インザーギ 歴代の背番号を調査!レジェンドの凄さについても

こんにちは、数々の激闘から何度もチームを救う値千金のゴールを決めてきましたフィリッポインザーギ選手。

どのような状況でも貪欲にゴールを狙う姿は、今でも多くのファンの記憶に焼き付いていることでしょう。

今回は、そんなインザーギ選手についてまとめてみました。

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プロフィール

愛称:ピッポ、スーペル・ピッポ

生年月日:1973年8月9日

出身地:イタリア エミリア=ロマーニャ州ピアチェンツァ

身長:181cm

体重:74kg(現役時)

ポジション:FW(CF)

利き足:右足

【プレースタイル】

  • 常にオフサイドぎりぎりのラインにポジションを置き相手DFとの駆け引き(勝負)が強い。
  • ゴールに直結する判断力・一瞬の加速力・飛び出すタイミングが世界最高クラス。
  • シュート精度が超一流。
  • 出し手(MF)からのパス(スルーパス)を正確にワントラップしてからシュートに持ち込む態勢が早い、典型的な嗅覚系ストライカー。

歴代の背番号を調査!

インザーギ選手の少年時代の話しです。

  • 学校が終わると一目散にサッカー場に行くような子供だった。
  • そこに誰か他の子供(年少の子だろうが、年長の子だろうが関係ない)がいたらすぐにボールを蹴り始めていた。
  • とにかく、楽しみのサッカーができればそれで良かった。
  • 辺りが暗くなるまでプレーした後、それでもまだサッカーがやりたくて、夜、父親のジャンカルロ氏や弟のシモーネ選手とパスやリフティングの練習をしていた。
  • ボールが蹴れればそれで満足でどんな練習も好きだった。
  • シュート練習が最高だったが、苦しい体力トレーニングや退屈な反復練習も文句をいわず取り組んだ。
  • うまくなりたいという気持ちがあれば、どんな苦しい練習だってへっちゃっらだった。

9番(ピアチェンツァ:1991-1995)

地元ピアチェンツァ(当時セリエB)の下部組織に加入し1991年にトップチームへ昇格を果たしました。

2クラブへのレンタル移籍を経て、1994-95シーズンにピアチェンツァに戻り、37試合に出場し15得点を記録。

セリエB優勝&セリエA昇格の原動力となりました。

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9番(レッフェ:1992-1993)

トップチームへ昇格した翌年の1992年、当時セリエC1に所属していたレッフェにレンタル移籍します。

そこで21試合に出場し13得点を記録の活躍を見せました。

9番(エラス・ヴェローナ:1993-1994)

レッフェで活躍した翌シーズ ンには再びセリエBに戻りヴェローナへ入団します。(レンタル移籍)

ここでも36試合に出場し13得点を記録します。この活躍で1994年に開催されたU-21の欧州選手権のイタリア代表にも選出されました。

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16番(パルマ:1995-1996)

1994-95シーズンの活躍でパルマに引き抜かれました。1995年8月に行われた試合でセリエAデビューを飾りました。

しかし、当時のパルマはセリエAで優勝争いを繰り広げる強豪で、攻撃陣にはアスプリージャ選手(コロンビア代表)、ストイチコフ選手(ブルガリア)、そしてジャンフランコゾラ選手がおり、FWとして重用されず完全に控え扱いで、シーズンも15試合出場・2得点に留まりました。

9番(アタランタ:1996-1997)

そして転機となる年の1996-97シーズンにはアタランタ移籍。

パルマから放出され悔しさをバネにシーズン序盤から得点を着実に重ねチームを牽引、33試合で24得点(得点王)を挙げる素晴らしいパフォーマンスを披露し、その能力の高さを知らしめました。

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9番(ユベントス:1997-2001)

得点王獲得で1997-98シーズンにはイタリアの名門ユベントスへ移籍金(推定)200億リラ=約2630億円、年俸(推定)20億リラ=約263億円の5年契約で入団しました。

初シーズンに18得点を挙げデルピエロ選手(21得点)とのコンビ&ジネディーヌジダン選手のトライアングルが最高に機能し自身初となるスクデット獲得に貢献しました。

その後は1998-99シーズンに13得点、1999-00シーズンに15得点、2000-01シーズンに11得点とアタランタで得点王を取ってからの5年間全てのシーズン二桁得点をマークします。

しかし自身の怪我の問題(内転筋炎症)やドーピング疑惑、さらに2000年に獲得したフランス代表のダヴィドトレゼゲ選手の活躍によって出場機会激減してきたため、移籍を決意します。

ユベントスでは122試合出場・58得点を記録。

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9番(ACミラン:2001-2012)

