グティ 歴代の背番号を調査!現在についても気になる

こんにちは、天才的なプレーでマドリスタ達を魅了してきましたグティ選手。

カンテラ(下部組織)史上最高傑作の1人と言われ、レアルマドリード黄金期を支えた姿は、今でも多くのファンの目に焼き付いていると思います。

今回は、そんなグティ選手についてまとめてみました。

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プロフィール

本名:ホセ・マリア・グティエレス・エルナンデス

生年月日:1976年10月31日

出身地:スペイン マドリード州トレホン・デ・アルドス

身長:183cm

体重:78kg(現役時)

ポジション:MF(OH・CMF)

利き足:左足

【プレースタイル】

  • 針の穴を通すようなパス。
  • グラウンダーの高速スルーパスにこだわりを持っている。
  • 中盤から前のセンターポジションならどこでもこなす。
  • 相手守備陣の盲点を瞬時に把握できる。
  • 正確無比なシュート力。

歴代の背番号を調査!

9歳でマドリーに入団すると、下部組織のすべての年代でプレー。

入団当初はストライカーでしたが、後にミッドフィールダーに転向し、カンテラ史上最高傑作と話題になっていました。

26番(レアルマドリード:1995-1997)

1995年、19歳でホルヘ・バルダーノ監督がもとでトップチームに昇格。

1995年12月2日、セビージャ戦でデビューを果たすとバルダーノ監督の期待を裏切ることはなく4−0の勝利に貢献しました。

1995年12月2日。25年前のこの日、ホセ・マリア・グティエレス「グティ」がレアル・マドリードでデビューしました。レアル・マドリード-セビージャで4-1の勝利で終わった。
マドリッドの選手として542の公式試合のキャリアを開始しました。

しかしちょうどボスマン判決と重なり、シュケル選手、セードルフ選手、ミヤトビッチ選手、ロベルトカルロス選手といった外国人選手が大量に加入してきたため、なかなか出場機会を与えられず9試合出場で1ゴールにとどまりました。

1996-97シーズンは、途中出場ながらコンスタントに結果を残すと、徐々に監督の信頼を得ていき17試合に出場。

リーガ・エスパニョーラのタイトル獲得の原動力になりました。

14番(レアルマドリード:1997-2010)

マドリーで3年目となる97-98シーズン、様々なポジションでハイレベルにこなしマルチロール性を発揮させ、チームにとって大きな武器となります。

  • 32年ぶりに欧州チャンピオンズリーグ制覇。
  • スーペルコパ・デ・エスパーニャ(国王杯)優勝。

とグティ選手の成長とともにマドリーの銀河系伝説が幕を開けました。

1998-99シーズンはトヨタカップで優勝。

1999-00シーズンから率いるビセンテ・デル・ボスケ監督(当時)が、グティ選手をチームの軸に据え、中盤(トップ下)でチームの攻撃をコントロールさせます。

2000-01シーズンはフェルナンド・モリエンテス選手の負傷もあり、ラウール選手の相方として主にFWで起用されされましたが、本来のポジションではないながらも、このシーズンは14得点を叩きだし、一躍リーグ制覇の原動力となり、完全にトップチームの選手となります。

2001-02シーズンからは、ペレス会長の「ジダネス・パボネス政策」(毎年世界のトップレベルの選手をかき集める)によって、再びベンチを暖める機会が増えていきますが、能力を高く評価しているデルボスケ監督は途中出場ながら毎試合のようにグティ選手には出場機会を与えていました。

そしてセンターハーフにコンバートされるとその才能が大きく開花。

  • 2度目のUEFAチャンピオンズリーグ優勝。
  • UEFAスーパーカップ制覇。
  • 2002-03インターコンチネンタルカップ(決勝戦では勝負を決定付ける2点目のゴール)のタイトル獲得。

