ラキティッチ 歴代の背番号を調査!年俸推移も気になる

こんにちは、汗かき役としてピッチの至るところに顔を出し、足下の技術と確かな戦術眼で攻守に貢献し、数々の勝利を手にしてきましたイヴァン・ラキティッチ選手。

特にファンとしてはバルセロナの主力でリーグ優勝(2連覇)・チャンピオンズリーグ優勝の原動力になっていた印象が強烈に残っていると思います。

またクロアチア代表の中心メンバーとしてワールドカップ準優勝に貢献したことも忘れられません。

今回、そんなラキティッチ選手についてまとめてみました。

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プロフィール

生年月日:1988年3月10日

出身地:スイス アールガウ州ラインフェルデン市

身長:184cm

体重:78kg

ポジション:MF

利き足:右

プレースタイル

  • 中盤であればどのポジションでもこなすことができるユーティリティ性。
  • アタッキングサードでのラストパスのアイデアが豊富でパスセンス・シュートセンスは超一級品。
  • ドリブルのテクニックも超一流。
  • キックの精度が高く、強力なミドルシュートが武器。
  • 豊富な運動量をベースにハードな守備をこなす。
  • 90分を計算したゲームメイク能力を備えている。

プライベート

ちなみに2011年、当時ホテルのバーに勤務していたラケル・マウリさんにラキティッチ選手が一目惚れし、一説によると30回もアプローチしたということです。

7ヶ月の間、ラキティッチ選手の熱烈なプロポーズの末、2013年に結婚。

そして2012年に(長女)アルテアさんと2016年に(次女)アダラさんという二人の娘を授かっていました。

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歴代の背番号を調査

17番(バーゼル:2005-2007)

建設会社で働く元サッカー選手の父親がフットボール選手で、10歳年上の兄も選手であり、フットボール一家で育ったラキティッチ選手は当然のようにボールを蹴り始め、”ミョフリン=リブルグ”でキャリアをスタートさせました。

そして7歳でFCバーゼルの下部組織に入団。

MFとして頭角を現しチェルシーやユベントスから入団に向けた打診があったということです。

「僕はチェルシーからのビッグオファーを受け取っていたんだ。他にも、ユヴェントスからの提示も貰っていた。ただ、僕は家族とともにスイスに残ることを決断したんだ」

2005年9月にはUEFAカップのNKシロキ・ブリイェグ戦でトップチームデビューをはたしました。

  • ワンボランチのときの右サイドハーフ。
  • ワントップの下。
  • ツートップのひとり。
  • ボランチのポジション。

といったあらゆるポジションをこなしユーティリティ性を発揮させ、2006-07シーズンにはレギュラーとしての地位を確立。

バーゼルの中心選手でドルトムントへ移籍が決まったペトリッチ選手の不在の間、その穴を埋める活躍。

この年のリーグ戦33試合に出場して11得点を挙げリーグ若手最優秀選手・年間最優秀ゴールに選出され欧州(プレミア・ブンデス・セリエA・リーガ)の強豪チームから注目されました。

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10番(シャルケ04:2007-2011)

2007年6月22日、シャルケ04(ブンデスリーガ)に移籍を発表。

契約期間は2011年までで、移籍金は約8億円(5億円弱という説もあり)ということです。

★2007-08

移籍した初年度の開幕戦では前年度王者・VfBシュトゥットガルト戦でリーグ初得点を決めて2-2の引き分けに持ち込む活躍をみせて注目されました。

また、バイエルン戦でチーム唯一の得点を挙げて勝ち点獲得に貢献やUEFAチャンピオンズリーグベスト8進出に貢献するなどめざましい活躍をしました。29試合出場・3得点。

★2008-09

主力としてチーム7アシストを記録するなどUEFAチャンピオンズリーグ出場権を得られるリーグ戦3位以内に大きく貢献。23試合出場・1得点。

★2009-10

リーグ序盤戦はマガト監督(当時)の要求に戸惑いベンチを温める日々が続きましたが、守備に汗を流すことで信頼を勝ち得ました。
終わってみたら29試合出場・7得点を記録しています。

★2010-11

契約が切れるこの年はビッグクラブへの移籍が話題となりますが16試合出場・1得点をマーク。

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11番・10番(セビージャ:2011-2014・2020-)

★2011年1月、セビージャFCに移籍しました。(移籍金150万ユーロ約1億9千万円・契約期間4年半)

移籍早々にもかかわらず、独創性に富んだパス裁きで攻撃陣を牽引し5月に左足を骨折するも13試合出場で6得点をマークする活躍をみせました。

★2011-12

シーズンは怪我の影響もあり交代出場が多く無得点に終わりましたが、抜群のキープ力でチーム2位の6アシストを記録しています。(36試合出場・0得点)

★2012-13

開幕戦ではキャプテンをつとめ「引退までいてかまわない」とクラブ愛を告白して話題となりました。(34試合出場・9得点)

★2013-14

自身最高となる12ゴールを記録(34試合出場)した他、3度目となるヨーロッパリーグ制覇に大きく貢献し、ビッグクラブへの移籍話(噂)が注目されました。

★2020-

セビージャが2020年9月1日にバルセロナからイバン・ラキティッチを獲得したことを発表しました。契約期間は2024年6月30日までの4年間で、移籍金は150万ユーロ(約1億9000万円)と言われています。

