アイマール 歴代の背番号を調査!現在についても気になる

こんにちは、華麗なテクニックで多くのファンを魅了してきましたパブロ アイマール選手。

マラドーナ氏が「唯一お金を払って見たい選手」と公言したことや、メッシ選手のアイドルとしても有名ですね。

今回はそんな、アイマール選手についてまとめてみました。

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プロフィール

本名:パブロ・セサール・アイマール・ジョルダーノ

愛称:魔術師、ピエロ

生年月日:1979年11月3日

出身地:アルゼンチン・コルドバ州リオ・クアルト

身長:170cm

体重:65kg(現役時)

ポジション:MF

利き足:右足

【プレースタイル】

  • 変幻自在のドリブルで守備を崩して、パスやシュートで好機を演出するゲームメーカー(トップ下)
  • 創造性と天才的な閃きから針に糸を通すようなキラーパス。
  • 視野の広く、相手や味方の動きを予測する能力が非常に高い。
  • 足元の技術(ボールを止めて・蹴る)が、とにかく繊細。

歴代の背番号を調査!

23番→10番(リーベルプレート:1996-1998→1999-2000)

1993年、14歳時に名門リーベルプレートのスカウトの目にとまり下部組織に入団。

1995年にプロ契約し、1996年8月のCAコロン戦で弱冠16歳にしてトップチームデビューを果たしました。

1996:Undíacomohoy-PabloAimarがRiverPlateでデビューします。

1997-98シーズンにはレギュラーに定着し、リーグ戦15試合に出場し8得点を決める活躍を見せリーグ優勝に貢献しました。

そして1998年に加入したハビエル サビオラ選手との抜群のコンビネーションでチームを牽引し、5つのタイトルを獲得。

  1. 1996-97 アルゼンチンリーグ前期 優勝
  2. 1996-97 アルゼンチンリーグ後期 優勝
  3. 1997-98 アルゼンチンリーグ前期 優勝
  4. 1999-00 アルゼンチンリーグ前期 優勝
  5. 1999-00 アルゼンチンリーグ後期 優勝

1999/00、リバープレートでのパブロアイマールとハビエルサビオラ。

特に1999-00シーズンにはMFながら21得点を上げ、その才能は高く評価されました。

パブロ・アイマールとロマン・リケルメ
リバープレートvsボカジュニアーズクラウスラ2000トーナメント

  • 1997-98 リーグ戦 15試合・8得点
  • 1998-99 リーグ戦 21試合・10得点
  • 1999-00 リーグ戦 30試合・21得点
  • 2000-01 リーグ戦 16試合・7得点

22番・35番→21番(バレンシア:2001→2001-2006)

2001年1月、約24億円の移籍金でバレンシアに移籍。このシーズンはリーグ戦で背番号22、CLで背番号35を背負いました。

冬の加入にも関わらず、すぐにチームにとけこみ、リーグ戦10試合に出場・2得点を決める活躍をみせ、またチャンピオンズリーグで2年連続の決勝進出を果たし、バイエルン・ミュンヘンにPK戦で敗れたものの、クラブ史に残る成績を挙げました。

新監督にラファエルベニテス氏を迎えた2001-02シーズン、当初はトップ下を置かない守備的な戦術でしたが、「フォワードの後ろでプレーさせてほしい」と直訴してポジションを得ると31シーズンぶりのリーグ優勝に大きく貢献。

2002-03シーズンはチームの中心的存在として8ゴールを決めてチーム得点王に。2003-2004シーズンには再びリーグ優勝、そしてUEFAカップ優勝の2冠を達成へ導きました。

2004-2005シーズンにクラウディオ ラニエリが監督に就任すると状況が一変。本来以外のポジションでプレーさせられたり、先発メンバーを外れることが多くなったりと不遇の時を過ごします。

しかし成績不振からラニエリ監督が解任され、アントニオ ロペス氏が監督に就任した後は、アイマール選手を中心に据える戦術で再び輝きを取り戻しました。

2005-06シーズン、リーガ最優秀南米選手に選ばれるも、負傷やキケ フローレス監督(当時)の起用法の影響からか、本来のプレーを発揮する事ができず退団となりました。

ちなみクラブを去る際、ダビド シルバ選手に背番号21番を託したことは有名な話です。

  • 2001-02 リーグ戦33試合・4得点
  • 2002-03 リーグ戦31試合・8得点
  • 2003-04 リーグ戦25試合・4得点
  • 2004-05 リーグ戦31試合・4得点
  • 2005-06 リーグ戦32試合・5得点

8番(レアルサラゴサ:2006-2008)

2006年7月、レアルサラゴサへ移籍となります。(移籍金1200万ユーロ・4年契約)