2001-02シーズンからACミランへ移籍。

しかし10得点を挙げるものの古巣ユベントスにスクデットを獲得されてしまい、さらにこのシーズンで大怪我を負ってしまい離脱してしまいました。

翌2002-03シーズンに復活するとチームトップの17得点を挙げました。

そしてチャンピオンズリーグ決勝では古巣ユベントスをPKの末破り自身初となるビッグイヤーを獲得。

さらにコッパ・イタリアのタイトルも獲得と最高のシーズンとなりました。

・2003-04シーズンにはACミランへ来て初となるスクデットを獲得しUEFA スーパーカップをも制しました。

・翌2004-05シーズンには自身2度目となるチャンピオンズリーグ決勝進出、リバプールと対戦し3-0と大差をつけるも後半から凄まじい猛攻に合いPKの末破れてしいます。

・2005-06シーズンは怪我のため当初は欠場を余儀なくされ、アルベルトジラルディーノ選手にレギュラーの座を奪われていましたが、徐々に調子を取り戻し最終的にジラルディーノ選手からレギュラーを取り戻す活躍を見せ12得点を挙げました。

・2006-07シーズンのチャンピオンズリーグでは素晴らしいパフォーマンスを披露し再び決勝進出。

・2004-05シーズンの決勝で対戦したリバプール相手に「らしさ」をフルに発揮、全2得点を叩き出して勝利への原動力となり、2-1の勝利を収めこの試合のマンオブザマッチに選ばれ2度目のビッグイヤー獲得を果たしました。

・2007-08シーズン、チャンピオンズリーグでの46得点、UEFA主催大会での66得点はともに史上最多、ドイツの名プレイヤー、ゲルト・ミュラー氏が保持していた記録を塗り替え歴代最高となりました。

・2009年3月15日、シエーナ戦で2ゴールを決め、キャリア300ゴールを達成。

・2010-11シーズン、怪我の影響もあり出場時間は限られていましたがマルコファンバステン氏の記録124得点を追い抜く通算125得点の記録を打ち立てました。

キャリア315得点に達しバッジョ氏の記録が射程圏内に入っていましたが、左ひざの前十字靭帯及び外半月板の損傷により全治6-9ヶ月の長期離脱となります。

・2012年、2011-12シーズンをもって10年以上在籍してきたミランを退団することを発表。

最終戦となるセリエA第38節のノヴァーラ戦に後半途中から出場し見事ジャンピングボレーを決め有終の美を飾り2012年7月24日、現役を引退することを正式表明し大きな反響を呼びました。

ACミランでは202試合出場・73得点を記録しています。

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代表の歴代背番号を調査

21番

1997年6月に行われたブラジル戦にてフル代表デビューを果たしました。

19番

1998フランスワールドカップでは途中出場ながら2試合に出場しています。

9番

UEFA EURO 2000から背番号9となり決勝進出に貢献しました。

フィリッポ・インザーギは、アーネムのヘルレドームで行われたイタリア対トルコのペナルティスポットであるユーロ2000の勝者を獲得しました。

2002日韓ワールドカップでは2試合に出場するものの、まさかのグループリーグ敗退となり今でも語り草となっています。

18番

UEFA EURO 2004直前に負傷し、代表からは遠ざかっていましたが、クラブで好調を維持した事もあり、2006ドイツワールドカップのイタリア代表に再び招集されることになりました。

チェコ戦のみの出場となりましたが、得点も決め勝利に貢献し、自身初となるワールドカップ優勝を手にしました。

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レジェンドの凄さについて

インザーギ選手の凄さについては勝負に対する考え方にあり、300ゴール記録を打ち立てたインタビューからそれはわかります。

「僕の場合、たくさんの試合に出るだけでは満足できない。もっと勝ちたい、もっとゴールを挙げたいという気持ちがいつも心の中にある。『今日はしっかりと練習できたかな』、『昨日よりも少しは上達したかな』、いつもそう自問しながら僕はベッドに入る。充実感がないとなかなか寝つけないんだ。勝者のメンタリティーとは実はそういうものなんじゃないかな。どんな時も、勇気とプレーを続けたいという欲求を持ち続けていないと。そうでなければ前に進めない。それがなくなった時が、やめる時だと思っている」

「でもバッジョの残したような到達点(318ゴール)にたどりつくためなら、どんな努力も惜しみませんよ。たしかに彼は並みのスターではないけれど、同じサッカー選手であることに変りはありませんから」

「ぼくはいつでもチームの目標をぼく自身の目標として尊重してきました。でも今、自分の記録より18本多いロベルト・バッジョに追い付けたらいいなと、ぼく自身が願っていることも否定しません。いずれにせよ、ゴールというものは、ぼくの人生の経験に何かを加えてくれます。ゴールを決めることはアタッカーにとって、新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込むようなもの。自分をきれいにしてくれて、寿命ものびる気がするんです」

