウドが、1997年にバルセロナで優勝したカップウィナーズカップで優勝しました。

・1996-97 リーグ 2位・国王杯 優勝

ルイス フアン ハール

在任期間:1996―2000・2002―2003

出典元:ja.wikipedia.org

本名:アロイーシウス・パウルス・マリーア・ファン・ハール

愛称:LVG

生年月日:1951年8月8日

出身地:オランダ・アムステルダム

選手時代は20歳でアヤックスのセカンドチームに加入しますが、出場機会を得られずロイヤル アントワープ(ベルギー)へ移籍。

その後はオランダ国内のテルスターやスパルタロッテルダム、AZで活躍します。

現役引退後は、アヤックスで多くの有望な若手オランダ人選手を率いて1994年から1996年までエールディヴィジを3連覇と欧州CLのタイトルも獲得。

★1997年夏にバルセロナの監督に就任。

これまでバルサスタイルとは違い、選手の能力よりも戦術・システムを重視したスタイルを浸透させ、初年度からリーガエスパニョーラと国王杯(コパ・デル・レイ)を優勝しダブルを達成。

翌1998-99シーズンもリーグ優勝を果たしました。

しかし、1999-00シーズンはデポルティーボ・ラ・コルーニャによってリーグ三連覇を阻まれ、またUEFAチャンピオンズリーグでの不振とバルサファンとの関係悪化等を理由に2000年に退任となりました。

ちなみにジョゼモウリーニョ氏がアシスタントコーチを務めています。

ルイ・ファン・ハール、ロナルド・クーマン、ジョゼ・モウリーニョをフィーチャーしたバルセロナの1999年のベンチ。

  • 1997-98 リーグ 優勝・国王杯 優勝・チャンピオンズリーグ GL敗退
  • 1998-99 リーグ 優勝・国王杯 ベスト8・チャンピオンズリーグ GL敗退
  • 1999-00 リーグ 2位・国王杯 ベスト4・チャンピオンズリーグ ベスト4

★2002-03シーズンから再びバルセロナを指揮することになりますが、システムを重視したスタイルのため、選手間でのトラブルも多くチームが低迷。

2003年1月、降格ゾーンのわずか3ポイント上、そしてリーグ首位のレアルソシエダから20ポイントの差をつけられたことを理由に退任となりました。

ロレンソ セラ フェレール

在任期間:2000―2001

出典元:alchetron.com

生年月日:1953年3月5日

出身地:スペイン・バレアレス諸島州パルマ・デ・マヨルカ

選手時代はプロ経験は無くアマチュア選手として地域リーグでプレー。

28歳の若さで監督のキャリアをスタートさせ、4部のポプレンセに就任し3部昇格に導くとマジョルカに招へいされます。

10シーズンに渡ってチームを支え、そのうち6シーズンを指揮し、1986-87シーズンには1部で6位の成績を残します。

1993-94シーズンから当時2部のベティスの監督に就任。

するといきなりチームを昇格させ、迎えた1994-95シーズンはリーグ3位に導きUEFAカップ出場権を獲得します。

さらに1996-97シーズンはリーグ4位となり、短期間でチームを強化した手腕は国内で称賛されました。

1997年にバルセロナの下部組織のコーチに就任し若手の指導にあたります。

2000年にトップチームのルイス・ファン・ハール監督が解任されたために後任監督に就任。

3-2-3-2という布陣を敷くものの、サイドの選手がひとりでハーフとバックの役割を担うため疲労しやすくなり、そこを攻め込まれるシーンが見られリーグ戦で低調な成績を続けました。

