こんにちは、創造性あふれるプレーでクラブチームやイタリア代表を頂点に導きましたアンドレアピルロ選手。
モダンサッカーの先駆けとして数々の華麗なプレーは今でも多くのファンの目に焼き付いています。
今回はそんなピルロ選手についてまとめてみました。
スポンサーリンク
Contents
プロフィール
愛称:マエストロ
生年月日:1979年5月19日
出身地:ロンバルディア州ブレシア県フレーロ
身長:177cm
体重:68kg(現役時)
ポジション:MF
利き足:右足
【プレースタイル】
- 卓越した戦術眼で試合のリズムを作るサイドチェンジやゴールに直結するスルーパスが武器。
- 正確無比のFK。
- 基本のボールを止める・蹴る技術が非常に長けている。
- 一人ひとりの選手がピッチ上のどこに、どうポジショニングしているかを正確につかめる視野の広さ。
- 相手選手とチームメートの動きを予知する能力が高い。
- パスを受けた時点である程度どのようにパスをして相手を崩すのかを決めている。
- 相手をかわす技術が優れている。
歴代の背番号を調査!
21番(ブレシア:1995-1998)
実績がなかったので残っている番号から21番を選んだということです。
少年時代はキオスクで販売していた「偉大なる10番」というビデオのジーコ編・マラドーナ編・プラティニ編のFKの映像を何度も見ていたそうです。
地元もクラブチームで活躍したのち、ブレシアのユースに引き抜かれトップチームに昇格。
そして1995年5月21日、レッジャーナ戦の試合終了間際に16歳でセリエAでデビューを飾りました。
当時は自身がトップ下の選手であると自覚しておりチームメイトだったエマヌエレ・フィリッピーニ氏も・・
「当時の彼は、今、皆が知っているピルロとはまったく違う選手だったんだ。16歳ながらに優れたテクニックを持つトップ下だったよ」
と雑誌『Goal』のインタビューに応えています。
#Lawas2
Brescia Home 1996
#21 PIRLO (DEBUT)
Size L (71×56)
NNS Remake Velt
Minor bobbles pic.twitter.com/htPDuIa2PQ— Lawas! (@lelanglawas) February 3, 2018
順調に成長を続け、1997-98シーズンに才能を完全開花させます。
ブレシアは降格となったものの、チームメイトだったアントニオ・フィリッピーニ氏が「彼のタッチは際立つほど繊細で、まるで空を飛んでいるかのようだったね」が言うように多くの人を魅了するプレーで活躍。
この活躍により19歳になる前にU-21代表に選出されました。
47試合出場し6得点を記録。
この時にロベルトバッジョ選手から後継者に指名さています。
11番(インテルミラノ:1998-2001)
ついにインテルからオファーが届きました。
しかしフィジカルの弱さが問題だったため、マークの厳しいトップ下では、自身のアイデンティティーを見出すことができず、まともな出場機会も与えらませんでした。
22試合出場し0得点に終わりました。
ピルロ、インテル時代。 pic.twitter.com/R3Vvt9wR
— hide7o (@gato_choco_lat) January 31, 2013
30番(レッジーナ:1999-2000)
選手層の厚いインテルでは試合に出場できないため1999年にレッジーナへレンタル移籍となりました。
開幕後の移籍で21が埋まっていたため、10の3倍で選択したらしいです。
当時レオナルド選手やマルディーニ選手を擁するACミランに得点を決めるなどレッジーナでは輝きを取り戻しつつありました。
28試合に出場、6得点をマーク。
5番(ブレシア:2000-2001)
再びブレシアにレンタル移籍となりました。マッツォーネ監督(当時)から、ローマ時代のファルカンの様なプレーを求められ、それならと背番号も5番にしたそうです。
そしてマッツォーネ監督(当時)から・・・
「前には(ロベルト)バッジョがいて君のポジションは埋まっている。君には後ろでプレーしてもらいたい。君はレジスタをやるべきだ」
と進むべき道を指南されました。
海を渡った稀代のレジスタ…ピルロ、ついに現役引退…。
ブレシアでファンタジスタと共演…トップ下から中盤の底へ。その後、ロッソネロの指揮者としてタクトを振るうレジスタに…。
ワクワクしながら深夜の試合放送をみていたな〜。10+5=15
うちの背番号15も皆に愛されるキャラになって欲しい。 pic.twitter.com/DbBnOe0LUp— 馬場@三春SC/FC三春 (@vavaggio) November 9, 2017
10試合に出場し0得点、バッジョ選手と一緒にプレーしたのはわずか数試合でしたが、それはピルロ選手にとってこのポジションでこそ主役になれるという確信に変わったということでした。
