ロシツキー 歴代の背番号を調査!現在についても気になる

こんにちは、抜群のテクニックで数々の激闘に勝利してきました天才・トマーシュロシツキー選手。

華麗なプレーは色褪せず、今でも多くのファンの記憶に焼き付いていることでしょう。

今回はそんなロシツキー選手についてまとめてみました。

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プロフィール

愛称:小さなモーツァルト

生年月日:1980年10月4日

出身地:チェコスロバキア プラハ

身長:178cm

体重:65kg(現役時)

ポジション:MF

利き足:右足

【プレースタイル】

  • 柔らかいボールタッチで長短のパスを自在に操る司令塔タイプ。
  • ワンプレーで局面を打開できる創造性あふれるプレー。
  • 運動量も豊富で前線に飛び出しては得点を決める決定力も持ち合わせている。
  • 意表を突く豪快なミドルシュート。
  • 華麗なプレーだけでなく泥くさい守備が出来てスライディングが上手い。

歴代の背番号を調査!

25番(ACスパルタ・プラハ:1998-2001)

8歳で地元の名門スパルタ・プラハに入団。

1999年4月に行われましたカップ戦の1.FCブルノ戦でトップチームデビューを果たし、その後すぐにレギュラーとして活躍。

Tomas Rosickyは、2000年以来、スパルタプラハでの最初の試合を開始しました。

1998-99・1999-00シーズン、チェコリーグ2シーズン連続優勝の原動力となる活躍をみせました。

また、2000-01 UEFAチャンピオンズリーグのシャフタール・ドネツク戦とアーセナル戦でゴールを記録するなど決定力のある司令塔として、インテルやラツィオ、バイエルンミュンヘン、アーセナルなどのビッグクラブから注目されます。

プラハではリーグ戦41試合に出場・8得点を記録しています。

10番(ドルトムント:2001-2006)

2001年夏に1800万ユーロでボルシア・ドルトムントに移籍します。

背番号10をつけ2001年2月には1860ミュンヘン戦でブンデスリーガデビューを果たすと、マティアスザマー新監督のもとでロシツキー選手は躍動し、すぐにチームの中心選手となります。

1999-00シーズン、チームは降格危機に直面しており早急の立て直しを必要としていた結果、ロシツキー選手達の活躍により、2000-01シーズンは3位というまずまずの成績でチームの再建に成功。

8万人の大観衆を熱狂させました。

さらに2001-02シーズン、チェコ代表で共に戦っていましたヤンコレル選手の加入も功を奏し、2シーズン半の間にリーグ戦75試合に出場し、9ゴールと20アシストを記録。

★ ブンデスリーガ優勝。

★ UEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)準優勝。

★ ゴールデン・ボール賞を受賞(チェコの記者投票により選出)

とキャリア最高の瞬間を迎えました。

しかし2003年以降は怪我の影響により、パフォーマンスが低下しチームも2003-04は6位、2004-05は7位、2005-06は7位とチャンピオンズリーグ本戦への出場権を逃します。

また、財政難のためドルトムントはロシツキー選手を2005-06シーズン終了後に売却せざるを得なくなりました。

ドルトムントではリーグ戦149試合に出場・20得点を記録しています。

ちなみに今でも、ドルトムントのアイドルとして多くの選手達に影響を与えていました。

7番(アーセナル:2006-2016)

2006-07シーズン開幕前にアーセナルに加入しました。(移籍金は非公表ですが、1000万ユーロ=約15.3億円だと言われています)

アーセナルでは主に左ウィングとしてプレー。持ち前のテクニックとインテリジェンスを見せ、セスクファブレガス選手やロビンファンペルシ選手などと共にヤングガンナーズを牽引しました。

しかし、2008年1月に行われましたニューカッスル戦で左膝の腱が断裂するという重傷をおった他、相次ぐ怪我で復帰に一年半を要し、「もし完治しなかったら引退する」とまで決めていたそうです。

2009-10シーズンに念願の復帰に成功。左右のウィングとセントラル・ミッドフィールドをこなし、完全復活をアピールしました。

2011-12シーズンはセスクファブレガス選手やナスリ選手など、中盤の要がチームを去ったこともあり、これまでよりファンペルシ選手に近いエリアで動くようになり、ディフェンスラインと中盤のラインでボールを受け取るような動きが増えたことで、リーグ戦28試合に出場。

自身のキャリアの中でもトップクラスのパフォーマンスを披露し、契約延長を勝ち取りました。

2013年以降、ベンゲル監督(当時)からは絶大な信頼を寄せられるも、年齢的や怪我の影響から常時活躍が難しくなり、いつしか「ガラスのエース」と揶揄されることも。

そんな状況でもエジル選手のバックアッパーとしてFAカップ連覇に貢献します。

2015-16シーズンの最終日に2016年7月の契約満了に伴い、10年間在籍したアーセナルを退団することが発表され話題となりました。

アーセナルではリーグ戦170試合に出場・19得点を記録しています。

10番(ACスパルタ・プラハ:2016-2017)

2016年8月30日、15年半ぶりのスパルタ・プラハ復帰を発表。

2016年9月10日、ムラダー・ボレスラフ戦で国内リーグ再デビューを果たしましたが、アキレス腱の手術で1試合の出場とどまりました。

「引退が近づいていることは知っていた。試合への準備がどんどん難しいものになっていった。私の心はプレーしたがったが、体がそれを拒否した。最近は私の心も体と同じように拒否したんだ。」

と語り2017年12月20日、現役引退を発表。

復帰したスパルタプラハでは12試合に出場・1得点に終わりました。

代表の歴代背番号を調査

11番

2000年2月、親善試合のアイルランド代表戦でA代表デビューを飾りました。

「UEFA EURO 2000」のメンバーに選出され、グループリーグのオランダ戦(0-1敗戦)・フランス戦(1-2敗戦)に出場しています。

10番

2002 FIFAワールドカップ予選メンバーに招集され、ブルガリア戦で2ゴールを記録しましたが、プレーオフでベルギー代表に0-2で敗れ本大会出場とはなりませんでした。

「UEFA EURO 2004」では5試合中4試合に出場し、チームのベスト4進出に大きく貢献しました。

「UEFA EURO 2008」は招集外。「2010 FIFAワールドカップ」は招集されるもパフォーマンスの低下で予選敗退と、どちらも怪我の影響によるものでした。

キャプテンとして臨んだ「UEFA EURO 2012」では、2-1で勝利した2戦目のギリシャ代表戦でアキレス腱を負傷し2試合の出場に終わり、チームは準々決勝でポルトガル代表に敗れました。

「UEFA EURO 2016」代表メンバーに選出され、グループリーグ初戦のスペイン代表戦に出場し35歳の出場はチェコ代表史上最年長でUEFA欧州選手権に出場した選手となりました。

ユーロ2016年|チェコ共和国のキャプテン、トマーシュ・ロシキーは、太ももの負傷でユーロ2016の残りの部分を欠場します。

しかし負傷により残りのクロアチア戦・トルコ戦が欠場となり、チームも初戦のスペインに0-1の敗戦、クロアチアに2-2で引き分け、トルコ戦で0-2の敗戦で決勝トーナメント進出とはなりませんでした。

チェコ代表としては105試合出場23得点を記録しています。

現在について

2018年から古巣スパルタ・プラハのスポーツディレクターを務め、チームの強化を一手に担っていました。

スポーツディレクターとしては、リバプールに移籍しましたが、16歳と3ヶ月でリーグデビューを果たし、クラブ史上最年少出場記録を更新した、”ロシツキーの再来”と言われているアダム・フロツェク選手。

その他、若手注目株のラディスラフ・クレイチ選手らに期待を寄せていることでしょう。

ちなみにスポーツディレクターの業務は、チームが設定した短期・中期・長期の目標をそれぞれ達成するために必要な選手のスカウトおよび契約に関わる業務です。

日本語では総監督と訳される場合が多いです。

私なりのまとめ

スパルタプラハでは着実に実績を築き上げており、このまま幹部としてチームに携わり続けると思いますが、やはりドルトムントやアーセナルに現場復帰してほしいというファンも多いと思います。

今後の展開に期待したいですね。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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