など、第2キャプテンとして賞賛する声も少なくありませんでした。

2006-07シーズンはジダン選手引退により司令塔のポジションに定着すると、多くのゴールをアシストし、チームで唯一違いが生み出せる選手と評価され、30回目のリーグ優勝に貢献します。

2007-08シーズン、リーガエスパニョーラ優勝とグティ選手も魔法のようなパス、ドリブル、クロスを見せてアシストランキングのトップを獲得。

グティは、マドリードで5回のリーガタイトル、4回のスペインスーパーカップ、3回のチャンピオンズリーグ、2回のインターコンチネンタルカップ、1回のヨーロッパスーパーカップで優勝しました。個人レベルでは、彼は2001/02コパデルレイキャンペーンでトップスコアを獲得し、2007/08ではリーガでトップアシスタントを務めました。

またグティ選手と言ったら、2009-10シーズンのデポルティボ戦で見せた魔法のヒールパスは今でも多くのファンの伝説となっています。

2010年7月25日、下部組織時代も含めると25年間在籍したレアルマドリードからの退団を発表。

マドリー退団までに残した足跡は、542試合72ゴールというものでした。

「グティは世界中の誰もができないようなプレーをやってのける」

(ジネディーヌ・ジダン)。

「本当に並外れている。彼とともにプレーできることを誇りに思う」

(ロナウド)。

ともにプレーした偉大な選手たちも、グティ選手が本当の才能の持ち主であると証言していました。

14番(ベシクタシュ:2010-2011)

2010年7月26日、ベルント・シュスター監督(当時)が率いる「ベシクタシュJK」移籍が大きな話題となりました。

ベシクタシュでは23試合に出場・7得点を記録。

レアルの至宝がトルコに来たということで注目され、特に名門ガラタサライとの試合は大きな盛り上がりとなりました。

しかし、監督との確執が表面化してしまい2011年11月、契約を解除・退団となっています。

そして2012年まで無所属の期間が続き、2012年7月に現役引退を発表しました。

代表の歴代背番号を調査

1999年5月5日、クロアチア代表戦でスペイン代表デビュしていますが、代表招集は意外と少なく14試合で3得点しか記録していません。なので背番号もマチマチです。

4番

2002年10月12日、UEFA EURO 2004予選の北アイルランド戦でゴール。(3-0の勝利)

9番

2003年3月29日のウクライナ戦。(2-2の引き分け)

12番

2003年4月2日のアルメ二ア戦。(3-0の勝利)

14番

2003年2月12日、親善試合のドイツ戦でゴール。(3-1の勝利)

2003年11月19日のノルウェー戦。(3-0の勝利)

2005年2月9日、2006 FIFAワールドカップ欧州予選のアルメニア戦でゴール。(4-0の勝利)

現在について

現在はフリー(無職)です。

引退後は指導者の道へ進んでいます。

★ 2013年、レアル・マドリードのU-12チームのコーチに就任。

★ 2016年1月、フベニールB(U-18)の監督に就任。

★ 2016-2017シーズンよりフベニールA(U-19)の監督に昇格。

2016-2017シーズンはタレントにも恵まれて快進撃を見せ、地域リーグ優勝、地域リーグの王者による全国大会コパ・デ・カンペオネス・フベニール優勝、さらにコパ・デル・レイ・フベニールでも優勝し、クラブ史上初の国内三冠に導き、大きな話題となりました。

★ 2018年夏、ベシクタシュJKのオファーを受け、アシスタントコーチに就任。

★ 2019年11月4日、UDアルメリア(ラリーガ2部)の監督に就任。

といった着時に指導者として実績を積んでいましたが、自動昇格の2位以内が厳しくなったことから解任。現在はフリーとなっています。

私なりのまとめ

現在はフリーですが、指導者として才能もレアルマドリードのジダン現監督も認めている逸材です。近い将来、必ずやラ・リーガ(1部)に帰ってくると思います。

そしていつの日か、レアルマドリードを率いる姿を誰もが想像していることでしょう。

今後の活躍に期待したいですね。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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