プジョル 歴代背番号を調査!引退後の現在・現役時代の凄さについても

こんにちは、応援しているチームが勝てない状況に「あの選手が今いてくれたらな」と考えてしまうことが多々あると思います。ましてやビッグクラブならなおのこと。

メッシ選手の退団騒動をはじめ、バルトメウ元会長によるスキャンダルやコロナ禍での大幅な収益減、そして肝心の試合でも勝ちきれないといった苦境に立たされていますバルセロナのサポーターがまさに今そういう考えになっているのではないでしょうか。

そこで今回は「あの選手が今いてくれたらな」と考える第一候補、バルサの象徴的な選手の1人でありますカルレス・プジョル選手についてまとめてみました。

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プロフィール

本名:カルレス・プジョル・サフォルカダ

生年月日:1978年4月13日

国籍:スペイン

出身:カタルーニャ州リェイダ県ラ・ポブラ・デ・セグール

身長:178cm

体重(現役):80kg

1995-96シーズン(当時17歳)にバルセロナのラ・マシア(下部組織)に入団。

入団にあたっては一番下手くそだったそうです。しかし・・・

  • いつだって練習には最初に姿を現し、チーム練習がオフの時でも汗を流す姿があった。
  • プレーするたび、たった数十分間のわずかな時間でも改善していた。

など、ポテンシャルに期待して当時のスカウトのマルティネス・ビラセカ氏が反対に遭いながら入団を許可したといいます。

ラ・マシア時代は「トップ下」「ウィンガー」「サイドハーフ」「守備的ミッドフィルダー」と複数のポジションを担当。

そして主にアタッカーとして活躍していましたが、右サイドバックにコンバートされてから本格的に敵と対峙することで、その戦闘力は引き出されていきました。

苦しい状況であればあるほど、持ち前のハートの強さに磨きをかけます。

1997-98シーズン、バルサB(当時19歳)で宿敵レアル・マドリードのBチームと2部昇格プレーオフを戦った際、試合前に手の指を骨折「最悪、指が一生、曲がったままになる」と出場回避を勧められましたが、断固として出場し、ゴールも叩き込んで昇格に貢献したいう伝説があります。

バルサBで4年間過ごし83試合に出場し、4ゴールを挙げています。

また、プレイベートではモデルのヴァネッサ・ロレンソさんとの間に2014年1月25日に第一子となる長女マヌエラさん、2016年1月には次女が生まれています。

歴代背番号を調査!

32番(バルセロナ:1999-2000)

デビュー前にはマラガへのローン移籍目前まで迫っていましたが、ラ・マシアを愛する若手発掘のプロ・名将ファンハール監督に引き留められ99-00シーズンにトップ昇格を果たしました。

1999年10月2日、クライファートとリバウドのゴールによって勝利したソリージャでのバジャドリー戦(0-2)で、シモン選手に代わって55分に右SBでデビューを飾りました。

24番(バルセロナ:2000-01~2001-02)

24番で最も印象的なのが2000年10月のエル・クラシコです。

カンプ・ノウでレアル・マドリードを迎えた時、“裏切り者”ルイス・フィーゴ選手をマンマークする役目を与えられました。当時、無名の選手が超有名スターに挑む形となりましたがプジョル選手は怯まず、すさまじい集中力でその技を封じ、歓声を受けるたびに動きは鋭さを増していき2対0の勝利に貢献しました。

このような凄まじい活躍により、バルセロナにとって欠かせない存在となったプジョル選手は、2002年欧州サッカー連盟 (UEFA) によるUEFAチーム・オブ・ザ・イヤー(右サイドバック)に選ばれました。

ちなみにプジョル選手の前の24番はロジェール ガルシア選手(MF)でした。

ガルシア選手もラ・マシア(下部組織)出身です。

  • 1994-95シーズンにデビューし、そのシーズンは5試合に出場。
  • 1995-96シーズンはトップチームに定着し、33試合に出場して5得点。
  • 怪我の影響などで1996-97シーズンからは出場機会を減らし、バルセロナ最終年となる1998-99シーズンは6試合のみの出場。

そしてプジョル選手の後の24番はアンドレス イニエスタ選手でした。(2003-04~2006-07)

バルセロナでの背番号24はバルサイズムを継承する意味があるのかも知れないですね。

5番(バルセロナ:2002-2014)

これまで右SBとフランク・デ・ブールの衰えによるミスが多くなっていたためCBと兼任で行っていた感がありましたが、フランク・デ・ブールの退団でCBにコンバートされました。

気持ちを前面に出したプレーでさらに才能を飛躍させ、誰にも負けない努力と克己の精神によって、誰もが認める世界有数のデフェンサのひとりとなっていきました。

2003-04シーズンから現役を引退したルイス・エンリケからカピタン(主将)を引き継いでいます。

キャリアの最初はクラブの暗黒時代だったため、念願だった初のタイトル獲得は2004-05シーズンのリーガでした。その後は史上最強チームの土台骨として、燦然と輝くタイトルを次々と手中に収めていくことになります。

クラブ史上、ビッグイヤーを掲げた初めてのカンテラ出身&カタラン人カピタンとしてCLを3度、リーガを6度、コパ・デル・レイを2度、クラブW杯を2度、UEFAスーパーカップを2度、そしてスーペルコパ・デ・エスパーニャを6度制しています。

  • 2004-05シーズンと2005-06シーズンには2シーズン連続でリーグ優勝。
  • 2005-06シーズンには14シーズンぶり2度目のUEFAチャンピオンズリーグ制覇。
  • 2005年と2006年には2年連続でUEFAチーム・オブ・ザ・イヤー(センターバック)に選出。
  • 2006年にはUEFAクラブ最優秀ディフェンダーに選出。
  • 2008-09シーズンにもヨーロッパを制し、同トロフィーを2度掲げた初めてのバルサカピタン。

2010-11シーズン3度目のチャンピオンズリーグ制覇。

ちなみに当時ロナウジーニョが在籍していたACミラン戦は大いに盛り上がりました。

2012年2月11日のオサスナ戦では、出場56試合連続無敗の偉業を達成。

同年にはミゲリ(549試合)を抜き、バルサの歴代試合出場数でチャビに次ぐ2位(当時)となっています。

しかし数々の偉業の裏には99-00シーズンのトップチーム入り以降ケガの回数が36回と代償を負っていました。

  • 右足が17。
  • 左足が7。
  • 脇腹を含む腹部が5。
  • 左肘が1。
  • 右肩が1。
  • 頭部が5。

そして110週以上を治療に当てていました。

満身創痍の状態で2011年以降は特に右ひざの故障が続き、出場機会を大幅に減らしていきます。

36度目の右膝の負傷により2014年3月、ミゲリのリーグ戦出場記録(391試合)を抜いた2日後にシーズン終了後のバルサ退団を発表。

同年5月には退団セレモニーが催され、36歳で現役に別れを告げました。

その後、背番号5はプジョル選手本人の指名でセルヒオ ブスケツ選手に引き継がれています。

歴代背番号(スペイン代表)

ラ・ロハ(スペイン代表)での歴代背番号は 12・2・5 

不動のレギュラー無敵艦隊の守りの要として活躍しました。

ちなみにバルサの右SBに定着した2000年にはシドニーオリンピックに出場(背番号12)して銀メダル獲得に大きく貢献していました。

  • 2002年、2006年、2010年のワールドカップ出場。
  • 2004年、2008年のUEFAユーロに出場。(2012年のユーロはヒザの怪我のため参加できず)

EURO2008では守備陣の要としてチームを支え、5試合で2点しか許さず優勝。

EURO2008のエディション。#ESP#EURO2020

カシージャス-ラモス、マルケナ、プジョル、カプデラ-セナ、シャビ、イニエスタ-シルバ-ヴィラ、トーレス。

どんな思い出

2010FIFAワールドカップではジェラール ピケとセンターバックのコンビを組んで全ての試合に先発出場し決勝ではオランダを1-0で下し初優勝に大きく貢献しました。

引退後の現在について

2014年5月30日アンドニ・スビサレッタSDのサポート役としてのフロント入りを発表しました。

2015年1月、アンドニ・スビサレッタSDの契約解消が決まり、自身もクラブを離れることを発表しました。

そしてフロントを離れ代理人として活躍しておりクライアントは以下の選手たちです。

アイメリク・ラポルテ

マンチェスターシティで活躍していますアイメリク・ラポルテ選手(DF)。

エリック・ガルシア

ラ・マシア出身でマンチェスターシティからバルセロナに移籍しますエリック・ガルシア選手。(DF)

マルク・バルトラ

レアル・ベティスで活躍していますマルク・バルトラ選手。(DF)

アドリアン・ベルナベ

ラ・マシア出身でマンチェスターシティで活躍していますアドリアン・ベルナベ選手。(MF)

カルレス・アレニャ

バルセロナ所属で2021年1月、ヘタフェCFにシーズン終了までローン移籍しましたカルレス・アレニャ選手。(MF)

現役時代の凄さとは?

凄さについては以下のようなことが言われています。

  • 世界最高のクラブのキャプテンで、数々のタイトルを獲得しているにも関わらず、「おれは世界一だ」などと満足する素振りを見せたことがない。
  • 「どうすればもっとうまくなるか」を常に考えている並外れた向上心の強さ。
  • ゴールを割るか割らないか、ギリギリのところでクリアする場面が多々あり、絶対にあきらめないハートの強さ。
  • いつボールに行くのか、いつスペースを埋めるのか、いつディフェンスラインを修正するのかといった、質の高い状況把握と判断を持っている。
  • 守備の場面でボールが自分から遠いサイドであっても100%の力で守備に戻る献身性がある。
  • 動き出しのスピードとフィジカル的なスピードを備えているので、ネイマールのような選手でも封じ込めることができる対人プレーの強さを持っている。
  • 鋭いよみ(判断)は守備面だけでなくセットプレーにおいての得点力も備えている。

私なりのまとめ

現役時代の偉大な功績や人柄を知れば知るほど、今のバルセロナの状況を考えれば絶対に必要な存在だと誰もが思うことでしょう。

いずれは何らかの形でバルセロナに戻ってくることを期待したいですね。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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