フェルナンドトーレス 歴代の背番号を調査!現在の姿に驚愕

こんにちは、数々の超絶プレーでスペイン代表およびアトレティコマドリードやリバプール・チェルシーで多くの勝利を掴んできました神の子・フェルナンドトーレス選手。

その神がかったプレーに魅了された世界中のファンは、今でも昨日のように思い出していることでしょう。。

今回、そんなフェルナンドトーレス選手についてまとめてみました。

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プロフィール

本名:フェルナンド・ホセ・トーレス・サンス

愛称:エル・ニーニョ(少年という意味)

生年月日:1984年3月20日

出身地:スペイン・マドリード州フエンラブラダ

身長:186cm

体重:78kg(現役時)

ポジション:FW

利き足:右足

【プレースタイル】

  • トップアスリート並みの身体能力を活かした力強いポストプレーや空中戦に強い。
  • ディフェンダーとの駆け引きに優れている。
  • 圧倒的なスピードで裏に抜けだしてのゴール。
  • 天性のゴール感覚を活かした多彩なフィニッシュパターンを持っている。

歴代の背番号を調査!

35番(アトレティコマドリード:2001-2002)

1995年に11歳で下部組織に入団。

1999年、15歳の時にアトレティコとプロ契約を交わし、16歳でトップチームに昇格。

スペイン代表U-16の一員として欧州大会に出場した直後の2001年5月27日、リーガ2部に落ちてかつてない苦しみを味わっていたクラブでトップチームデビューを果たしました。

そしてビセンテ・カルデロンで開催されたレガネス戦の65分に初ゴールを挙げます。

当時監督のカルロス・ガルシア・カンタレロ氏は・・・

「選手たちは全員早くデビューしたいと夢みていた。難局に入った試合において、彼を投入することで突破口が作れると思った。勝つために彼が役に立つはずだと考えた」

と回想しています。

また「あの時から多くのことが現実になった。僕の子供のころからの夢がかなったんだ」とトーレス選手は語っていました。

2001年6月3日にはアルバセテ戦で初のヘディングシュートを決めるなど、2001-02シーズンはセグンダ・ディビシオン(2部)で36試合に出場して6得点を決めチームの1部昇格へ貢献しました。

9番(アトレティコマドリード:2002-2007)

2002-03シーズンから背番号が9に変更しFWとして才能が開花します。

バルセロナ戦でロベルト・ボナーノから得点を奪うなど、29試合に出場して13得点をマークし一躍話題となりました。

フェルナンドトーレスの第1部でのデビューは、2002年9月1日のカンプノウでのことでした[バルセロナ2-2アトレティコマドリード

2003-04シーズンは19歳で史上最年少でキャプテンに就任。

35試合に出場して19得点を挙げて得点ランキング3位に入り、「エル・ニーニョ」伝説がより多くのファンの記憶に刻まれていきました。

2003年、10代のフェルナンド彼の史上最高のゴールの1つを獲得しました

  • 2004-05シーズンは16得点(リーグ6位)
  • 2005-06シーズンは13得点(リーグ6位)
  • 2006-07シーズンは14得点(リーグ9位)

1部昇格後の5シーズン全てで2桁得点を記録しチェルシーやリバプールの移籍報道が加熱していきました。

9番(リバプール:2007-2011)

2007年7月4日、ラファエル・ベニテス(当時)監督が獲得を熱望していたとしてリバプール移籍を発表。(背番号9番)

移籍金2650万ポンド(約65億円)・週給9万ポンド(約2200万円)の6年契約でした。

2007年8月、アストン・ヴィラ戦(アウェー)でデビューし2-1の勝利に貢献。

2007年のこの日、フェルナンドトーレスは、リバプールでの最初の試合ゴールを決めました。
誰がそれを覚えていますか?

