インモービレ 歴代の背番号を調査!ドルトムントとセビージャで挫折した理由についても

こんにちは、抜群のセンスと決定力で、数々の勝利を掴んできていますチーロインモービレ選手。

現在、イタリアナンバーワンFWとして多くのファンを熱狂させています。

今回はそんなインモービレ選手についてまとめてみました。

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プロフィール

生年月日:1990年2月10日

出身地:イタリア・カンパニア州ナポリ県トッレ・アンヌンツィアータ

身長:185cm

体重:85kg

ポジション:FW

利き足:右足

【プレースタイル】

  • 鋭い飛び出しでDFの背後に抜け出す。
  • スピーディーに広範囲を動き回るアジリティ(機敏性)と強靭なフィジカル。
  • 両足から放たれる強烈なシュート。

歴代の背番号を調査!

当時セリエC2(4部リーグに相当)のソレントのユースチーム所属しており、U-16の全国リーグでプレーしていました。

パレルモやナポリといった地域の強豪を抑えて首位でグループリーグを終えると、ユベントスからスカウティングされ移籍を決断したそうです。

40番(ユベントス:2009-2012)

最高の環境で潜在能力を具現化させると、2009年3月のボローニャ戦でセリエAデビュー(19歳)を果たし、2009年11月にはチャンピオンズリーグのボルドー戦でヨーロッパデビューを飾りました。

2009年のこの日、チーロ・インモービルは、ユベントスがボルドーに2-0で敗れ、デルピエロに代わってヨーロッパデビューを果たしました。

しかしユベントスでの3年間(リーグ戦3試合に出場・無得点)は出場機会には恵まれませんでしたが、ダビドトレゼゲ選手をはじめ、フィリッポインザーギ選手、ルカトニ選手、ジラルディーノ選手といったストライカー達に刺激を受けたということです。

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9番(シエナ:2010-2011)

2010年7月1日、セリエBのシエーナへローン移籍となりました。

素晴らしい若いジューブのストライカー、チーロ・インモービルがシエナに貸し出された。この男の子は特別だと思いませんか?

シエナではリーグ戦4試合出場・1得点。

12番(グロッセート:2011)

しかしシエナでは出場機会に恵まれず、1月には同じセリエBのグロッセートへローン移籍します。

シーズン後半の加入にも関わらず水を得た魚のように活躍し降格危機にあったチームのセリエB残留(16位)に貢献しました。

チーロ・インモービルの素晴らしいゴール!!グロッセートを1-0対エンポリで追い抜く。グロッセートジャージで1位、チャンピオンシップで2位(シエナで得点)

グロッセートではリーグ戦16試合出場・1得点を記録。

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17番(ペスカーラ:2011-2012)

2011年8月17日、セリエBのペスカーラへのローン移籍が発表されました。

ペスカーラではゼーマン監督の指揮のもとでレギュラーポジションを確保し、ゴールを量産。

「ゼーマン監督は僕に正しい動きを教えてくれた。MFがボールを持っているとき、どこに走るべきか。そこに大まかな考えがある。重要なのは調整だ。どこに走って、どうやってできるだけ速くフィニッシュに持ち込むか。それを理解する必要があるんだ。」

リーグ戦37試合に出場・28ゴールでセリエB得点王に輝き、ペスカーラのセリエA昇格に貢献。セリエBの最優秀選手に選ばれました。

シエナ、グロッセート、ペスカーラへのローン移籍について・・・

「悪いものではなかったよ。成長できるチャンスを与えてくれるものだからね。おそらく、ユヴェントスに残っていても同じようなものはなかっただろう。チャンスが少なかったからね。」

後にインタビューに応えています。

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17番(ジェノア:2012-2013)

セリエBでの活躍が評価され、ユベントスとの共同保有権を獲得したセリエA ジェノアに完全移籍。

リーグ戦では33試合に出場し5得点を決めてチーム内得点王となり、チームのセリエA残留(17位)に貢献します。

そしてまたもや移籍の噂が・・・

ジェノアはチーロ・インモービルを手放すことはありません:ジェノアのスポーツディレクターは、チーロ・インモービルがリストにないことを確認します…

9番→10番(トリノ:2013-2014→2016)

決定力不足に陥っていたトリノからのオファーを受け、ユヴェントスがジェノアから保有権を買い戻し(275万ユーロ)、共同保有で移籍となりました。

八百長事件(当時)の余波により苦しいスタートと予想されるも、開幕からゴールを量産し絶対的エースとなります。

2014年3月のリヴォルノ戦ではキャリア初のハットトリックを達成するなど、22ゴールを決め、自身初のセリエA得点王となりました。

「トリノでのシーズンは上手くやることができた。これまでの悪いことを乗り越えてきたからね。難しいところもあった。最初の7試合でゴールを決められなくて、『インモービレはセリエAの準備ができていない』と言われることもあった。セリエBで上手くやっていたし、ゴールも取っていた。」

