ロビーニョ 歴代の背番号を調査!現在についても気になる

こんにちは、抜群のテクニックで、多くのファンを魅了してきましたロビーニョ選手。

しかしプレーとは裏腹に、多くのファンを幻滅させました女性問題で、今やサッカー界から追放の憂き目に立たされています。

今回は、そんなロビーニョ選手についてまとめてみました。

スポンサーリンク

プロフィール

本名:ロブソン・デ・ソウザ

愛称:ドリブルキング、フェイント百科辞典

生年月日:1984年1月25日

出身地:ブラジル・サンパウロ州サン・ヴィセンテ

身長:172cm

体重:60kg

ポジション:MF/FW

利き足:右

【プレースタイル】

  • 高速のまたぎフェイント・ペダラーダを駆使し相手DFを幻惑するドリブル。
  • 最終的にファウルで止められPKを獲得すると言うのもスタイルの一つ。
  • ドリブルだけでなく、正確なラストパスで好機を演出。
  • ゴール前では冷静に正確なキックでシュートを叩き込み得点能力も高い。
  • FWからMFまで攻撃的ポジションならどこでも高いレベルでこなせる柔軟性。
  • 前線から積極的なチェイシング(相手選手を追いかける)がおこなえる献身性。

歴代の背番号を調査!

幼少の頃にサントスFCの下部組織に加入。

フットサルでもプレーしドリブルと加速のスキルを伸ばすと、ロビーニョ選手が15歳の時には、ペレ氏がサントスの練習場でロビーニョ選手を見て、「姿かたちもプレースタイルも、15歳の頃の私にそっくりだ」と言って驚いたエピソードがあります。

7番(サントスFC:2002-2005・2010・2014-2015・2020)

2002年、サントスFCとプロ契約を締結。

★2002シーズン、いきなりレギュラーに定着すると24試合に出場。サントスがリーグ優勝を決める試合でも1得点を挙げ一躍注目を集めました。

ロビーニョの年

2002年のブラジルのタイトルは、サントスを18年続いたラインから外しました。この偉業の責任者の1人は、その年にBola dePrataチームの攻撃に加わったロビーニョでした。

★リベルタドーレス杯・決勝(ボカ ジュニアーズに敗退)に導くなど、2003シーズンも勢いの止まらない活躍を見せました。

★2004年シーズンも37試合で21ゴールで2年ぶりとなるリーグ優勝に導く活躍をし、多くのヨーロッパのクラブから注目を集めました。

★2005年シーズン、リーグ戦12試合に出場・9ゴールを決めた時点でレアルマドリードへ移籍となります。

★2010年1月、本調子からは遠く、マンチェスターシティでの出場機会が減少。ワールドカップが近づいているため、すべてのゲームをプレイしたいと考え古巣のサントスFCへ半年間のレンタル移籍となりました。

★2014年8月7日、ミランはロビーニョ選手のサントスへのレンタル移籍を発表。(2015年6月30日まで)

近年は故障にも悩まされ、ベンチを温めることも多くブラジルW杯にも招集されることはありませんでした。心機一転を図りたいと移籍を志願し、一時はMLSのオーランド シティへの移籍が有力視されていましたが、古巣への3度目の加入となったということです。

復帰4日後に得点をあげるなど20試合に出場して6得点と、ミランでの不調とは裏腹にサントスでは水を得た魚のように活躍しました。

ロビーニョ:ファンタスティックドリブル-サントスFC-2014 / 15

★2020年10月10日には4回目の復帰となりましたが、16日に暴行容疑の弁護に専念できるように、双方の合意で契約が一時停止となっています。

サントスFCではリーグ戦132試合に出場・53得点を記録しています。

スポンサーリンク

10番(レアルマドリード:2005-2008)

★2005年7月、レアルマドリードに加入。(移籍金2400万ユーロ)

フォワードよりもサイドハーフで多く起用されるとすぐにレギュラーに定着。得意のドリブルを活かし、リーグ戦37試合に出場・14得点を挙げました。

2005/06シーズンのレアルマドリードの21歳のロビーニョ:

51ゲーム
12ゴール
9アシスト

当時の世界サッカーの天才の一人

★2006-07シーズン、バルセロナとのクラシコでマンオブザマッチに選ばれるなど、高速またぎフェイントに磨きをかけ、戦術的に進化させるとリーグ戦32試合に出場・6得点で30回目のリーグ優勝に大きく貢献しました。