速攻カウンターが多いプレミアリーグではそのスピードを活かして水を得た魚のように大活躍します。

2007-08シーズン、リーグ戦24得点を決め、イングランド挑戦1年目の外国人の最多得点記録を樹立。プレミアリーグの得点王争いでは2位となりました。

全ての大会を通じて29得点を奪い、当時のアイドルでしたマイケル・オーウェン選手が在籍期間中に記録した1シーズンでの最高得点数を凌ぎ、新たなチームのアイドルとなりました。

2008-09シーズンはリーグ戦は24試合の出場にとどまったにも関わらず、リーグ得点ランキング4位・チーム内得点ランキング2位の14得点を記録。加入から2年で早くも公式戦50得点を決めスーパーエースとなります。
ともに居残りでシュート練習をする仲というジェラード選手とのコンビはすでに芸術の域に達していました。

2009-10シーズン、リーグ戦は22試合に出場し18得点を挙げました。(得点ランク6位)

シーズン全ての大会を通じて32試合出場22得点の成績を残し、2度目のチーム得点王に輝いています。

リバプールではトータル102試合に出場し65点をマーク。

この頃からチェルシーへの移籍話が盛んになりますが、ビートルズを聴いて英語を覚えたと豪語するほどリバプールに染まっており、移籍話を一蹴していましたが・・・

9番(チェルシー:2011-2015)

2011年1月31日、チェルシーへ電撃移籍を発表。リバプールのアイドルを強奪・英国史上最高の5000万ポンド(約67億円)という移籍金で冬の移籍市場最大の衝撃をもたらしました。

2011年2月6日にはリヴァプール戦でチェルシーデビューを果たすも無失点に終わり、このまま903分間の無得点というクラブワースト記録樹立してしまいます。

チェルシーでは戦術組織に馴染めず有効に機能するまでには至らず、2010-11シーズンは14試合に出場し1得点しか奪えませんでした。

2011-12シーズン序盤からキレを取り戻し、単独で鋭い突破を何度か見せ不調を脱しつつありました。

初のレッドカードを受け、国内での3試合の出場停止処分を受けるなどの問題もありましたが、2012チャンピオンズリーグ・FAカップと2冠王獲得に貢献しました。

リーグ戦32試合に出場し6得点を記録。

2012-13シーズン、体のキレが戻り公式戦23得点をマーク。ヨーロッパリーグ決勝で先制ゴールを決め、優勝に貢献しましたが、大一番での重要なゴールが無いことが問題となっていました。

リーグ戦36試合出場し8得点をマーク。

2013年10月、チャンピオンズリーグ・シャルケ04戦で2ゴールを奪い、チェルシーでの100試合目の先発出場に華を添えました

しかしリーグ戦28試合に出場し5得点と依然低調を抜け出せずついに・・・!

チェルシーではリーグ戦で110試合に出場・20得点を記録しています。

9番(ACミラン:2014-2015)

2014年8月、ACミランはバロテッリ放出に伴いトーレス選手獲得(2年間レンタル)を発表しました。

9月23日第4節のエンポリ戦では、移籍後初ゴールを決め「神の子は初のカルチョで輝きを取り戻せるか」と話題となり、12月27日に2015年1月5日付でACミランに完全移籍することが発表となりました。

しかし2日後の12月29日、アトレティコ・マドリードへの移籍合意が発表されました。

ミランでは19試合に出場し3得点を記録しています。

19番→9番(アトレティコマドリード:2015→2015-2018)

7年ぶりにスペイン復帰となりました入団セレモニーには4万5000人ものファンが集まり熱烈な歓迎となりました。

しかしかつての輝きを期待していたファンにとっては19試合出場の3得点の結果には満足していないようです。

2015-16シーズンは9番を着用していたマリオ・マンジュキッチ選手のユヴェントス移籍に伴い背番号9に変更。

シーズン序盤戦はリーグ戦2得点に留まるなど苦しみましたが、24節のエイバル戦で4ヶ月ぶりの得点を挙げ、自身のアトレティコマドリーでの通算100ゴールを達成しました。

最終的には30試合に出場し11得点と2009-10シーズン以来となるリーグ戦2桁得点を記録して復活をアピールしました。

2016-17シーズン、ミランをとの契約満了に伴い2016年7月5日、アトレティコと1年の契約を発表。

2017年3月2日のデポルティーボ戦では相手のマーカーと衝突しバランスを崩して地面に頭を強打し、病院に緊急搬送されるというアクシデントがありました。(事なきを得ています。)

フェルナンドトーレスの頭部外傷アトレティコマドリードvsデポルティボ1-1リガ2017年3月2日神はあなたのトーレスを祝福します!

