アレッサンドロネスタ 歴代の背番号を調査!現在の活動も気になる

こんにちは、鋭い読みとクレバーなディフェンスで「最も完成されたセンターバック」と称賛されていますアレッサンドロネスタ選手。

イタリア代表およびクラブチームにとっては無くてはならない存在で、これまで数々のビッグタイトルを手にいれてきました。

今回はそんな、ネスタ選手についてまとめてみました。

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プロフィール

愛称:サンドロ

生年月日:1976年3月19日

出身地:ローマ

身長:187cm

体重:82kg(現役時)

ポジション:DF

利き足:右足

【プレースタイル】

  • 優れた統率力。
  • 1対1(相手FWとの駆け引き)にめっぽう強い。
  • 鋭い読みとその読みに裏打ちされた的確なポジショニング。
  • フォワードの選手にも負けないスピードと高い水準のテクニックを持っている。
  • 空中戦に強い。
  • 巧みな間合いの取り方と正確なタックルでボールを奪う。
  • 人とスペースを同時にカバーできる。

歴代の背番号を調査!

3番(ラツィオ:1993-1995)

幼少の頃から生粋のラツィオファンで、9歳時にラツィオのジュニアチームに入団します。

入団してすぐに周囲とのレベルの違いをみせ94年3月13日のウディネーゼ戦(17歳)で、トップチーム・デビューを果たしました。

イタリア伝説のGK・ディノ・ゾフ監督の下、抜群の読みの良さで相手からボールを奪い取る能力の他、高い戦術理解度、そして戦況を読む力をフルに活かせるクレバーなCBとして才能を開花させました。

ラツィオでデビューする前の17歳のアレッサンドロネスタ。

ラツィオアカデミーの最高の卒業生の1人であり、史上最高のセンターバックの1つです。

1994年3月13日昨日、アレッサンドロ・ネスタはピエルイジに代わってSSラツィオでセリエAデビューを果たしました

13番(ラツィオ:1995-2002)

1995年以降、ラツィオの最終ラインに不可欠な存在となり出場試合数も激増していくと同時に、チームも当時、ユベントス、ミラン、インテル、ローマ、フィオレンティーナ、パルマとともに「ビッグ7」と呼ばれるようになりました。

当時のラツィオは、資金力と野心で他を圧倒していきます。

マルセロ・サラス選手、フアン・セバスティアン・ベロン選手、マティアス・アルメイダ選手、パヴェル・ネドヴェド選手、シニシャ・ミハイロヴィッチ選手といったワールドクラスのタレントを揃えたチームで、ネスタ選手はキャプテンマークを巻き、チームの結束力の中心となりました。

★1998年のコパ・イタリアの決勝戦、ミラン相手に決勝点を奪いファーストタイトルを獲得し、セリエA最優秀若手選手賞を受賞。

★1999-00シーズン、チャンピオンズリーグ覇者のマンチェスター・ユナイテッドを撃破してのUEFAスーパーカップを制覇。

★1999-00シーズンでのスクデット・コッパイタリアの2冠獲得。

チームの看板としてラツィオをトップクラブの仲間入りを果たす牽引役となりました。

2002年8月31日、ネスタ選手のラツィオ退団が決定。

ラツィオの財政悪化が表面化した2000年の春から夏にかけて、ユーヴェ、インテル、レアル・マドリーが30億円を超える移籍の噂が頻繁に流れるようになっていました。

そしてついに2002年夏のメルカート最終日、ネスタ選手は午前中の練習に参加するためにフォルメッロ(ラツィオの練習場)に現れましたが、そこで移籍を聞かされ、ミラノに向かうことになりました。

残留を懇願していたファンに対するメッセージは無く、後に「クラブを救うために移籍する」というメッセージだけが発表されています。

この退団劇(事件)はネスタ選手に大きな影響を与えたのは言うまでもなく、以降、ネスタ選手からはチームを代表するような発言を一切しなくなり、ラツィオ時代に精一杯気を張っていた姿とは正反対の姿勢を貫くようになりました。

ラツィオでは193試合出場・1得点をマーク。

13番(ACミラン:2002-2012)

ネスタ選手の移籍に関してはフィリッポインザーギ選手がフロントに直訴したという話もあります。

2002年のこの日、アレッサンドロ・ネスタはミラノのシャツで公式デビューしました。

また当時、トップ下として出場機会を失いつつあったピルロ選手が、アンチェロッティ監督にボランチ(アンカー)起用を願い出、オフのテストマッチではそれなりの成果を出したものの、指揮官は守備への懸念を理由にシーズンでの起用を決めかねていましたが、ネスタ選手の獲得によってピルロ選手を中盤の最後尾に置くことにゴーサインを出した結果、ミランは魅惑のサッカーを披露するようになり、新たな黄金時代を築いていきます。

移籍早々、ミランの守備のリーダーとなり・・・

  • 2002-03シーズン、ユベントスとのPK戦にまでもつれ込んだチャンピオンズ・リーグ(CL)決勝を制し欧州王者を獲得。
  • 2003-04シーズンは圧倒的な強さでスクデットを獲得。
  • 2004-05シーズン、チャンピオンズ・リーグ準優勝(リバプール優勝)。
  • 2006-2007シーズン、リバプールにリベンジを果たして欧州王者を奪還。
  • 2007年、ネスタ選手が貴重なゴールを決めてクラブワールドカップ制覇。
  • 2010-11シーズン、インテルの6連覇を阻んでのスクデット獲得。

