シェフチェンコ 歴代の背番号を調査!現在の活動についても

こんにちは、世界最高のFWとしてACミランで数多くの栄光を手にしてきましたアンドリーシェフチェンコ選手。

抜群の決定力に魅入られた多くのファンは、今でもあの勇姿が目に焼き付いていることでしょう。

今回はそんなシェフチェンコ選手についてまとめてみました。

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プロフィール

本名:アンドリー・ムィコラーヨヴィチュ・シェフチェンコ

愛称:シェバ、シェヴァ、ウクライナの矢

生年月日:1976年9月29日

出身地:ウクライナ キエフ州ドヴィルキウシュチナ村

身長:183cm

体重:83kg(現役時)

ポジション:FW

利き足:右足

【プレースタイル】

  • 高速カウンターに最も適したFWで、素早い動き出しから瞬時にゴールを決める。
  • マークを外して裏に抜ける・クロスに合わせる動きが俊才。
  • 足下の技術が高く、的確にゴールを射抜くシュート精度が一級品。
  • フィジカル能力の高さとスピードを生かしての豪快な突破が持ち味。

歴代の背番号を調査!

6歳でディナモ・キエフのサッカースクールに入団しましたが、9歳の頃チェルノブイリ事故に遭いました。

その後黒海沿岸に疎開しますが、キエフに戻り15歳の頃にディナモ・キエフのジュニアユースに加入し、1992年にはユースに昇格します。

9番(ディナモキエフ:1994-1995)

出典元:dynamo-shirts.com

1994年にトップデビューを果たし16試合に出場し1得点を記録。

18歳とは思えぬプレーでウクライナ・プレミアリーグ優勝(3連覇)に大きく貢献しました。

11番(ディナモキエフ:1995-1996)

1995-96シーズンには31試合に出場・16得点を記録。

ウクライナ・プレミアリーグ優勝とウクライナカップ優勝の2冠獲得には無くてならない存在となり、世界中から注目を浴びることに。

10番(ディナモキエフ:1996-1999)

1996年以降はチームの中心選手となりリーグ5連覇やカップ戦3度優勝の立役者となります。

  • 1996-97 20試合に出場・6得点
  • 1997-98 23試合に出場・19得点
  • 1998-99 28試合に出場・18得点(得点王)

特に1997-98シーズンのCLではスペインの名門バルセロナとの対戦で敵地カンプノウへ乗り込み、ハットトリックを達成するなど終始相手を圧倒。

バルセロナ相手に4-0という記録的スコアで下したことに欧州で衝撃が走りました。

また1998-99シーズンにはリーグで初の得点王を獲得すると、CLでも名だたる強豪国の名プレイヤーを抑え8得点を挙げ大会得点王&「UEFA BEST FW」に輝き、チームもベスト4に導く活躍で欧州のビッグクラブが注目し獲得に乗り出すこととなりました。

7番(ACミラン:1999-2006)

1999-00シーズン、推定移籍金2600万ユーロでACミランに移籍を発表。

アンドリー・シェフチェンコと契約した新しいACミランは、1999年にアルベルト・ザッケローニとパオロ・マルディーニによって発表されました。シェフチェンコはクラブに約1,900万ポンドの費用をかけました。

1999年9月のレッチェ戦でデビューを飾り、その後初シーズンにも関わらず素晴らしいパフォーマンスを見せ24得点を挙げいきなり得点王に輝く偉業を達成しました。

翌シーズンにも24得点を記録し能力の高さを知らしめました。

★2001-02シーズンにはルーマニアのスポーツ誌が選出する東ヨーロッパ最優秀選手賞を受賞。

★2002-03シーズンは負傷離脱し思うようにプレーができず5得点の結果でしたが、CLでは徐々に調子が戻り準決勝最大のライバル、インテルミラノと対戦し貴重なアウェーゴールを記録しチームの決勝進出に大きく貢献しました。