ビクトル フェルナンデス監督(当時)が標榜する攻撃サッカーを牽引し、アンドレス ダレッサンドロ選手らとともにリーグに旋風を巻き起こしましたが、2007-08シーズンには恥骨炎で手術を受けた(全治2ヶ月)影響もあり終始低調なパフォーマンスで、チームもセグンダ・ディビシオン(2部)降格となりました。

  • 2006-07 リーグ戦 31試合・5得点
  • 2007-08 リーグ戦 22試合・0得点

10番(ベンフィカ:2008-2013)

サラゴサの2部降格に伴い、ルイコスタ氏からの熱心な誘いを受け、ベンフィカへ移籍。(移籍金約11億円・4年契約)

2008-09シーズンは度重なる負傷に悩まされましたが、ベストコンディションで挑んだ2009-10シーズンには新加入のサビオラ選手とのリーベルプレートコンビで躍動し、チームを5シーズンぶりの優勝に導きました。

その後もチームの中心選手として活躍しますが、2012-13シーズンから大きく出場時間が減り、2013年6月、ベンフィカからの退団を表明しました。

  • 2008-09 リーグ戦22試合・1得点
  • 2009-10 リーグ戦25試合・4得点
  • 2010-11 リーグ戦23試合・5得点
  • 2011-12 リーグ戦24試合・2得点
  • 2012-13 リーグ戦13試合・0得点

10番(ダルルタクジム:2013-2014)

2013年9月、マレーシアのダルルタクジムと5年契約を結ぶも、怪我のため8試合しか出場できず(2得点)2014年4月、ダルルタクジムと契約解除となりました。

・2013-14 リーグ戦 8試合・2得点

35番(リーベルプレート:2015)

2014年12月、14年ぶりに古巣のリーベルプレートに復帰しますが、足首の負傷(全治5ヶ月)により再デビューが2015年6月となります。

再デビューは果たせたものの、その1試合に出場しただけで2015年7月、ケガを理由に現役引退を発表しました。

・2014-15 リーグ戦 1試合・0得点

代表の歴代背番号を調査

15番

1995年のFIFA U-17世界選手権で3位、1997年にはU‐20南米選手権およびFIFAワールドユース選手権優勝など、各世代で華々しい実績を残し、1999年6月9日のメキシコ戦でA代表デビューを飾りました。

1999年6月9日、パブロ・アイマールはナショナルチームにデビューしました。

16番

★2002年ワールドカップ南米予選から招集され、本大会出場に貢献。本大会でも3試合出場しましたが、あえなく1次リーグで敗退。

2002年のワールドカップでイングランドの壁を越えてボールをプレーしているアルゼンチンのパブロアイマール(今日37歳になります!)に!

★また、2006年に行われたドイツW杯は絶対的な存在でありましたリケルメ選手の控えという立場から出場機会は少なく、チームもベスト8で敗退しています。

ワールドカップを見ると、bbcのナンセンスが浮き彫りになり、2006年のアルゼンチンチームが何年にもわたってすべてを完全に勝ち取ったわけではないのだろうかと疑問に思います。これ見て! …そしてメッシ、テベス、カンビアッソ、アイマール、ミリートがベンチにいます。

★そして2010年のワールドカップ・南米予選では約2年ぶりに招集されます。

ペルー戦(2-1)でトップ下として先発出場し、2アシストを決め会場を大いに沸かせました。

どうして誰かがこれを台無しにすることができますか…..どうして私たちは一度にこれらの4つを持つタイトルを獲得できなかったのですか…私たちはリケルメ、メッシ、テベス、アイマール、ベロン、ラベッツィ、ディマリア、アグエロをすべて一緒にする機会がありました2010年のワールドカップでは、代わりにビリア、ホナスグティエレス、パストアが参加しました。

現在について

2018年8月からアルゼンチン代表アシスタントコーチに就任し、2021年7月、アルゼンチン代表のコパ・アメリカ2021優勝に貢献していました。

ちなみに引退後は指導者の道に進みアルゼンチンサッカー協会で指導しています。

  • 2017年6月、アルゼンチンU-17代表監督に就任。
  • 2017年11月、アルゼンチンU-15代表のアシスタントコーチに就任(兼任)。
  • 2018年7月、アルゼンチンU-20代表監督としてラルクーディアで開催されたCOTIF 2018に参加し優勝に導いています。
  • 2018年8月、アルゼンチン代表アシスタントコーチに就任(兼任)。
  • 2019年4月、アルゼンチンU-17代表を率いてU-17南米選手権で優勝。

指導者としても輝かしい実績を残していました。

私なりのまとめ

指導者としての実績からバレンシアやサラゴサに、監督として戻って来てほしいと多くのファンが願っていると思います。

近い将来、必ず戻って来ることを信じて今後の動向にも注目ですね。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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