といった、在籍10年のミランでさらに数多くのタイトル獲得に貢献し、輝かしいキャリアを築いていきました。

ミランでは224試合に出場し7得点を記録しています。

14番(モントリオールインパクト:2012-2013)

2012年7月6日、メジャーリーグ・サッカー(MLS)のモントリオール・インパクトと18か月の契約を結んだことを発表。

アレッサンドロ・ネスタがモントリオールインパクトに参加し、14番ジャージを獲得

クラブの公式サイトでネスタ選手は次のように話していました。

「ここに来ることができて、とてもうれしい。ヨーロッパで続けるオファーもあったけど、僕は新しい挑戦を探していた。MLSでプレーしたかったんだ。友人のマルコ(・ディ・ヴァイオ)に会いに来て、このクラブの素晴らしい人たちと出会った。本当に気に入ったし、モントリオールこそ自分が望んでいたところだと確信したんだ」

モントリオールでは31試合出場し無得点でした。

2013年11月7日、クラブをとおして現役引退を発表。大きな話題となりました。

「僕は凄く幸せだ。体は疲れているけど、最高レベルでの20年間を終えることができたと感じているからね。僕は運が良かった。多くのトロフィーを勝ち得たし、“ストップ”と言うことには完璧なタイミングだ。家族と新しい人生を始める」

とコメントしています。

イタリアを代表する名DFの引退は、大きな話題となりました。

6番(チェンナイイン:2014-2015)

2014年11月28日、2014年シーズンの残りの期間、インディアンスーパーリーグでチェンナイインFCと契約したことが発表されました。

怪我のために守備の選手不足に直面していたマルコマテラッツィ選手兼監督の要請でクラブに加入することに同意したということです。

12月9日、FCダイナモスデリーとの2対2の引き分けでデビューしました。

対戦チームのFCダイナモスデリーには共にイタリア代表で戦ったデルピエーロ選手がおり大きな話題となりました。

チェンナイインでは3試合に出場・無得点に終わり、2015年に再び現役引退となりました。

代表の歴代背番号を調査

6番・8番・13番

1996欧州選手権U21、チェーザレマルディーニ監督のもとでタイトル獲得に大きく貢献。(最優秀DFに選出)

1996年10月5日、1998FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選(チェーザレマルディーニ監督)のモルドバ代表戦でA代表デビュー。

1998FIFAワールドカップ・グループリーグのオーストリア戦で十字靭帯を損傷し決勝トーナメント出場はかないませんでした。(イタリアはベスト8敗退)

UEFA EURO 2000では全6試合に出場。チームの準優勝に貢献し大会優秀選手に選出されました。

2002 FIFAワールドカップではグループリーグのクロアチア代表戦にて負傷し、決勝トーナメントは不出場に終わりチームもベスト16敗退となりました。

UEFA EURO 2004ポルトガル大会では良さを出せないままグループステージ敗退となります。

そして2006 FIFAワールドカップでは、グループリーグのチェコ代表戦で負傷し、決勝トーナメントに出場できませんでした。

ネスタ選手の代役を務めたマルコマテラッツィ選手が、良い意味でも悪い意味でも脚光を浴びながら、イタリアの24年ぶりの世界制覇に貢献。

ネスタ選手にとっては、複雑な思いの残る戴冠となりました。

2006年10月11日に行われたUEFA EURO 2008予選のグルジア代表戦(3-1の勝利)が最後の代表出場となります。

フランチェスコトッティ選手が代表引退してからわずか2週間後の2007年8月の初めに、イタリアでプレーしたくないと発表。

また、代表引退についてはクラブと国際試合の二重の負担を理由として挙げられましたが、ナショナルコーチのロベルト・ドナドーニ氏との間の論争が代表引退の本当の理由であるという推測も広がりました。

イタリア代表では78試合に出場・0得点です。

現在の活動も気になる

セリエBのフロジノーネの監督に就任していましたが2021年3月、成績不振で解任となり以降はフリーとなっています。

2019年からセリエBに降格したフロジノーネの指揮官に就任しており、就任1年目はセリエBを8位でフィニッシュし、昇格プレーオフに進出。

チッタデッラ、ポルデノーネを破って勝ち上がった決勝でスペツィアに敗れ、1年でのセリエA復帰に導くことはできませんでした。

2020-21シーズン、前半戦こそ上位をキープも後半は昇格プレーオフ圏内の8位キエーボと6ポイント差の12位に低迷。

そして、0-3で完敗したレッチェ戦後に更迭となりました。

ちなみに引退後の2015年8月31日、北米サッカーリーグに2016年から新規参入するマイアミFCの監督就任が発表されクラブ創設2年目でリーグ優勝に導きました。

2018年5月にセリエBで8位(当時)のペルージャの新指揮官に就任。

セリエA昇格プレーオフ準々決勝でフィリッポ・インザーギ監督率いる5位ヴェネツィアに0-3で敗戦し、チームをセリエA昇格に導くことはできませんでした。

監督就任2年目のレギュラーシーズンをセリエA昇格プレーオフ圏外の9位で終えたものの、3位パレルモの3部強制降格によって繰り上げでのプレーオフ進出を果たしましたが、プレーオフ準々決勝で5位のヴェローナに1-4で敗れ、またもやセリエA昇格はならず、責任を取ってペルージャ退団となっています。

私なりのまとめ

監督としては中々勝利に結びついていませんが、必ずや選手時代の偉大な功績と同じように、監督としても「大成する」と多くのファンが思っていると思います。

そしていつの日か、ACミランやラツィオを率いる姿を誰もが想像していることでしょう。

今後の活躍に期待したいですね。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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