そしてUEFAカップ・準決勝でリヴァプールに敗れ解任となりましたが、クラブには残って再び若手育成の仕事に就きました。

2001年2月5日は、元コーチのロレンソセラフェレールが招待したプロとの最初のトレーニングの日です。

・2000-01 リーグ 4位・国王杯 ベスト4・チャンピオンズリーグ 1次L敗退

カルロス レシャック

在任期間:2001―2002

出典元:ja.wikipedia.org

本名:カルラス・ラシャック・セルダー

生年月日:1947年1月13日

出身地:スペイン・バルセロナ

選手時代、右サイドで天才的なテクニックを武器に活躍した名ウイング。

「Condal CF」という3部のチームから、バルセロナに迎えられ、その後、14シーズンに渡り、チームの攻撃の核として活躍しました。

その華麗なボール扱いで見る者を魅了しましたが、その反面、運動量は非常に少なく、やる気のないプレーを見せることも時折あり、リヌス ミスケル選手も「テクニックはクライフ以上だが、やる気がなく、ミスを人のせいにする」とそのスタイルを批判しており、評価の分かれる選手でもありました。

引退後、1981年~1987年までバルセロナBの監督を務め、1987-88シーズンからバルセロナのコーチに就任。

盟友クライフ氏の名参謀として活躍し、ドリームチーム時代の影の立役者となりました。

2001年から再びバルセロナの監督を務めましたが、監督としてはほとんど結果を残すことはできませんでした。

ただ監督時代、13歳で入団テストを受けに来ていたメッシ選手の才能を、いち早く見抜いた人物としても知られており、契約書の代わりとして用意された紙ナプキンにサインをしたことは今や伝説となっています。

ベストストライカー:メッシ(バルセロナ)。 #PremiosLaLiga

(彼は出席していませんでした、カルロス・レシャックは彼のために賞を受け取りました)。

・2001-02 リーグ 4位・国王杯 1回戦敗退・チャンピオンズリーグ ベスト4

ラドミル アンティッチ

在任期間:2003

出典元:ja.wikipedia.org

愛称:Raddy(ラディ)

生年月日:1948年11月22日

没年月日:2020年4月6日

出身地:ユーゴスラビア・ジティシュテ

選手時代のポジションはディフェンダー。パルチザン ベオグラードやフェネルバフチェ、レアル サラゴサで活躍。

引退後は指導者の道へ進み、レアルサラゴサ、レアルマドリードなどで指揮を執り、1995-96シーズンはアトレティコマドリードでリーガ・エスパニョーラ、スペイン国王杯優勝による二冠という偉業を成し遂げました。

2003年1月、ファンハール監督は解任され、後任として迎えられました。

ビクトルバルデス選手(GK)やイニエスタ選手(MF)ら若手選手に出場機会を与え、低迷していたチームを活性化させると、残りの試合を9勝6引き分け3敗という成績でチームを安定させました。

結果、リーグ6位で終了させUEFAカップの予選出場権獲得まで導きます。

しかし2003年6月、新クラブ会長となりましたジョアンラポルタ氏が「契約を交渉しない」と発表したため退任となりました。

ラドミル・アンティクとアンドレス・イニエスタは、バルセロナの監督兼イニエスタの最初のシニアシーズンとしてのアンティクの任期中の2003年。

・2002-03 リーグ 6位・国王杯 1回戦敗退・チャンピオンズリーグ ベスト8

フランク ライカールト

在任期間:2003―2008

出典元:ja.wikipedia.org

本名:フランクリン・エドムンド・ライカールト

愛称:フランク、パイン

生年月日:1962年9月30日

出身地:オランダ・アムステルダム

17才でプロ選手としての名門アヤックスでキャリアをスタート。この頃からすでにヨハンクライフ監督にその実力を認められていました。

オランダ代表とACミランの中心選手として活躍。

ルートフリット選手、マルコファンバステン選手と共に、1980年代末から続いたACミランの黄金期を支えた「オランダトリオ」のひとりです。

引退後はサッカー界から退くと直ちにアパレル業界に進出し、自らのデザイナーブランドを立ち上げ、男性用の下着類を取り扱っていましたが、1997年にサッカー界へ復帰し指導者の道へ。