★2007-08シーズン、ラウル選手、ファンニステルローイ選手とともに3トップを形成し、リーグ戦32試合に出場・11得点・8アシストと大活躍を見せ、チームのリーガ2連覇に貢献しました。

しかしシーズンオフにクラブが、クリスティアーノ・ロナウド選手を獲得するための代替要員としていたことに激怒し移籍を志願。マンチェスターシティへ移籍となりました。。

レアルマドリードではリーグ戦110試合に出場・25得点を記録しています。

スポンサーリンク

10番(マンチェスターシティ:2008-2010)

2008年9月1日にマンチェスターシティに移籍となりました。(移籍金4200万ユーロ・4年契約)

★2008-09シーズン、観客を魅了する自慢の超絶テクニックで攻撃の中心として活躍し、プレミアリーグ4位タイの14ゴールを挙げましたが、クラブの合宿を無断離脱しブラジルへ一時帰国や、ナイトクラブでの強姦の容疑で一時拘束されるなど、素行に問題があることが話題となりました。

★2009-10シーズン、ケガで3ヶ月離脱するなど本調子からは遠く出場機会が減少。リーグ戦10試合出場(無得点)に留まり、2010年1月には古巣のサントスFCへレンタル移籍しそのまま退団となりました。

マンチェスターシティではリーグ戦41試合に出場・14得点を記録しています。

スポンサーリンク

70番→7番(ACミラン:2010-2012→2012-2015)

2010年8月、ACミランに移籍金1800万ユーロ、4年契約で移籍しました。

★当初は決定力不足や動きのキレを批判されていましたが、徐々にコンディションが上がるとイブラヒモビッチ選手、アレシャンドレパト選手、カッサーノ選手らと共に、得点を量産。

リーグ戦34試合に出場、チームトップタイとなる14得点で、スクデット獲得に貢献しました。

★2011-12シーズン、ケガなどで出場機会は少なくなりましたが、FWだけではなくトップ下でチャンスメーカーとして存在を発揮。リーグ戦28試合に出場・6得点を記録。

★2012-13シーズン、イブラヒモビッチ選手が去り、モントリーヴォ選手と並ぶ攻撃のリーダーとして期待されましたが、持ち前の疾走感が失われリーグ戦23試合の出場(2得点)に留まりました。

★2013-14シーズン、2016年までの新たな契約を結び完全復活を期待されますが、鼠径(そけい)部や太もものケガに悩まされまた、他のFWの活躍もあり、リーグ戦23試合・3得点と低調なシーズンとなりました。

2015年5月にミランとの契約を解除しました。

ミランではリーグ戦108試合に出場・25得点を記録しています。

スポンサーリンク

56番(広州恒大:2015)

2015年7月、スコラーリ監督率いる広州恒大へ加入することを発表しました。(6ヶ月契約)

トリッキーな足技と局面を打開するテクニックで多くのファンを大いに沸かせました。

広州恒大ではリーグ戦で9試合出場3得点を記録。2015シーズンをもって契約満了となりました。

スポンサーリンク

7番(アトレチコ ミネイロ:2016-2017)

2016年2月、アトレチコ ミネイロがロビーニョ選手を獲得したことを発表しました。

★2016シーズンは近年の不調がうそのように、キレとスピードを取り戻し自己最高となる25ゴールを記録し最優秀選手賞を獲得。

★2017シーズンも好調をキープさせ、ミナスジェライス州選手権決勝に導く活躍をみせ、決勝でライバル・クルゼイロに勝ちタイトル獲得に貢献しました。

2017年12月の契約満了時で退団。

アトレチコ ミネイロではリーグ戦60試合に出場・19得点を記録しています。

スポンサーリンク

7番(スィヴァススポル:2018)

2018年1月、スィヴァススポルに移籍となります。(契約期間は1年半)

リーグ戦30試合に出場・12得点と初のトルコリーグ挑戦でも活躍できることを証明しました。

70番(イスタンブール・バシャクシェヒルFK:2019-2020)

2019年1月、イスタンブール・バシャクシェヒルFKに移籍することが発表されました。(移籍金278万ドル)

リーグ首位に立っていたバシャクシェヒルが、より得点力を挙げるために、ロビーニョ選手を熱望し移籍が実現したということです。

アデバヨール選手やデンババ選手らといった強力な布陣で、ロビーニョ選手も期待どおりの活躍をみせリーグ戦32試合に出場・4得点でチームのリーグ優勝に貢献しました。

2020年8月にイスタンブール・バシャクシェヒルを退団すると発表しました。

スポンサーリンク

代表の歴代背番号を調査

11番

★「2003 CONCACAFゴールドカップ」のメキシコ代表戦でデビューを果たしました。(0-1で敗戦)

★「2007 コパ・アメリカ」ではチリ戦でハットトリックを決めるなどグループステージ4試合全てでゴールを決め決勝トーナメントに導くと、準々決勝のチリ戦でも2得点をあげてチームを優勝に導く活躍を見せました。

自身も最優秀選手に選ばれました。

ロビーニョがコパアメリカトップスコアラー賞+ベストプレーヤーを受賞

どのようにあなたは忘れますか????