21番(ACミラン:2001-2011)
2001年7月1日、ACミランに完全移籍をします。2000-01シーズン終了後の6月21日に結婚。このこともあり21番を選択しました。
- ミランではトップ下にルイコスタ選手がいた事。
- アンチェロッティ監督(当時)がブレシア時代にレジスタでの活躍を知っていた事。
- セードルフ選手、ガットゥーゾ選手、アンブロジーニ選手といった強力なハードワーカーで守備能力に秀でたMFがいた事。
などの条件が重なりピルロ選手は攻撃の指揮を司る存在として、長短織り交ぜたパスを供給し続けレジスタとしてのポジションを確立しました。
★ 2002-03&2006-04チャンピオンズリーグ優勝
UEFA CL 2002-2003
決勝戦:ユヴェントス vs ACミラン
優勝チーム:ACミラン
監督アンチェロッティ
先発メンバー
GKジーダ,DFコスタクルタ,ネスタ,マルディーニ,カラーゼ,MFガットゥーゾ,ピルロ,セードルフ,ルイ・コスタ,FWシェフチェンコ,インザーギ— 蒼ねこ(あおねこ) (@aoneko_9) April 25, 2015
現在のレアルマドリードと黄金時代ACミランなら、どちらが強いだろうか。
例
CL 2006-2007優勝メンバー
クリスマスツリーフォーメーション(4-3-2-1)
インザーギ、カカ、セードルフ、ピルロ、ガットゥーゾ、アンブロジーニ、カフー、マルディーニ、ネスタ、ヤンフロスキー、ジダカカ&ピルロ 無双
— 蒼ねこ(あおねこ) (@aoneko_9) December 20, 2017
★ 2002-03コッパイタリア優勝
13年前のイタリア杯優勝のACミラン。リバウドが決め、インザーギが決めた。ピッポ、セードルフ、ガットゥーゾ、ネスタ、いいねー。ACミランが搭載したクリスマスツリーシステム4-3-2-1でコッパイタリア制覇。 pic.twitter.com/hWK9sDPxqu
— ヴィズマーラ恵子🇮🇹イタリア在住 (@vismoglie) March 2, 2016
★ 2003-04&2010-11のリーグ制覇
海外サッカーちゃんと見始めたのが2003-04シーズンぐらい。ミラン、アーセナル、バレンシアが優勝してたのは覚えてる。ブンデスもバイエルンじゃなかったような。ブレーメンだったはず。
— こじゃ (@koja13oknw) June 22, 2020
んで、その2010-2011シーズンのミランを見たら、あぁ優勝してもおかしくないなって思うわ。
ネスタにチアゴ・シウバが居て、ピルロ、ガットゥーゾ、セードルフは健在だし、ファン・ボメルもいる。FWにはズラタン、ピッポに加えてカッサーノだもんな— ルイ (@rui_spitz) May 7, 2015
リーグ戦284出場し32得点と王者ミランの最強時代を支えました。
ちなみにクールな外見とは異なりピッチ外では無類のいたずら好きとしても有名でした。
21番(ユベントス:2011-2015)
10年間在籍したミランに別れを告げ、2014年までの3年契約を発表。
2年連続7位という不本意な結果を受けユーベ復活の鍵を握る唯一無二のレジスタに白羽の矢が立ちました。
移籍早々、快進撃を続けるチームを支え、2002-03シーズン以来となるスクデット獲得(ミラン以来20季ぶり2チーム目となる無敗優勝)に貢献。
UEFA.comのシーズンレビューで年間最優秀選手に選ばれています。
2011-12シーズンに無敗優勝達成してた。ピルロとかリヒトシュタイナー獲得時と書いてあったなー
— かず🎤🌈 (@suzukamikuni_46) March 19, 2020
33歳・34歳を迎えても不動のレジスタとして君臨。
【商品情報】心斎橋店
13-14 ユベントス
元イタリア代表
アンドレア・ ピルロ選手☆加入3年目でセリエA、3連覇達成☆☆☆
ベテランと言われながらも更に躍進したユベントス時代。#Juventus #serieA #アメ村 pic.twitter.com/SdmWPdvSuA— Vintage Sports (@VintageSports1) July 15, 2016
2012-13シーズン&2013-14シーズンとリーグ3連覇・チャンピオンズリーグ準優勝に大きく貢献しました。
欧州最優秀選手賞候補10名発表…ユベントスからはピルロも含め最多5名 – http://t.co/Tt5R6fPM3b
2014-15シーズンの候補者は、UEFAチャンピオンズリーグ(欧州CL)で準優勝だったユベントス
— FOOTBALL-STATION.net (@fsntweet) July 15, 2015
ユベントスでは119試合に出場し16得点を記録。
21番(ニューヨークシティ:2015-2017)
2015年7月6日、MLSのニューヨーク・シティFCに移籍が決まりました。
【ニュース】新天地で意気込むピルロ「リーグを制覇したいという野心は一緒」
ニューヨーク・シティへの加入が決まったピルロがタイトル獲得に向けた意気込みを語っています。http://t.co/9U0WSbjlZt pic.twitter.com/xCcB8Rn7RQ— 超ワールドサッカー (@ultrasoccer) July 7, 2015
「このような経験をずっと心待ちにしていた。ようやく実現することができた。このクラブは成長しており、私と同じように成功を得たいと飢えている。勝利ができるようにと願っている」
とコメントしています。
当時はランパード選手・ダビドビジャ選手との共演も大きな話題となりました。
ビジャ、イニエスタ、ポドルスキも凄いけど、
ランパード、ビジャ、ピルロが一時期同じチームだったんだよね。
MLSのニューヨークシティ。 pic.twitter.com/PPJFTjEmE9
— ブルーマツ (@bluematsu25) November 18, 2019
MLSでは60試合に出場し1得点を決めるも2017年11月6日、自身のtwitterで引退することを発表。
引退理由については・・・
「パスを長く蹴りすぎたり、シュートをミスしてしまったり…その時に、『ピルロは歳をとったな、彼は終わった。これ以上はムリだろう』と思われる。私は、スタンドにいる人々が顔を見合わせてそう思うような状況になるまで続けたくはなかったんだ。そのようなことには耐えられないんだ。私は」
ということです。
ピルロよね…ピルロよね…
間違いなくUー23監督に就任したばかりのあのピルロよね😅💦
年齢は41歳でおいらより1つ歳上の人が🇮🇹Juventusトップチームの新監督だぞおい!😆♥😂💖👍 pic.twitter.com/l8wa9hDh7q
— 石本 展也★☆ (@aclbzoak) August 8, 2020
代表歴代背番号を調査
17番
2002年9月7日のアゼルバイジャン戦でデビューしこのときはの背番号は17番です。
10番
2004年3月に行われましたポルトガルとの親善試合。
2004年のアテネオリンピックにはオーバーエイジで出場しキャプテンとして銅メダル獲得に貢献しています。
Andrea Pirlo en una de sus materias preferidas. La barrera de Argentina teme lo peor y los rostros de los muchachos lo dicen todo. D’Alessandro, Rosales, el Kily y Carlitos. Pfff. La vieja escuela.
Qué buenos tiempos en Atenas 2004… 🍿🍿 pic.twitter.com/BvIZWJAGE9
— Ataque Futbolero (@AtaqueFutbolero) September 11, 2020
In 2004: Pirlo wins Bronze medal as Captain in Olympics of Athens 2004. #ItalianPride #Winner pic.twitter.com/zkJvaWTpv8
— Riccardo (@Italcatenaccio) May 19, 2013
2004年:ピルロは2004年アテネオリンピックのキャプテンとして銅メダルを獲得しました。
また、2009年2月に行われましたブラジルとの親善試合で10番を付けています。
21番
「UEFA EURO 2008」「2010 FIFAワールドカップ」「UEFA EURO 2012」「2014FIFAワールドカップ」といった主な大会では21番を付けてプレーしています。
その中でも一番光り輝いていたのは「2006FIFAワールドカップ」の優勝です。
初戦のガーナ戦、準決勝のドイツ戦、決勝のフランス戦と3度のマンオブザマッチに輝き、ブロンズボール賞を受賞しました。
今夜のEURO。イタリアvsクロアチア。超重要。1994アメリカワールドカップ以来、イタリアをガチ推しする。俺のサッカーの永遠のヒーロー、イタリアのジャンフランコ・ゾラの21を受け継ぐ男ピルロ。ピルロのパスからのゴールを狙う俺のカッサーノ、バロテッリ。ゴールを守るのはブッフォン。
— アナログ男 (@analogotoko) June 14, 2012
2014FIFAワールドカップの前に代表引退を表明するも大会後に代表復帰を発表。しかしそれ以降代表には招集されませんでした。
【ニュース】
イタリア代表のEUROメンバー候補、ピルロやジョヴィンコ、バロテッリは復帰ならずその他にも最新のニュース&コラムを配信中!
詳しくはコチラをチェック!⇒https://t.co/Hl6rzVaNss#wowow #EURO2016— WOWOWサッカー (@wowow_soccer) May 27, 2016
現在
2023年6月27日、セリエBに降格しましたサンプドリアの監督に就任しました。(2年間契約)
🇮🇹 #ピルロ がイタリアに戻ってくる!🔙
セリエB降格の #サンプドリア、指揮官ピルロの就任発表!
12年ぶりセリエBの舞台で1年での昇格目指す。https://t.co/ipX1tpN3DX
— GOAL Japan (@GoalJP_Official) June 28, 2023
引退後は指導者への道に進み2020年8月にユヴェントスの監督として就任します。
イタリア杯とスーパーカップを制しましたが、10連覇を目指したセリエAで4位、チャンピオンズリーグではベスト16敗退と低迷させてしまい、シーズン終了後に解任となります。
その後2022年6月にはトルコ1部所属の「ファティ カラギュムリュク」の監督に就任(1年間契約)しますが、2023年5月には契約解消となりました。
ちなみにファティ カラギュムリュクは1926年に創設。
2020-21シーズンから1部に昇格、2021-22シーズンは8位、2022-23シーズンは7位でした。
ピルロの名言・格言集12選
クールな外見やプレー同様に発言もクールで、しかも奥が深いこともあり毎回注目されます。
ピルロのかっこいい
発言(*´∇`*)あれこれ説明はしません!!
ピルロ=エレガントな紳士!!
異論は認めませんw本当ステキ(*^^*)
あーまたテンション
上がってきた♪— P’AveL (@Ciel_juve_11) August 25, 2012
そこで注目された珠玉の言葉12選を紹介します。
1.「閃きで試合に火を点ける、それがファンタジスタだと思う。」
2.「FKはPKよりも簡単だ。」
3.「試合は一秒で変わる。」
4.「蹴り方の秘訣を言うならば、1に練習、2に練習、3に練習」
5.「簡単に言えば、身の回りに起こるすべてのことをポジティブに向けていく。その一言に尽きると思う。」
6.「PKキッカー指名は絶対に拒否したらいけない。蹴ることを拒否できる場面などサッカーには存在しないからだ。疲れを理由にPKを失敗することもあってはならないことだ。」
7.「周りの人よりもうまくなりたいと野心を持つことによって、(強いメンタリティーが)備わったと感じているよ。」
8.「準備というのは週末の試合に合わせてトレーニングすることだけじゃない。たとえば何を食べるか、何を飲むか。自分の行動の一つひとつに、こだわらなければならない。」
9.「日々のトレーニングは凄く重要。個人としてチームとして、どういったプレーを実現させたいのかを考えつつ、全力でやらなければならない。トレーニングというものはあくまで通過点。きちんと練習しておけば、試合で実現できる可能性が高まるという考え方を僕は持っている。」
10.「絶対に決めるんだという自信を持つことが何より大切。」
11.「ダービーマッチに順位は関係ない。」
12.「GKはとても気合いが入っているように見えたから、あのように蹴ろうと思った。あのように蹴る方が、ゴールは簡単だった。」
12に関してはユーロ2012準々決勝イングランド戦は0-0のPK戦となりました。
両チームともに1番手が決めて迎えた2番手、リッカルドモントリーヴォ選手が失敗し、イタリアは1-2とリードを許した場面でピルロ選手が登場。
緊迫した状況にもかかわらずピルロ選手が絶妙なチップキックでゴールを決めて、イタリアに流れを引き寄せ4-2で勝利したときのインタビューでの発言です。
以上の12の名言・格言から分かる通り、ピルロ選手の生き様が現れてる感じがします。だから注目されるのだと思いました。
私なりのまとめ
約2年ぶりに指揮官としてイタリアに戻ってきますが、どのようなチームを作り上げていくのか大注目ですね。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
【関連記事はこちら】
スポンサーリンク