31試合出場し8得点を記録しています。

2017年7月4日に新たに1年の契約を結びましたが、2018年4月9日に2017-18シーズンでの退団がクラブより発表されました。

5月19日の最終節・エイバル戦ではキャプテンマークを付けフル出場し2得点を決めて、駆けつけた6万5000人のファンに別れを告げました。

9番(サガン鳥栖:2018-19)

2018年7月10日、サガン鳥栖移籍が発表され日本で大きな反響となりました。

降格争い真っ只中、シーズン途中の加入にも関わらず終盤はキャプテンマークを巻きチームの中心としてプレー。

17試合3得点と鳥栖のJ1残留に貢献しました。

2019年6月21日、2019年シーズン限りでの現役引退を発表し大きな話題となりました。

2019年8月23日、ヴィッセル神戸戦で元スペイン代表のアンドレス・イニエスタ選手とダビド・ビジャ選手と対戦し、現役生活に別れを告げました。

2019シーズンは17試合に出場し2得点を記録。

代表の歴代背番号を調査

14番・19番

2003年9月6日のポルトガルとの親善試合でA代表デビュ。

スペイン代表に入ったばかりのときは14番や19番を付けていたこともありました。

9番

2004年にはポルトガルで開催されたEURO2004に出場し本格的に背番号9となりました。

2006ワールドカップ欧州予選では、ベルギー戦で代表戦初のハットトリックを達成した他、11試合に出場して7得点を決めチーム内得点王になりまし。この頃のトーレス選手が好きだったという声が多々あります。

そしてEURO2008にはスペイン代表の中心選手として臨み、決勝戦のドイツ戦ではループシュートでの決勝点を決めスペインを優勝に導きました。

この試合のマン・オブ・ザ・マッチ&大会後にはパートナーを組むビジャとともに大会ベストイレブンに選出されています。

2010南アフリカワールドカップ・EURO2012の2冠達成に貢献するも怪我の影響で精彩を欠くシーンが目立つようになります。

2014ブラジルワールドカップではオーストリア戦で1得点決めるも精彩を欠き、スペイン代表は初戦のオランダ戦に1-5、続くチリ戦にも0-2で敗れ、ブラジル・ワールドカップ敗退国第1号となります。

トーレス選手も代表からフェードアウトしていきました。

現在の姿に驚愕

引退してからも体力維持のためにボクシングなどのフィットネスを取り入れた生活を続けており、現在は現役時代と別人のような筋骨隆々に変貌を遂げていたことで話題となっています。

元々現役時代からマドリード市内でスポーツジム「ナイン・フィットネス」を経営しています。

また、引退後はジムの経営と指導者(アトレティコ・マドリード下部組織のカデーテA(U-16)でアシスタントに就任)へと2つの道を進んでおり、2021年1月にアトレティコ・マドリードB(スペイン3部相当)のアシスタントコーチに就任していました。(しかし個人的な理由で一時退団していました。)

2021年9月4日、アトレティコ マドリードはフェルナンドトーレス氏が下部組織・フベニールA(U-19に相当)でアシスタントコーチを務めることを発表。

当初は、7月25日にフベニールAの監督就任を発表していました。

しかしトーレス氏は、欧州サッカー連盟(UEFA)の指導者ライセンス「UEFA A」を取得しているものの、このライセンスではユースチームの監督を務めることはできないということで、監督就任が大きな議論となっており、今回その問題に対してクラブ側が、アシスタントコーチとして迎えたということです。

今後、クラブとしては現行の規則に準拠していき、監督を務めることができるライセンス取得に向けた管理手続きを行っていくということです。

また「トレーニングや試合で指示を出すことは禁じられておらず、メディアに出ることを禁じる規則はありません」と、トーレス氏が表立って活動することは何も問題がないことをクラブ側も強調していました。

私なりのまとめ

アトレティコマドリードやリバプールでは伝説的な選手として今でも多くのファンに愛されています。

いずれはアトレティコマドリードやリバプール・チェルシーといったビッグクラブで指揮を執ることを期待しつつ(出来ればサガン鳥栖やJリーグでも)今後も応援し続けたいですね。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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