ランパード 歴代の背番号を調査!監督としての解任理由も気になる

こんにちは、イングランド代表およびチェルシーの象徴的存在として活躍しましたフランクランパード選手。

抜群のキャプテンシーを擁してチームを統率した姿は今でも多くのファンの目に焼き付いていると思います。

今回はそんなランパード選手についてまとめてみました。

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プロフィール

本名:フランク ジェームズ ランパード ジュニア

愛称:鉄人 ランプス

生年月日:1978年6月20日

出身地:ロンドン ヘイヴァリング区

身長:184cm

体重:88kg(現役時)

ポジション:MF

利き足:右

プレースタイル

  • 高い決定率を誇るミドルシュート。
  • 長短を問わない正確無比のパス。
  • ゲームを組み立てるだけではなく毎年15得点近くを稼ぐ得点力。(チェルシーで通算200ゴール以上を記録)
  • 攻撃から守備まで90分間絶え間なく動き続ける運動量。
  • フィジカルが強く怪我が少ない。
  • パフォーマンスの好不調の波がない。
  • 精神的にも強い。

プライベート

スペイン出身のモデル、エレン・リベスさんと婚約しましたが、2008年に関係を解消しましたがその間、長女と次女を儲けています。

その後、2011年6月にイギリス人テレビ司会者のクリスティン・ブレイクリー さんと婚約し2015年に結婚。2018年に子供(長女)が生まれています。

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歴代の背番号を調査

26番・18番(ウェストハム・ユナイテッド:1995-2001)

イングランド代表にも選ばれウェストハムの名DFと言われた父に持ち、ハリー・レドナップ氏が叔父、ジェイミー・レドナップ選手が従兄弟というフットボールの名家の出身でした。

11才でウェストハムに加入、育成機関で英才教育を施され1995-96シーズン、弱冠17才でトップデビューを果たしました。(26番)

ちなみにウェストハムの育成機関はランパード選手を筆頭にリオ・ファーディナンド選手、ジャーメイン・デフォー選手、マイケル・キャリック選手、ジョー・コール選手などイングランドを代表する選手を数多く輩出した名門です。

シーズンを重ねる事に才能を開花させ1997-98シーズンよりレギュラーに定着。(18番)

6番(スウォンジー・シティ:1995-96)

1995年にウェストハムでデビューを飾りますが、試合経験を積むためにスウォンジー・シティに1年間のレンタル移籍となりました。

時間が経つにつれて頭角を表し9試合に出場1得点を記録。わずか1年でウェストハムにレンタルバックとなりました。

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8番(チェルシー:2001-2014)

2001年5月、叔父であるハリ-・レドナップ監督(当時)の辞任、それに伴い父親のランパードシニアコーチ(当時)の辞任によってチームを去る事を決意。2001-02シーズンよりチェルシーへ移籍しました。

移籍後、パフォーマンスは更に磨きがかかりチームをFAカップ決勝に導くなど素晴らしい存在感を示し、2004-05シーズンにはMFながらチーム最多の18得点を記録。50年振りとなるリーグ優勝に大きく貢献しました。

サッカー記者協会主催のプレミア最優秀選手に選出され、また2005年にはバロンドール、FIFA最優秀選手賞共にロナウジーニョに次ぐ第2位の得票数を獲得しました。

2009-10シーズンはMFでのプレミアリーグ史上最多得点となる22得点を挙げ、5年連続でシーズン20得点を記録。4シーズンぶりのプレミアリーグ制覇に貢献しました。

2011-12シーズンはプレミアリーグ通算150得点を記録(ミッドフィルダーではプレミアリーグ史上初)するなど悲願のチャンピオンズリーグ・ビッグイヤーを掲げました。

2013-14シーズン・・・

  • プレミアリーグ10季連続2桁得点。
  • チェルシー歴代最多得点記録となる通算203得点を達成。
  • チャンピオンズリーグ出場100試合を達成。
  • UEFAヨーロッパリーグ優勝に貢献。

といった驚異の活躍をしましたが、2014年6月に13年間所属したチェルシーを退団することを発表。

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18番(マンチェスター・シティ:2014-15)

ニューヨーク・シティと2年契約を結びましたが、MLS(メジャーリーグサッカー)開幕までの半年間(後に1年に延長)、マンチェスターシティへのレンタル移籍を発表。

貴重なターンオーバー要因として活躍し2015年3月にはプレミアリーグ600試合出場を達成し、シティではトータル38試合8ゴールを記録しています。

またこれまでの活躍が認められ、2015年6月には大英帝国勲章OBEを授与されました。

ちなみに過去には元マンチェスター・ユナイテッドのライアン・ギグス氏や、デイビッド・ベッカム氏もこの称号を手にしています。

8番(ニューヨーク・シティ:2015-16)

ダビド・ビジャ選手やアンドレア・ピルロ選手といったスター選手が次々に移籍を発表して話題となっていましたニューヨーク・シティでは、2015年シーズンの途中から本格的に稼働すると31試合に出場し15得点をマーク。

2016年シーズンは、7月に行われたコロラド・ラピッズ戦ではチーム史上初のハットトリックを記録、19試合に出場し13ゴール3アシストを決めるなどチームの主軸として大活躍しましたが、2016年シーズンの契約満了をもって、ニューヨーク・シティ退団を表明。