★「2009 コンフェデレーションズカップ」でも全試合に出場し優勝に大きく貢献しました。

★「2010 FIFAワールドカップ」決勝トーナメント1回戦のチリ代表戦で自身W杯初得点を挙げ、勝利に貢献すると、この試合のマンオブザマッチに選出されました。

準々決勝のオランダ戦でも先制点を挙げましたが、チームは逆転負けしベスト8で敗退。

スポンサーリンク

7番

★「FIFAコンフェデレーションズカップ2005」では全5試合に出場し、グループリーグのギリシャ戦と日本戦でそれぞれ1得点をあげてブラジルの優勝に貢献。

★「2011 コパ・アメリカ」のメンバーに選出されましたが、ケガの影響もあり低調なパフォーマンスで、大会後半にはジャドソン選手にポジションを奪われました。

★2017年にはシャペコエンセの犠牲者遺族支援試合に向けてブラジル代表メンバーが発表(コロンビア戦)され、 ロビーニョ選手が2015年以来の招集となり代表100キャップを記録しました。

ちなみに試合はコロンビア代表に1-0で勝利しています。

18番

★「2006 FIFAワールドカップ」南米予選では背番号18をつけて本大会出場に貢献しました。

スポンサーリンク

23番

★「2006 FIFAワールドカップ」の代表にも選出され、4試合に出場しましたが無得点に終わり、チームもフランスに敗れ準々決勝で敗退となりました。

20番

★代表での活動を2年間休止にして2013年の親善試合・ホンジュラス戦やチリ戦、2014年の親善試合・コロンビア戦といった、親善試合に出場した後の「2015 コパアメリカ」23人のメンバーに選出されます。

持ち前のテクニックでブラジルを首位に押し上げ、準々決勝のパラグアイ戦で先制ゴールをきめますがPK戦の末、3-4で敗れベスト8で敗退となりました。

スポンサーリンク

現在について

ロビーニョ選手は性的暴行事件で容疑をかけられ、2017年の第一審で9年の実刑判決が下り控訴、2021年3月の控訴審で一審と同じ懲役9年の有罪を宣告され、さらに控訴中です。

2013年1月、ミラノ市内のナイトクラブの一室で数人のブラジル人とともに若い女性を暴行した容疑をかけられました。

ロビーニョ選手は、「女性と関係を持ったのは事実だが、合意の上だった」と主張して控訴。

控訴審では「被害女性の自尊心を残酷に傷つけた」、「当初から虚偽かつ口裏をあわせた証言をすることで当局の捜査をかわそうとしていた」などと断罪され、一審と同じ懲役9年の有罪を宣告されました。

メディアは「控訴しても、最高裁でも有罪判決が下されるのは間違いない」と伝えており、「ロビーニョがブラジル、イタリアのどちらの国で収監され、実際にどれだけの刑に服するか」といった刑罰に焦点が移っています。

私なりのまとめ

おそらくこのままいけばサッカー界から追放ですね。

魅せるプレーで多くの人達を楽しませてきただけに残念です。今後については分かり次第追記します。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

【関連記事はこちら】

カカ 歴代の背番号を調査!現在についても気になる

インザーギ 歴代の背番号を調査!レジェンドの凄さについても

ボアテング 歴代の背番号を調査!ケヴィン プリンス ボアテングについても

アレッサンドロネスタ 歴代の背番号を調査!現在の活動も気になる

セルヒオラモス 歴代の背番号を調査!年俸推移も気になる

グティ 歴代の背番号を調査!現在についても気になる

カシージャス 歴代の背番号を調査!現在の活動も気になる

【年代別】レアルマドリード 歴代メンバー 一覧|背番号付きで紹介

【年代別】ACミラン 歴代メンバー 一覧|背番号付きで紹介

【年代別】マンチェスターシティ 歴代メンバー 一覧|背番号付きで紹介

スポンサーリンク



シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする