ルイコスタ 歴代背番号を調査!現在の活動についても

こんにちは、数々の華麗なプレーで多くのファンを魅了してきましたルイコスタ選手。

現在第一戦で活躍している選手達にも、多大な影響を与えたことは誰もが知っていることでしょう。

今回は、そんなルイコスタ選手についてまとめてみました。

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プロフィール

本名:ルイ・マヌエル・セーザル・コスタ

愛称:マエストロ

生年月日:1972年3月29日

出身地:ポルトガル リスボン県アマドーラ

身長:180cm

体重:74kg(現役時)

ポジション:MF(OH)・FW

利き足:右足

【プレースタイル】

ルイコスタ選手のことを「ファンタジスタ」と表現する人が多いです。

その「ファンタジスタ」の意味は、ずば抜けた技術を持ち、創造性に富んだ、意想外のプレーを見せる天才的なサッカー選手をいうことです。

  • 華麗なドリブルやシュート
  • 閃きや創造性のあるパス(スルーパス)
  • 体に吸い付くようなボールタッチ

といった「ファンタジスタ」の意味そのままのプレースタイルです。

歴代背番号を調査!

1982年ベンフィカの入団テストに参加。

500人が参加したセレクションで、たった一人選ばれたという天才少年でした。

1990年までベンフィカのユースチームでプレーしておりその時の背番号は7番でした。

1990年、2部のADファフェへレンタル移籍(1990-91シーズン)し、トップデビューを飾ります。

デビュー戦については「今日は人生最悪の日だ」と大観衆の前に立つ恐怖から逃げ出したい気持ちがあり、勇気を出してピッチに入って行ったそうです。

38試合出場6得点という成績にとどまりますが1年でベンフィカに復帰。

14番(ベンフィカ:1992-1993)

ベンフィカの英雄であるエウゼビオ氏が絶賛していたその才能が徐々に片鱗を見せ、6年ぶりとなる「タッサ・デ・ポルトガル(ポルトガル全国選手権)」獲得に貢献しました。

それはルイコスタについてであり、試合は1992年のバルサ-ベンフィカの試合であり、ウェンブリー決勝へのアクセスを与えたものです。

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10番(ベンフィカ:1993-1994)

絶対的なエースとなりジョアンピント選手らと共に強力な中盤を形成し、2シーズンぶりとなるプリメイラ・リーガ獲得の原動力となりビッグクラブから注目されるようになりました。

ベンフィカでは78試合出場・13得点を記録しています。

ちなみにルイコスタ選手はいつも列の最後尾についてピッチに入場しており、このことについて・・・

「サッカーを始めた幼いころ、僕のアイドルはベンフィカのカルロス・マヌエルだった。彼はいつも一番最後にピッチに出てくるんだ。それがとてもカッコよく見えてね。だから僕もまねするようになったんだ」

と自身のジンクスについて語っていました。

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10番(フィオレンティーナ:1994-2001)

1994年夏、熱望していたバルセロナ移籍の思いを心に閉じ込めて、当時財政難だったベンフィカにより高い移籍金のオファーを出していたフィオレンティーナへ移籍。

「僕をここまで育ててくれたベンフィカが困っているのだから助けるのは当然」と移籍を容認したということです。

1994-95シーズン、1部に復帰したフィオレンティーナの新たな司令塔として迎えられたルイコスタ選手とバティストゥータ選手の協力コンビが誕生しました。

ルイコスタ選手の加入によって・・・

  • バティストゥータ選手の開幕11戦連続ゴールのリーグ新記録達成。
  • バティストゥータ選手の得点王獲得。(26ゴール)
  • 1996年のコッパ・イタリア制覇。

という相乗効果をもたらしました。

また1998-99シーズン、新しい指揮官として、名将トラパットーニ監督を迎えるとバティストゥータ選手、ルイスオリベイラ選手、エジムンド選手の3トップの布陣を組み、攻撃的サッカーを展開しシーズン途中まで首位攻防を繰り広げ、17試合で17ゴールという驚異的なハイペースでゴールを量産していました。

その後バティストゥータ選手の肉離れや、エジムンド選手の一時帰国(カーニバル参加)といったチーム事情により、チームは下降線を辿り、優勝したACミランには大きく差を開けられ、結局3位に終るという結果になりましたが、この時の攻撃的布陣は今でも強く多くのファンに愛されています。

7年間の在籍で215試合に出場・38得点を記録しています。

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10番(ACミラン:2001-2006)

2001年、フィオレンティーナの財政難などからACミランに移籍。

その際の移籍金は2001-02シーズンのセリエAでは最高額の850億リラ(4390万ユーロ)ということです。

加入直後に怪我をしたこともあり2001-02シーズンはあまり活躍できませんでした。

2002-03シーズンには調子を上げ、UEFAチャンピオンズリーグとコッパ・イタリアの2冠に貢献し多くのファンに支持されました。

しかし2003年以降は怪我の影響で本来のプレーを見せる事ができず出場機会が激減。

またカカ選手の加入もありベンチを温める時間が増え、移籍報道が加熱していきました。

ルイコスタ選手は・・・

「調子はいい。いつ呼ばれても結果を出せる状態だ。だから誰かの控えのように扱われたくない。監督が選んでくれるよう全力を尽くしている」

「移籍は考えた。レギュラーじゃない選手なら誰もが考えることだろう。しかし私はプレーすることより、強いチームで何らかのトロフィーを勝ち取ることを選んだんだ」

己の立場を理解した素晴らしいコメントを残しています。

こういう紳士的な姿勢もファンから愛されている要因だと思います。

ACミランでは124試合に出場・4得点でした。

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10番(ベンフィカ:2006-2008)