と当時の心境を語っています。

2013-14シーズンはリーグ戦33試合に出場・22得点を記録。

★2016年1月、リーガエスパニョーラで絶不調に陥っていた為、トリノへローン移籍となります。

徐々に試合勘を取り戻しシーズン後半で14試合に出場、5得点をマークしました。


2016年冬のベストトランスファー セビリアからトリノへの融資になります

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9番(ドルトムント:2014-2015)

2014年6月2日、満を持してブンデスリーガのボルシア・ドルトムントへの移籍が決定。

バイエルンへ移籍しましたレバンドフスキ選手の穴を埋める存在として期待されるも、リーグ戦24試合3得点という結果に終わり、批判が相次ぎました。

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11番(セビージャ:2016)

2015年7月12日、ドルトムントを離れたがっていたところでオファーを受け、1シーズンのレンタルで合意しました。

11月8日には移籍後初得点となるレアルマドリード戦で同点ゴールを決め、5試合出場したことによる買い取り義務によりセビージャへ完全移籍となりますが、わずか半年で移籍を志願しました。

セビージャではリーグ戦8試合に出場・2得点を記録しています。

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17番(ラツィオ:2016-)

★2016年7月、ラツィオへの完全移籍が決定。(移籍金875万ユーロ)

開幕戦からゴールを決めるなど、シーズン中36試合・23ゴールと量産。得点ランク6位となり、ポストクローゼ選手の役割を十分果たしました。

★2017-18シーズンも序盤から絶好調と波に乗りハットトリックを量産。ユベントスを唯一上回るシーズンTOTAL89ゴールの原動力となる活躍を見せ、33試合で29ゴールを挙げてイカルディ選手(インテルミラノ)と共に、セリエA得点王に輝きました。

★2018-19シーズンはリーグ戦36試合に出場・15得点で得点ランク10位を記録しています。

★2019-20シーズン、開幕戦2得点でセリエA通算100ゴールを達成すると、リーグ最多得点記録に並ぶ36ゴール(リーグ戦37試合に出場)を挙げ、3度目の得点王を獲得。

さらにはイタリア史上3人目となるゴールデンシュー(欧州最多得点者)を受賞しました。

★2020-21シーズンはリーグ戦35試合出場・20得点で得点ランク5位となっています。

また点を取るだけでなく周りを活かす器用さにも磨きをかけ、絶対的エースとしてラツィオを牽引しています。(チームは6位でフィニッシュ)

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代表の歴代背番号を調査

9番

2014年3月5日のスペインとの親善試合でイタリア代表デビューを果たすと、9月に行われましたオランダとの親善試合で代表初得点を挙げました。

11番

「UEFA EURO 2016」の23人のメンバーに選出されています。

2018ワールドカップ予選に招集され、マケドニア戦やイスラエル戦で貴重なゴールを挙げますが、本大会出場とはなりませんでした。

17番

2014年に開催されたブラジルワールドカップ(ウルグアイ戦0-1で敗戦)に出場しますが、グループリーグ敗退となりました。

イタリアのチーロインモービルは、2014FIFAワールドカップブラジルグループDのイタリアとウルグアイの試合中に反応します…

ロシアワールドカップ以降は主に17番の背番号で活躍しています。

2018年以来負けていないチームでプレーしている、現時点で世界のサッカーで最も多作なストライカーの1人。イタリアはユーロではるかに進んでいるため、Immobileが目標を達成することを意味します。動き、仕上げ、仕事率、彼はそれをすべて持っています。

現在、イタリア代表の中心選手として「EURO 2020」予選からチームを牽引。

ローマのオリンピコ・スタジアムでギリシャを迎え撃ち、2-0の勝利に貢献。

イタリア代表は7大会連続、通算10度目のユーロ本大会出場となり、優勝候補に挙げられています。

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ドルトムントとセビージャで挫折した理由についても

これだけのストライカーが「なぜ?」と思うのが、ドルトムントとセビージャで活躍出来なかった理由についてでしょう。

●まずドルトムントではドイツ語がわからず、コミュニケーションが取れなかったということです。

「アレは難しいね。だって、あんなにいるのにフランク・リベリはまだ話さないんだよ。オーバメヤングもそうだったし、香川真司もできなかったし。トーマス・トゥヘルがやってきて、彼はドイツ語で話しかけてきた。僕は『いや、わからない』と答えた。そして、彼は僕が難しい状況にあることに気付いたんだ」

「もっとよくできたかも知れないが、ユルゲン・クロップの最後のシーズンで運が悪かったのも確かだった。チームの調子が上がらず、僕がそのツケを支払わされた。」

と後の発言です。

●そしてセビージャではエメリ監督(当時)との確執が理由でした。

「スペインでは能力を発揮する機会が与えられなかった。僕が出場して然るべきときにもピッチに立てなかった。ウナイ・エメリとは全くそりが合わなくて……。」

とインタビューに応え、反響を呼んでいました。

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私なりのまとめ

これから円熟期を迎え、どこまでイタリアサッカー界を牽引していくのか、今後の活躍に注目ですね。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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