そして決勝ではイタリアのライバルであるユベントスとの対戦。PKまでもつれこむ大接戦で最後のPKを自ら志願しこれを確実に決め自身初となるビッグイヤー獲得。

★2003-04シーズンにはリーグでも復活し大活躍すると24得点を挙げセリエA2度目となる得点王に輝き、自身初となるスクデット獲得に大きく貢献しました。

そしてこの活躍が認められポルトガルのデコ選手やブラジルのロナウジーニョ選手を抑えバロンドールを獲得。世界最高峰のFWとして広く認知されるようになりました。

★2004-05シーズンにも17得点を挙げ活躍すると2004-05と2年連続となるUEFAベストイレブンとFIFPro年間ベストイレブンに選出。

★2005-06シーズンには19得点とこの年も活躍します。そしてイングランドプレミアリーグ移籍が現実味を帯びてきました。

  • 1999-00シーズン 32試合に出場・24得点(得点王)
  • 2000-01シーズン 34試合に出場・24得点
  • 2001-02シーズン 29試合に出場・14得点
  • 2002-03シーズン 24試合に出場・5得点
  • 2003-04シーズン 32試合に出場・24得点(得点王)
  • 2004-05シーズン 29試合に出場・17得点
  • 2005-06シーズン 28試合に出場・19得点

7番(チェルシー:2006-2009)

2006年5月31日、チェルシーFC移籍を発表。移籍金4500万ユーロ(約63億円)・年俸900万ユーロ(約13億円)の4年契約。

イタリア同様素晴らしいパフォーマンスを披露すると期待されていましたが、コートジボワール代表FWディディエドログバ選手とのコンビは機能せずACミラン時代のようなパサーが少なく持ち味が出せず、またプレミアリーグの速い展開について行けず負傷等での離脱以外初めてのスランプとなってしまい30試合も出場したにも関わらず4得点しか挙げることができませんでした。

随所にらしいプレーを見せていましたが、「巨額な移籍金に見合った働きをするために利己的なプレーをしている」とドログバ選手はじめ多くのファンからも移籍失敗の烙印を押されうようになりました。

2007-08シーズンにも復調の兆しは全く見えずにACミラン復帰の噂ばかりが広がり、さらにニコラアネルカ選手の加入によって出場機会が激減。リザーブチームの試合に出場することもありました。

結局チェルシーでは48試合に出場・9得点に終わっています。

76番(ACミラン:2008-2009)

得点力不足や前線のメンバーの負傷が相次ぐなど前線に問題をかかえていた古巣ミランがレンタル移籍で獲得を発表。

しかし18試合に出場しても無得点と、慣れ親しんだミランでも往時の輝きは取り戻せないままレンタル期間は終了となり多くのファンをがっかりさせることに。

7番(ディナモキエフ:2009-2012)

2009年8月、完全復活を目指してディナモキエフに移籍。10年ぶりとなるキエフ復帰は大きな話題となりました。

2009-10シーズンは副キャプテンに就任。移籍早々に得点を決め全盛期の輝きを取り戻しつつありました。

またチャンピオンズリーグ・インテル戦では華麗なボレーシュートやUEFAヨーロッパリーグベスト32進出を決めたベシクタシュJK戦でのゴールなど大きな話題となりました。

しかし2010年10月8日、2012年欧州選手権(ユーロ2012)終了後に現役を引退すると報道が。

「これが最終決断であり、考え直すことはない」

とシェフチェンコ選手の発言を報じていました。

ディナモキエフでは55試合出場・23得点を記録。

代表の歴代背番号を調査

9番・10番・11番・18番

ACミランに移籍する前の1999年までは主にディナモキエフでの背番号が代表でも反映されていました。

1995年3月に行われたクロアチア戦にて代表デビューを飾るとその後、欠くことの出来ない不動のエースとして君臨しまたがなかなか国際舞台に立つことができませんでした。

  • 1996/05/01 親善 トルコ 1得点
  • 1997/04/02 W杯予選 北アイルランド 1得点
  • 1997/05/07 W杯予選 アルメニア 1得点
  • 1997/10/11 W杯予選 アルメニア 1得点
  • 1997/11/15 W杯予選 クロアチア 1得点
  • 1998/07/15 親善 ポーランド 1得点
  • 1998年W杯予選 8試合4得点(プレーオフ敗退、対クロアチア)