1998年のオランダ代表監督を経て、2003年にバルセロナの監督に就任。

選手の不満を無くすのが非常に上手く、チームのモチベーションを上げ、選手掌握術に長けた指導力で2004-05、2005-06シーズンのリーガエスパニョーラ連覇に導き、さらには2005-06シーズンにUEFAチャンピオンズリーグ優勝へと導き、バルセロナの黄金時代の基礎を築き上げました。

その最もな象徴として、リオネルメッシ選手をトップチームに引き上げ、デビューさせたことは言うまでもないです。

2004
フランク・ライカールトはリオネル・メッシにバルセロナデビューを果たしました。彼はエスパニョールとの試合の後半にデコに取って代わった。

それ以来、彼は大丈夫です…

バルセロナを指揮した実績により2005年から2006年にかけては・・・

  1. UEFAクラブ・フットボール・アワード最優秀監督賞
  2. 国際サッカー歴史統計連盟 (IFFHS) 世界最優秀監督
  3. オンズドール年間最優秀監督賞をそれぞれ1回
  4. ドン・バロン・アワード年間最優秀監督賞を2回受賞

など多くの賞を受賞し、世界ナンバーワンの監督として評価を得ました。

しかし、2007-08シーズンではロナウジーニョ選手の退団騒動が持ち上がるなど内紛が続き、2季連続でタイトルを逃すと、ラポルタ会長から2007-08シーズン限りでの解任が発表されました。

  • 2003-04 リーグ 2位・国王杯 ベスト8
  • 2004-05 リーグ 優勝・国王杯 1回戦敗退・チャンピオンズリーグ ベスト16
  • 2005-06 リーグ 優勝・国王杯 ベスト8・チャンピオンズリーグ 優勝
  • 2006-07 リーグ 2位・国王杯 ベスト4・チャンピオンズリーグ ベスト16
  • 2007-08 リーグ 3位・国王杯 ベスト4・チャンピオンズリーグ ベスト4

ジョゼップ グアルディオラ

在任期間:2008―2011

出典元:ja.wikipedia.org

本名:ジョゼップ・グアルディオラ・イ・サラ

愛称:Pep(ペップ)

生年月日:1971年1月18日

出身地:スペイン・カタルーニャ州サンパドー

選手時代はバルセロナの象徴として君臨し、多くのタイトルを獲得しました。選手晩年はイタリアセリエA(ブレシア、ASローマ)や、中東カタール(アル・アハリ)、メキシコ(ドラドス・デ・シナロア)などでプレーし現役を引退。

2006年11月に引退すると、指導者の道へ進み、2007-08シーズンにバルセロナB(当時4部)で監督としてのキャリアをスタート。

就任1年でテルセーラ・ディビシオン(4部)からセグンダ・ディビシオンB(3部)に昇格させると、ライカールト監督に代わって2008-09シーズンからトップチームの監督に就任します。

ロナウジーニョ選手、デコ選手、エトオ選手ら中心のチームから、下部組織出身の選手を中心とするチームへ変革させると、就任1年目でスペイン史上初の国内杯、国内リーグ、欧州CLの3冠を達成させ多くのファンを熱狂させます。

2009年、ジョゼップ・グアルディオライ・サラは、コパデルレイの決勝戦でメスタラのアスレティッククラブを4-1で破り、バルセロナのコーチとしての最初のタイトルを獲得しました。

黄金時代の始まり。

翌年もヨーロッパ新記録となる勝ち点99で20回目のリーグ優勝し連覇を達成。

さらに、2010-11シーズンも3シーズン連続21回目のリーグ優勝と、チャンピオンズリーグ制覇の2冠達成に導きました。

2011-12シーズンをもってバルセロナ監督を退任となりますが、攻撃力に特化したチームを構築させ、獲得したタイトルは「14」と、名将クライフ氏を抜きクラブ史上最多優勝監督となりました。

2012年、ジョゼップグアルディオラは、ビセンテカルデロンでアスレチックデマルセロビエルサを3-0で下した後、バルセロナがコパデルレイを獲得することに別れを告げました。

ペドロ(x2)とメッシのゴール。

「ペップ」は14タイトルでステージ「キュレ」を締めくくった。

  • 2008-09 リーグ 優勝・国王杯 優勝・チャンピオンズリーグ 優勝
  • 2009-10 リーグ 優勝・国王杯 ベスト16・チャンピオンズリーグ ベスト4
  • 2010-11 リーグ 優勝・国王杯 準優勝・チャンピオンズリーグ 優勝
  • 2011-12 リーグ 2位・国王杯 優勝・チャンピオンズリーグ ベスト4

ティト ビラノバ

在任期間:2012―2013

出典元:ja.wikipedia.org

本名:フランセスク・ビラノバ・イ・バヨ

愛称:Tito(ティト)

生年月日:1968年9月17日

没年月日:2014年4月25日

出身地:スペイン・カタルーニャ州・バイカイラ・ダンポルダー

選手時代はグアルディオラ氏と同時期にカンテラで育ちますが、トップチームへはたどり着けませんでした。

バルサBやセルタ、バダホス、マジョルカ、レイダ、エルチェ、グラマネとチームを渡ってプレーするも、2002年に34歳で現役引退。

引退後は即座に指導者としての道を歩み始め、カデッテB(14-15歳)の監督としてバルセロナに再び加入しました。

ちなみに当時のカデッテBには「87年世代」と言われるメッシ選手、セスク選手、ピケ選手が在籍していました。

2002-03シーズンをもって一度バルサを去り、パラフルジェイの監督を務め、後にフィゲラスとテラッサのスポーツディレクターを務めることに。

2007年の夏に、グアルディオラ氏に助監督として声をかけられ、コンビを組んでバルサBでのチャレンジをスタートさせます。

そして2008年にグアルディオラがトップチームの昇格に伴い、トップチームの助監督となり、共に黄金時代を構築させました。

2012年4月、グアルディオラ氏が退任を表明したことにより後任監督に決定。

初めての監督で不安の声もありましたが、前半戦無敗で勝ち点55という好成績を収めると、リーガは34節時点で優勝を決め最終的に勝ち点100、115得点を達成。

2011-12シーズンにレアルマドリードが樹立したリーグ最多勝ち点記録と並び、2013-14シーズンも続投が決定していましましたが、健康上の理由から辞任が発表されました。

2014年4月24日に容態が悪化し、25日に帰らぬ人となりました。

2014年のこの日、ティトビラノワは癌との長い戦いの末に亡くなりました。

彼は100ポイントトロフィーでリーガを獲得した唯一のバルセロナマネージャーのままです

・2012-13 リーグ 優勝・国王杯 ベスト4・チャンピオンズリーグ ベスト4

ヘラルド マルティーノ

在任期間:2013―2014

出典元:ja.wikipedia.org

本名:ヘラルド・ダニエル・マルティーノ

愛称:Tata (タタ、パパ)

生年月日:1962年11月20日

出身地:アルゼンチン・サンタフェ州ロサリオ

選手時代は主にニューウェルス・オールドボーイズ(505試合の最多出場記録)で活躍。リーガでもテネリフェで15試合に出場しています。

現役引退後はアルゼンチンの小クラブをした後、パラグアイのリベルタでリーグ2連覇、セロポルテーニョでリーグ優勝で結果を残し、2007年にパラグアイ代表監督に就任。

2010年のワールドカップでパラグアイをベスト8に導き名声を得ます。

2013年シーズンより、ビラノバ監督の電撃退任を受け、バルセロナの監督に就任。

組織と戦術を重視し、対戦相手の分析も怠らない姿勢で、初の欧州クラブの指揮となりますが・・・

  • 「チャンピオンズリーグ準々決勝でアトレティコマドリードに敗退」
  • 「国王杯決勝でレアルマドリードに敗退」
  • 「リーガ最終節でアトレティコマドリードと引き分け」

などリーグ戦とカップ戦で無冠に終わり2013-14シーズン限りでの退団が決定しました。

8年前、ニューウェルズとの素晴らしいキャンペーンの後、ヘラルドマルティーノはバルセロナの新しいマネージャーになりました。素晴らしい採用。

どうだった?

ペインスーパーカップのチャンピオン。
コパデルレイとリーガで準優勝。
4位のチャンピオンで敗退。

・2013-14 リーグ 2位・国王杯 準優勝・チャンピオンズリーグ ベスト4

ルイス エンリケ

在任期間:2014―2017

出典元:ja.wikipedia.org

本名:ルイス・エンリケ・マルティネス・ガルシア

愛称:ルチョ

生年月日:1970年5月8日

出身地:スペイン・アストゥリアス州ヒホン

選手時代は攻撃的MF、ウイングとしてレアルマドリード、バルセロナで活躍。スペイン代表としても1994、1998、2002年と3度のW杯出場を果たしました。

現役引退後はマラソンやトライアスロンに参加するなどアクティブな活動をしていましたが、2008年にトップチームに昇格したグアルディオラ監督の後任としてバルサBの監督に就任。

当時3部所属のチームを2009-10シーズンには2部昇格に導き、2010-11シーズンは3位にまで躍進させました。

その後、セリエAのローマやセルタを率いた後、2014年にバルセロナ監督に就任。

厳格で決断力に優れた闘将として2度目の3冠獲得の偉業を成し遂げ、シーズン勝率83%(60試合50勝4分6敗)を記録し、就任初年にて50勝を達成した史上初の監督となりました。

続く2015-16シーズンもリーグ史上最多となる35戦無敗を達成し、最終的に39戦無敗記録を樹立するなど、リーグ優勝と国王杯連覇を達成させました。

そして2016-17シーズン、スーペルコパで優勝し3年目にして全タイトルを制覇、史上最速(126試合)で公式戦100勝を達成と、シーズン終了後に退任するまでリーグ連覇は逃したものの国王杯では無傷の3連覇を達成。

3年で9タイトル、勝率は史上最高の76.2%という驚異の記録樹立。

ちなみにルイスエンリケ監督は現実主義者で、周囲から批判を浴びても自らの方針をブレずに貫き通す強さを持っており、状況に応じて戦い方を変えられるチームとしての多様性は、そんなエンリケ監督がチームにもたらした功績の一つと言われています。

ルイスエンリケ(2015 CL決勝):「選手たちに「今日私たちに起こりうる最悪の事態は何ですか?」と尋ねたのを覚えています。今日あなたに起こり得ることは、ユベントスの選手であり、バルサと対戦しなければならないことです。」

  • 2014-15 リーグ 優勝・国王杯 優勝・チャンピオンズリーグ 優勝
  • 2015-16 リーグ 優勝・国王杯 優勝・チャンピオンズリーグ ベスト8
  • 2016-17 リーグ 2位・国王杯 優勝・チャンピオンズリーグ ベスト8

エルネスト バルベルデ

在任期間:2017―2020

出典元:ja.wikipedia.org

本名:エルネスト・バルベルデ・テヘドル

生年月日:1964年2月9日

出身地:スペイン・エストレマドゥーラ州カセレス県ビアンダル・デ・ラ・ベラ

選手時代はアラベスやエスパニョール、アスレティックビルバオ、マヨルカなどのチームで活躍。

バルセロナにも1988年から1990年の2年間在籍しており、出場機会には恵まれませんでしたが、クライフ監督の指導のもとUEFAカップウィナーズカップと国王杯のタイトル獲得に貢献しました。

現役引退後は指導者の道へ進み、アスレティックビルバオはじめエスパニョール、ビジャレアル、オリンピアコス、バレンシアなどを指揮してきました。

過去何度かバルセロナの監督候補に挙げられるも、正式なオファーには至っていませんでしが2017年5月、満を持してバルセロナ監督に就任しました。

2017-18シーズン、選手時代クライフ氏の薫陶を受けており、「バルサらしいパスサッカーを進化させられる」と期待され、それらの期待に応える形で国王杯・決勝ではセビージャを終始圧倒し5-0の大勝で優勝。

リーグ戦では4試合を残して優勝を決め、国内2冠を達成。さらに一昨季の第32節から数えて43試合無敗のリーグ新記録を打ち立てるなど、圧倒的な強さを見せました。

2018-19シーズン、リーガでは優勝して連覇を果たすも、チャンピオンズリーグのリバプール戦や昨季のローマ戦でともに第1レグで大勝しながらも第2レグで逆転負け、そして国王杯決勝でも敗れて勝負弱さを露呈してしまい、ファンから解任を要求されるも会長に擁護され残留が決定。

2019-20シーズンでは、開幕から低調なパフォーマンスを見せ、またもやファンから解任を要求されます。

そしてスーペル・コパのアトレティコマドリード戦、3対2の敗退をうけ2020年1月14日、監督を解任されました。

エルネスト・バルベルデがバルセロナでの彼の最初のシーズンで36試合のリーグで無敗になったときを決して忘れないでください。

本当にこれまでで最も過小評価されているマネージャーの1人

  • 2017-18 リーグ 優勝・国王杯 優勝・チャンピオンズリーグ ベスト8
  • 2018-19 リーグ 優勝・国王杯 準優勝・チャンピオンズリーグ ベスト4

キケ セティエン

在任期間:2020

出典元:ja.wikipedia.org

本名:エンリケ・セティエン・ソラール

愛称:Quique

生年月日:1958年9月27日

出身地:スペイン・サンタンデール県サンタンデール

選手時代は、主にラシン サンタンデール(12シーズン在籍)で主力として活躍。その他にアトレティコマドリードで3シーズンプレーし、スペインスーパーカップ獲得に貢献しています。

「1986 ワールドカップ」スペイン代表にも召集されたことがあります。

2001年にラシン サンタンデールで監督としてキャリアをスタート。

赤道ギニア代表やUDラスパルマスといったいくつかのチームを渡り歩き、2017年にレアルベティスを率いると、攻撃的なポゼッションサッカーでリーグ6位という好成績をおさめました。

以前からクライフ氏や、バルサのプレー哲学への敬意を隠すことなく認めていたため、2020年にバルベルデ監督の後任としてバルセロナの新監督に就任。

しかし、クライフ氏の攻撃的サッカーを信条とし、自身のスタイルを構築しようとしますが、「あのようなドレッシングルームはこれまでになかった。何かが違っていた。ショックを受けたよ」というように何も手を加える事が出来ず、最終的にレアルマドリードに次ぐ2位で国内リーグを終え、さらにチャンピオンズリーグ準々決勝のバイエルン戦で2-8の歴史的大敗を喫してしまい、2020年8月に解任となりました。

キケ・セティエンのバルサの試合あたりの平均ゴール数:1.44。

2019/2020バルベルデ(J19まで):2.58
2018/2019バルベルデ:2.37
2017/2018バルベルデ:2.6
2016/2017エンリケ:3.05
2015/2016エンリケ:2.94
2014/2015エンリケ:2.89
2013/2014タタマルティーノ:2.63
2012/2013ティト:3.02

・2019-20 リーグ 2位・国王杯 ベスト8・チャンピオンズリーグ ベスト8

ロナルド クーマン

在任期間:2020―2021

出典元:ja.wikipedia.org

愛称:大砲、スノーフレイク

生年月日:1963年3月21日

出身地:オランダ・北ホラント州ザーンダム

現役時代はサッカー史最高峰のリベロと言われ、クラブではPSVとバルセロナでビッグイヤーを獲得。

また、1990年・1994年FIFAワールドカップ、1988年・1992年UEFA欧州選手権のオランダ代表メンバーで、1988年UEFA欧州選手権では守備陣の要としてオランダの初優勝に貢献しました。

1997年に現役引退し指導者への道へ進むと、オランダ代表でヒディンク監督、バルセロナでファン ハール監督のアシスタントを務めました。

1999年にフィテッセ監督に就任しリーグ4位、2001-02シーズンにはアヤックスを指揮し4シーズンぶりのリーグ制覇と、国内カップと合わせて2冠達成へ導くなど、バルセロナでクライフ氏、オランダ代表でミケルス氏と歴史に残る名将から学んだ経験を生かした采配が注目されます。