2006年5月25日、「最後はベンフィカでキャリアを終えたい」という約束どおり、ミランとの契約を解除し12年ぶりにベンフィカに復帰しました。

知ってますか。 2006年にルイコスタがベンフィカに戻ったとき、クラブ会長は彼が彼に提供しなければならない給料を恐れていました。次に、コスタは「私がすぐに署名する白い紙を私にくれ」と宣言します。その後、あなたはそれに置く量を決めることができます

2006年8月22日のチャンピオンズリーグ本戦出場を懸けたオーストリア・ウィーンとの予備戦3回戦では、豪快なミドルシュートで先制ゴールをたたき込み、翌日のポルトガル紙上では「魔法が戻ってきた!」の文字が踊りました。

しかしこの試合で右足太ももの筋肉を傷めてしまいます。この怪我の影響でシーズンの大半をリハビリに費やしてしまいました。

2007年12月31日、2007-08シーズンを持って選手生活を引退することを正式に表明し大きな話題となります。

開幕前に「90%、僕のラストシーズンになるだろう」と、新たな気持ちで臨んだシーズンでチャンピオンズリーグ予備戦3回戦コペンハーゲン戦で2ゴールを決めると、リーグ開幕4試合でも2ゴールをマークし、公式戦6試合を消化して4ゴールと、イタリア時代も含め過去最高の滑り出しを見せました。

しかし・・・

  • コペンハーゲン戦の直後にフェルナンド・サントス監督が解任。
  • 新たに迎えたホセ・アントニオ・カマーチョ監督も2008年3月に辞任。

といった1シーズンに2回の監督交代劇という失態を演じてしまいチームは自滅してしまいました。

そんな中でもルイコスタ選手は国内リーグでは28試合、2297分とベンフィカのフィールドプレイヤーでは最多の出場時間を誇っており、そんな姿にベンフィカサポーターから「引退撤回」の署名活動がインターネット上を中心に高まりを見せました。

それでもベンフィカの創立104周年の記念パーティーで、「今シーズン、ベンフィカでキャリアを終えることを許してくれたすべての人に感謝したい」と、あらためてルイコスタ選手の口から「引退確定」のコメントが。

2008年5月11日、2007-08シーズン最終戦、ヴィトーリアFCとのホームゲームを最後に、多くのファンから惜しまれつつ現役引退となりました。

復帰したベンフィカでは43に出場・5得点を記録しています。

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代表の歴代背番号を調査

1991年、U-20ポルトガル代表としてワールドユースに出場し優勝を果たしました。

以降、ルイスフィーゴ選手らと共にポルトガルサッカー黄金世代の中心選手となります。

ポルトガル、1991FIFAワールドユース選手権の優勝者-フィーゴナンバー3とルイコスタが5を着用

7番

1993年、FIFAワールドカップ欧州予選のスイス戦でA代表デビューを果たし、その時の背番号は7番でした。

10番

A代表でも黄金世代が中心となり・・・

★ EURO1996でベスト8進出。

★ EURO2000ではベスト4進出。

とチームを牽引し、黄金世代の司令塔として無くてはならない存在となりました。

初のW杯出場を果たした2002FIFAワールドカップでは、ポーランド戦では得点したものの、怪我の影響やリーグ戦の疲労もあり本来の調子を取り戻せないままチームもグループリーグ敗退となりました。

そして地元開催となったEURO2004に出場。

グループリーグのロシア戦や準々決勝のイングランド戦で得点を決め、チームの決勝進出に大きく貢献しました。

決勝戦の前日に代表を引退すると表明。

臨んだギリシャ戦を有終の美を飾ることが出来ず準優勝(0-1)となりましたが、ここでも多くのファンに惜しまれながらの引退となりました。

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現在の活動についても

引退試合の翌日から現在までベンフィカのテクニカルディレクターに就任しています。

ちなみにテクニカルディレクターとは、テクニカルディレクターは、チームが設定した短期・中期・長期の目標をそれぞれ達成するために必要な選手のスカウトおよび契約に関わる業務を担当。「総監督」とも言われています。

  • パブロアイマール選手(アルゼンチン代表)
  • ハビエルサビオラ選手(アルゼンチン代表)
  • ラミレス選手(ブラジル代表)
  • ハビガルシア選手(スペイン代表)
  • ダビドスアソ選手(ホンジェラス代表)

など各国のスター選手達と契約を交わし2009年以降チームの成績は・・

リーグ優勝6回(2009-2010・2013-2017)

それ以外のシーズンは2位(2010-2013・2017-2018・2019-2010)

という好成績を収めています。

また育成機関(下部組織)にも力をいれており、近年ではジョアンフェリックス選手(アトレティコマドリード)を輩出させたことでも有名です。

「彼の成長に少しでも貢献できることが本当に好きだった。コーチとして接することはなかったが、常に正しい軌道に乗れるようにポジションのアドバイスなどをした」

とコメントしていました。

私なりのまとめ

引退から10年以上もベンフィカを裏から支え続け、今や選手時代以上にベンフィカにとって無くてはならない存在となっていますね。

しかしその手腕を買われて、将来的にはポルトガルサッカー協会の会長&理事ということも考えられますね。

今後の展開に期待したいです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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