そして、39歳で引退するまで超摂生したストイックな生活からもその凄さがわかります。

  • 酒タバコは一切やらない。
  • 夜は早く寝る。
  • 食事は、昼「素パスタとハム」、午後「フルーツとおやつ」、夜「肉か魚のグリルと野菜サラダ」以外のメニューは口にしない。

インタビューでは・・・

「アスリートである限り、昼食時も夕食時も食べるものに気を使うのは当然のこと。よく食べるのは、ブレザーオラ(牛肉を塩漬けにしたもの。イタリア北西部の郷土料理)。味もおいしいし、脂肪分も少ない。かなり食べるよ。あとは、鳥の胸肉、それから外せないのはやはり母親のマリーナが作るミネストローネだよ。おふくろの味に勝るものはない。スイートも嫌いではないけれど、あまり食べないな。アルコールはもちろん一滴も飲まないよ。食事の時などには、水かコカコーラ・ライトを飲む」

と話していました。

また、インザーギ選手と言えばサポーターからは「スーペルピッポ」の愛称で呼ばれるくらい大舞台に強く、チームが苦しくなればなるほど点を取ります。

そのプレースタイルについて、多くのレジェンド達や名監督のコメントからその凄さがわかります。

(ちなみに「スーペルピッポ」の愛称はイタリア版ミッキーマウスのグーフィー(ピッポ)がスーパーマンになって活躍する漫画「SUPER PIPPO」からもじっています。)

● ファビオカンナヴァーロ選手(当時ACミラン)

「抜群に鼻(得点感覚)が利くからさ。ACミランというビッグクラブで長年にわたって得点を量産することは並大抵のことではない…。脱帽だよ」

● オリバーカーン選手(当時バイエルンミュンヘン)

「最強のFWだと思ったのはロナウドで間違いないが、最も嫌だったとなるとインザーギだな…。知っての通り、やつはスーパーFWってわけじゃない。だが、大事な試合のたびに、やつは俺からゴールを奪ってきた。いつもだ!あいつは何てイラつくやつなんだ!」

● アレックスファーガソン監督(当時マンチェスターユナイテッド)

「フィリッポ・インザーギはオフサイドポジションで生まれた男だ。」

● ジョゼモウリーニョ監督(当時レアルマドリード)

「ミランには5、6人のFWがいる。私が望むのは、インザーギが出場しないことだけだ。彼が最も難しいストライカーだよ。イブラヒモビッチ、ロビーニョ、ロナウジーニョ、パト、セードルフ、インザーギと、彼らには多くの良いストライカーがいる。最も大切なのは、彼らがどう動くのか、どういうスペースの使い方をしてくるのかを、ウチの選手たちに説明することだ。だが、繰り返しておく。私はピッポ(インザーギ)が出ないことを望んでいるよ」

● ヨハン・クライフ氏

「彼はサッカーをまったくしていない。ただ常に的を射た場所にいるだけだ」

● ゲルト・ミュラー氏

「彼がしている事の全てはゴールを決めることだ」

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現在の活動は?

2021年6月9日、セリエBのブレシアはフィリッポ・インザーギ氏が新監督に就任したことを発表しました。(契約期間は2023年6月30日までの2年間)

ブレシアは2020-21シーズン、セリエBで7位となっていましたが、昇格プレーオフで敗退。

1年でのセリエA復帰を逃していました。

インザーギ氏は引退後、ACミラン育成組織のコーチングスタッフに就任していましたが、2014年6月、解任されたクラレンスセードルフ氏の後任としてACミランの監督に就任。

しかし2014-15シーズンの成績が10位となり、2015年6月16日に解任が発表されました。

その後2016年6月、レガ・プロ・ジローネBに所属するヴェネツィアFCの監督。

2018年6月、ボローニャFCの監督。(成績不振で2019年1月解任)

そして2019年6月にはセリエB(当時)・ベネヴェントに就任。

2020年6月30日までの契約となっていましたが、セリエBで見事優勝&昇格に導いた手腕を買われ2020-21シーズンも指揮を執っていましたが、セリエAで18位に終わり、1年で降格となっています。

ちなみに2020-21シーズンは、王者ユベントス(ピルロ監督)や弟のシモーネ監督率いるラツィオとの戦いは毎回大きな反響となっていました。

私なりのまとめ

もともとACミランの下部組織を指導していた頃の評価は素晴らしいものがあったので、やっとベネヴェントの監督として正当な評価を得られるようになってきたのはファンとしてうれしい限りです。

将来的にはACミランに復帰やユベントスを指揮する姿を想像しているサポーターも多いと思います。

今後の活躍に期待したいですね。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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