しかし一方で、厳しい規律と秩序を重んじる監督として知られており、自分の子飼いの選手を集め、組織を作り、強くする力はあるものの「独善的で、高圧的な行動が多く、采配に自由度がない」と選手からの評判の悪さが目立つことでも有名でした。

2007-08シーズンのバレンシアでは奇跡的にスペイン国王杯を取ったものの、ダビドアルベルダ選手、サンティアゴカニサレス選手、ミゲルアンヘルアングロ選手の3人の主力をチーム活動から排除。人間的に横暴で傲慢なやり方に、チーム内外で不満が噴出し低迷しシーズン途中で解任。

「5カ月でチームを完全にぶち壊した。最後は選手に対し、別れの挨拶すらしなかった。悪い監督の典型。人間的にノーグッドだ」

と当時、バレンシアでプレーしていたホアキンサンチェス選手の言葉が物語っています。

そして2016年に就任したエバートンでも、2017-18シーズンには開幕9戦で2勝と精彩を欠き解任されました。

「クーマンに与えられたものなど何ひとつないよ」

とエバートンでプレーしていた元バルサのジェラールデウロフェウ選手も、辛辣に語っています。

そんな悪評高いクーマン監督ですが、念願でした古巣復帰を2020年8月に果たしました。

案の定、セルヒオブスケッツ選手はじめジョルディアルバ選手、ジェラールピケ選手などは「絶対に売らない」というリストから外すなど、再建を名目にした”コストカッター”にもなり得る存在に。

そして2020-21シーズンの成績は国王杯の優勝にとどまり、ラリーガは3位で終了。

結果的にはレアルマドリードやアトレティコマドリード、パリサンジェルマンといった強豪相手に一度も勝てないチーム状況を露呈してしまうことに。

ロナルド・クーマンの在職期間中のオスカル・ミンゲザ「チームはアイデアを信じることをやめ、誰もが自分のことを解決しようとしました。」

更に2021-22シーズン開幕前にはリオネルメッシ選手を失うなど、苦境に陥ります。

苦肉の策としてカンテラ出身の若手選手に積極起用するなど打開に努めたものの、チームは低迷。

2021年10月に行われましたレアルマドリード戦では、結果以上の完敗に喫し、続くラージョバジェカーノ戦でも0-1で敗れ、2021年10月28日にクラブから正式にクーマン監督解任を発表しました。

バルセロナのDFオスカル・ミンゲザは、ロナルド・クーマンが担当していたとき、楽屋には雰囲気がなかったと言います。

・2020-21 リーグ 3位・国王杯 優勝・チャンピオンズリーグ ベスト16

シャビ エルナンデス

在任期間:2021―

出典元:ja.wikipedia.org

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2015年夏にアルサッドへの移籍し2019年5月に現役引退を発表。

引退後はそのままアルサッドの監督に就任し7個のタイトルを獲得。

2021年3月にはカタール・スターズリーグで無敗優勝という圧倒的な強さをみせて、2年ぶりの栄冠へ導きました。

2021年11月6日、クーマン監督を解任したことにより、新たなバルセロナ監督に就任。

就任後、最初の試合となりましたエスパニョール戦では見事1-0で勝利し、カンプノウは祝福ムードとなりましたが、カタールリーグでわずか2年の監督としての経験不足・そしてクラブの財政危機という重荷が徐々にボーディーブローのように効き始め、2022-23シーズンにはリーグ優勝・スーパーカップの2冠を獲得したものの欧州での惨敗を問題視する声も多々ありました。

そして2024年1月、2023-24シーズンをもって退任を発表。

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私なりのまとめ

クライフ氏から学び得たことは非常に大きく、バルセロナで監督になることや、成功するにはクライフ氏の哲学が大きな指標となる事は歴代監督から見てもわかりますね。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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