7番

ACミランで世界最高の称号を手にしてからは背番号7が代名詞となります。

クラブでは頂点を獲得するも代表では過去3度プレーオフ敗退を経験しています。(97年/クロアチア、99年/スロベニア、01年/ドイツ)

  • 2000年EURO予選 12試合2得点(プレーオフ敗退、対スロベニア)
  • 2002年W杯予選 12試合10得点(プレーオフ敗退、対ドイツ)
  • 2004年EURO予選 4試合3得点(予選グループ3位)

そして2006年、ウクライナ代表として史上初のW杯出場を決めました。

ウクライナ代表はトルコ、デンマーク、ギリシャなど強豪ひしめくグループを首位で通過し、欧州で予選突破一番乗りを果たし、シェフチェンコ選手もチーム得点王になりました。

初めて出場したW杯では、グループリーグ初戦でスペイン相手に0-4と大敗しましたが、そこから2連勝して初出場で決勝Tに進出。

ベスト16でスイスをPK戦の末に勝利、次の準々決勝のイタリア戦は0-3で敗退しシェフチェンコ選手の結果は、グループリーグのサウジアラビア戦、チュニジア戦でそれぞれ1得点を決め、5試合で2得点に終わりました。

2010年にはUEFA EURO 2012を最後に現役から引退することを大会前に発表していました。

そうして臨んだEURO2012ではグループリーグ初戦のスウェーデン戦で2得点を決めてチームの勝利に貢献。多くのファンに感動をもたらしました。

しかし、フランス、イングランドには敗れグループリーグ敗退に終わりました。

そして大会終了後の現役引退が大きな話題となりました。

ウクライナ代表としては111試合に出場して48得点を記録。

また代表として最多得点記録を保持しています。

現在の活動についても

2021年11月7日、イタリアセリエA・ジェノアがアンドリー・シェフチェンコ氏が新監督に就任することを発表しました。(契約は23~24年シーズン終了まで)

かねてからセリエA復帰の噂が絶え間なくありましたが、満を持しての登場にファンも大いに注目してしまいます。

しかし・・・2022年1月15日、就任から約2ヶ月で解任となりました。

就任後のセリエAでは9試合で3分6敗と勝利を挙げられず、チームは残留圏内の17位ヴェネツィアと勝ち点差「5」の19位に。

そしてコッパ・イタリアでも3回戦で敗退と、なかなか勝利に結びつけることが出来ず、成績不振でのスピード解任となりました。

ただ就任前(17位)からチーム状況が悪かったので、同情する声もあります。

果たして今後、どのチームも率いるのか気になりますね。

ちなみに2016年からウクライナ代表監督を務め、「EURO 2020」で史上初のベスト8進出に導き、その手腕は高く評価されていましたが、2021年8月に監督退任を発表し、多くのファンに衝撃を与えていました。

2015年にUEFAのプロライセンスを修得し2016年2月、ウクライナ代表のコーチに就任。

その後「UEFA EURO 2016」グループリーグ敗退で引責辞任したミハイロフォメンコ監督の後任として代表監督就任しています。

監督として臨んだ「2018 FIFAワールドカップ」ヨーロッパ予選では最終節でプレーオフ出場となる2位を争うもクロアチア代表に敗れ、予選グループリーグ3位で本大会出場を逃しました。

そして2019年、「EURO 2020」欧州予選・ポルトガル戦では前回大会の欧州王者に2-1で勝利して、本大会出場権を獲得。

迎えた本大会では史上初のベスト8進出に導いていました。

また2021年1月には、ランパード監督解任によるチェルシー次期監督最有力候補として大いに注目もされていました。

ちなみに現役引退後には・・・

  • 政界に進出。(ウクライナ最高議会選挙にてウクライナ社会民主党から出馬するも落選)
  • プロゴルファーへの転身。(2013年から複数のツアーに参加したもいずれも予選落ち)

といったことでも大いに注目されました。

私なりのまとめ

「EURO 2020」では代表監督としての評価をあげて、ついにセリエAに帰還しましたが、まさかの解任にはビックリでした。

「プレミアに・・・」なんて声もありますが、今後の動向に注目ですね。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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