年俸を下げたいバルサから移籍を勧められると他のクラブのオファーには目もくれずに古巣セビージャからの連絡を待ち、スポーツディレクターのモンチ氏から受けた契約内容を確認し、6年ぶりの古巣復帰となりました。

2020-21シーズン、序盤はチーム戦術になれる為、ある程度の時間は必要でしたが、後半戦には全ての公式戦で8得点5アシストとパフォーマンスを上げて周囲を納得させると、終わってみたらリーグ戦37試合に出場・4得点を記録しています。

セビリアの腕章を身に着けていることを誇りに思う-ラキティッチ

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4番(バルセロナ:2014-2020)

★2014-15

獲得に動いていたマンチェスターユナイテッドに先手を取る形で2014年6月、バルセロナが移籍を発表。

移籍金1500万ユーロ(約21億円)+ボーナスという条件で2019年までの契約となりました。
どのカンテラよりもチームのスタイルにフィットし攻守に存在感を発揮しました。32試合出場・5得点をマーク。

★2015-16

バルサのMFに求められる役割をほぼ完璧にこなし攻守両面でチームを支える安定戦力としてルイス・エンリケ監督(当時)から絶大な信頼を得ています。(36試合出場・7得点)

★2016-17

攻守両面で常に及第点以上のパフォーマンスをみせ、メッシ・スアレス・ネイマールに次ぐ8得点を記録しました。(32試合出場)

★2017-18

ワールドカップシーズンと重なり、バルサ(リーグ優勝:35試合出場・1得点)とクロアチア代表(準優勝)を合わせて71試合に出場し超人的な活躍をみせました。

★2018-19

昨年の好調を維持しつつチームを支える必要不可欠な存在としてリーグ優勝に大きく貢献しました。(34試合出場・3得点を記録)

★2019-20

中盤の世代交代を勧めたいチーム事情と板挟みに合いながらも存在感を発揮し31試合出場・1得点をマーク。

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代表歴代背番号

7番(クロアチア:2007-2020)

クロアチア移民二世としてスイスに生まれたラキティッチ選手は名門バーゼルで若くして頭角を現わし、U-17スイス代表、U-19スイス代表、U-21スイス代表に選出されていました。

当時(2007年)クロアチア代表督を務めていたスラベン・ビリッチ監督から・・・

「俺について来い。俺たちの国のためにプレーするんだ。お前が来てくれるためなら全力を尽くすぞ」

と説得され「自分の祖国はどちらなのか?」と、約50日間に渡って考え抜いた末、クロアチア代表入りを決断したということです。

UEFA EURO 2008に出場。

ユーロ2008でのフィリップ・ラームに対するルカ・モドリッチとイヴァン・ラキティッチ

2014FIFAワールドカップではメキシコ戦でアシストを決め、UEFA EURO 2016ではチェコ戦でゴールを決めるなど、ビリッチ監督の目論見通りヴァトレニ(クロアチア代表)の絶対的主力に成長していきました。

@ivanrakitic 2014年のクロアチアのNo7でした#WorldCup。

そして、2018FIFAワールドカップでは、決勝トーナメントのアルゼンチン戦でゴールを決め、ベスト8のデンマーク戦ではPK戦で最後のPKを成功させ、準々決勝のロシア戦でも最後のPK戦でPKを成功させてクロアチア代表史上初のワールドカップ準優勝に大きく貢献しました。

クロアチアのスター、ラキティッチは、ナイジェリアに勝利したことで、2018年のワールドカップ決勝に進出したことを示唆しています

2020年9月22日クロアチア代表引退を発表。106試合に出場し通算15得点を記録しています。

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年俸推移も気になる

バーゼル時代

年俸はわかりませんでしたが、在籍していたときは(当時)日本代表の中田浩二選手がいました。

中田浩二選手の年俸が5,000万円(推定)と言われていたので、おそらく同じぐらいの年俸か5000万以上の金額だと思います。

シャルケ時代

シャルケ時代の年俸もわかりませんでしたが、こちらもセビージャに移籍する前に(当時)日本代表の内田篤人選手がいました。

内田選手の推定年俸180万ユーロ(約2億1000万円)と言われていたので、やはり内田選手よりも年俸は多かったと思います。

セビージャ時代

6年ぶりの復帰での年俸は推定370万ユーロ(4億6,000万円)ということです。

バルセロナ移籍前の年俸はわかりませんでしたが、当時スパルタク・モスクワが1000万ユーロの移籍金でオファー。両クラブ間は合意し、年俸180万ユーロ(約2億3000万円)+勝利給を提示というニュースもありました。

また当時(2013年)チームの最高年俸はフレデリックカヌーテ選手の550万ユーロ約6億4000万円でした。

ラキティッチ選手曰く・・・

「カヌーテや(アルバロ)ネグレドのような年俸はチームに要求しない。」

とコメントしていたので、180万ユーロ(約2億3000万)より少し低い(約1億5000万円~2億円)だったことが考えられますね。

バルセロナ時代

  • 2014年  8億4500万円
  • 2015年  8億4500万円
  • 2016年  9億0000万円
  • 2017年  9億0000万円
  • 2018年  10億4000万円
  • 2019年  10億4000万円

ビッグクラブだけあって年俸情報は世界的に広く伝えられますね。

私なりのまとめ

おそらくセビージャで引退を考えていると思いますが、プレミアリーグやセリエAでの勇姿も見たかったと多くのファンが願ったことでしょう。

当然どのリーグでも大活躍していたことは想像はつきます。

これからも応援し続けたいですね。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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