2017年2月、現役引退を発表しました。

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代表での歴代背番号を調査

6番・11番・18番

イングランドU21代表としてもキャプテンとして活躍し1999年10月10日ベルギー戦にてフル代表デビューを果たしました。

2002年ワールドカップの本大会メンバー入りこそ逃したものの、イングランド年間最優秀選手にも選出される実力を見せつけ2004年欧州選手権ではレギュラーとして全試合に出場。

貴重な得点を挙げると共にポールポゼッションの向上、守備にも奮闘しベスト8に大きく貢献しました。

大会ベスト11にも選出されるなど代表において欠かす事の出来ない選手の1人として認められました。

そして今でも話題となります2010年南アフリカワールドカップ決勝トーナメント1回戦の対ドイツ戦です。

1対2の状況でランパード選手のシュートがクロスバーに当たり明らかにゴールラインを越えましたが、ゴール(同点)と認められず1対4で敗戦。

「幻の同点ゴール」「世紀の誤審」と言われ英メディアの憤激を呼び起こしました。

フランク・ランパードの「ゴーストゴール」対ドイツは、ラインを超えているにもかかわらず除外されました。

2018年6月27日

ドイツ国旗ドイツはから排除#WorldCup VARレビュー後

10番

特に10番を付けた試合は印象的で、2011年11月12日に行われましたスペインとの親善試合では2010ワールドカップチャンピオンから先制点を奪う活躍をみせ1対0の勝利に貢献しました。

1999年の初招集から15年、イングランド代表として通算106試合に出場。

ドイツ代表の優勝で幕を閉じた2014ブラジル・ワールドカップを最後に、代表のユニフォームに別れを告げました。

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監督としての解任理由も気になる

簡単にいいますと成績不振ということです。

チェルシーは2021年1月25日、昨年夏に積極補強を行いましたが、チームはプレミアリーグで暫定9位(1月25日現在)。また、リーグ戦直近5試合でわずか1勝と苦しい状況のため、ランパード監督の解任を決定。

後任にはトーマス・トゥヘル氏が1月27日に就任しました。

ただこういった解任劇にはマスコミもこぞって反応をみせます。

●チャンピオンシップ(2部)で1年しか監督経験がない。
●意見が衝突したダビド・ルイス選手をアーセナルに売却したり態度に問題があるフィカヨ・トモリ選手を先発から外したりと反旗を翻した選手は冷遇する。
●ボールへの寄せが遅く、スペースをカバーするための全力疾走をせず、セカンドボールにも激しくいかない等、選手のヤル気を引き出せていない。
●ビジネス主導のフロントの犠牲。大きなプレッシャーにさらされ事態を好転させる時間がない上で結果がすべて。
●カイ・ハフェルツ選手やティモ・ベルナー選手といった期待の新戦力(巨額補強の戦力)を機能させられなかった。

英紙「サン」が「5つの理由」と題してその要因を分析していました。

ランパード監督は2018年5月31日、ダービー・カウンティFC(2部)の監督に就任しました。

多くの若手選手を登用してリーグ戦を6位で終えて昇格プレーオフの決勝進出まで導いています。

決勝でアストン・ビラに負けてプレミアリーグ昇格を逃しましたが、手腕が評価され2019年7月4日、チェルシー監督に就任。

昨シーズンはFIFAから移籍禁止処分を受けて、新戦力をほとんど獲得できませんでしたが、それでもノルマのリーグ戦4位でフィニッシュ。

難しいシーズンを乗り越えロマン・アブラモビッチオーナーから高く評価されていたのですが・・・。

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フランク ランパード シニア(父親)プロフィール

これがランパードの父親の写真である、WHUでプレーしているフランクリチャードジョージランパード

本名:フランク リチャード ジョージ ランパード

生年月日:1948年9月20日

出身地:ロンドン

ポジション:DF(左サイドバック)

フランク・リチャード・ジョージ・ランパード、ウェストハム・ユナイテッド(1967-1985)ダン・サウスエンド・ユナイテッド(1985-1986)

1964年にウェストハムユナイテッドのユースチームの試合に出場すると1967年11月にマンチェスターシティ戦でプロデビュー戦を飾りました。

すぐに左サイドバックに定着し、1975年と1980年のFAカップ獲得に大きく貢献しました。
ウェストハムユナイテッド在籍期間、1967年から1985年まで660試合をプレーし、22ゴールを記録。

クラブ史上最も有名な選手の1人と言われています。

1985-86年シーズンにサウスエンドユナイテッドに移籍、33試合に出場し1ゴールを記録しています。

イングランド代表にも選出され23歳未満では4試合。A代表ではユーゴスラビア戦を含む2試合に出場していました。

サッカー界がこれまでに見た中で最高のフルバック、フランク・リチャード・ジョージ・ランパードの70歳の誕生日おめでとう。

私なりのまとめ

電撃解任は衝撃的でしたが、いずれはまた現場(監督)に戻ってくるでしょう。

これだけの偉大な功績を知れば知るほど、クラブや代表には絶対に必要な存在だと誰もが思っているので今後の展開に期待したいですね。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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